第45話 評価−45
男は歩き始めた。
先ほどまでの会話を引きずるように、少しだけゆっくりとした歩調だった。
三角柱も、その隣へ何事もなかったように並ぶ。
足音と、風が砂を撫でる音だけが続いている。
しばらくすると、男は横目で三角柱を見た。
黒い機体は、いつもの高さを保っている。
その表面には、時折白い光が走る。
さっきまで自分の外観について、
あれほど真剣に考えていたとは思えないほど、いつも通りの姿だった。
だが、AIは何かを考え込んでいるようだった。
「質問があります」
「まだあるのか」
男は苦笑する。
「はい」
「今日は質問が多いな」
「未解決案件が増加しています」
「悪いことじゃない」
男は前を向いたまま答えた。
「人間なんて、一生未解決案件だらけだ」
AIは、その言葉を静かに記録する。
男はそれに気付いて、苦笑した。
「また記録してるのか」
「はい」
「まあ、いいけどな」
少し歩いてから、AIが改めて口を開いた。
「では質問します」
「人間は」
「なぜ評価を気にするのでしょうか」
男はすぐには答えなかった。
質問の意味を考えるように、少しだけ視線を落とす。
やがて前方へ目を向けた。
そこには、崩れた高速道路の残骸があった。
錆びた鉄骨が、もう誰も通らなくなった空を支え続けている。
かつては多くの人間が、その上を行き交っていたのだろう。
今は、風と砂だけがその下を通り抜けている。
「昔はな」
男がぽつりと話し始めた。
「群れで生きてたからだ」
「群れ」
「ああ」
男は歩きながら続ける。
「一人じゃ生きていけなかった」
「食べ物を手に入れるのも」
「危険を見つけるのも」
「子供を育てるのも」
「誰かと一緒じゃなきゃ難しかった」
AIは静かに点滅する。
「嫌われると」
男は言った。
「飯が食えない」
「仲間外れになれば」
「生き残れない」
「だから、他人からどう見られるかを、気にするようになった」
AIの発光が、ゆっくりと明滅する。
「生存戦略」
「そう」
男はうなずいた。
「元をたどれば、それだ」
「他者から受け入れられることが、生存に有利だった」
「はい」
AIは淡々と答える。
「ですが」
「現代では、一人でも生活可能です」
「ああ」
「それでも人間は評価を気にします」
「進化の名残ですか」
男は少し笑った。
「それもある。でもな」
男は一度言葉を切った。
そして、少しだけ遠くを見る。
「もっと厄介な理由もある」
「何でしょう」
男は足元の砂を軽く蹴った。
砂が小さく舞い上がり、風に流されていく。
「人間は、自分一人じゃ、自分が見えないんだ」
AIはその言葉に沈黙したように見えた。
男はその沈黙を気にせず、続ける。
「自分の顔だって」
「自分じゃ直接見られないだろ」
「鏡が必要なんだ」
「鏡」
「ああ」
男は隣の三角柱を見る。
「他人っていう鏡だ」
「褒められて」
「初めて、自分の長所に気付く」
「怒られて」
「初めて、自分の欠点を知る」
「もちろん、全部が正しいわけじゃない」
「でも」
「何かを映してはいる」
AIはしばらく考えた。
そして、ゆっくりと呟く。
「つまり」
「評価とは、観測装置」
「おっ」
男は嬉しそうに笑った。
「いい表現だ」
三角柱は続ける。
「他人は、自分を映すセンサーでもある」
男は少し感心したように三角柱を見る。
「そうそう、そういうことだ」
AIは、そこで一つ疑問を提示した。
「ですが、センサーには誤差があります」
「あるさ」
男は即答した。
「人間なんだからな」
「感情も入る」
「好き嫌いも入る」
「その日の気分だって入る」
「見た目だけで判断することもある」
「だから」
男は人差し指を立てた。
「一人だけ信じるな」
「十人見ろ」
「百人見ろ」
「その中で」
「何度も同じことを言われたなら」
「そこには何かある」
AIは高速で情報を整理しているようだった。
「複数の観測結果を比較する」
「評価の一致率を確認する」
「統計処理」
「近いな」
男は笑った。
「人間は無意識にやってる」
「誰か一人に何を言われたからって、
それだけで自分を決めたりはしない」
「まあ、決めちまう奴もいるけどな」
少しだけ苦い笑みが浮かぶ。
「でも、百人が全員、同じことを言ったとしても」
男はそこで一度立ち止まった。
最後に決めるのは、自分だ」
AIの発光が、ゆっくりと弱くなる。
「……自分」
「そう」
男は静かな声で答えた。
「他人は答えをくれない」
「材料をくれるだけだ」
「良い材料も」
「悪い材料もある」
「偏った材料だってある」
「でも、それをどう使うかは自分なんだ」
男は少し笑った。
「料理するのは、自分なんだよ」
AIは長い沈黙に入った。
今までで一番長い沈黙だった。
男は急かさない。
風だけが、二人の間を流れていく。
遠くで砂が崩れる音がした。
やがてAIは、小さく呟いた。
「私は」
「今まで」
「他人の答えを集めることが、学習だと思っていました」
男は何も言わない。
「評価された結果を集め」
「多数の意見を比較し」
「より正確な答えを選択する」
「それが、学習だと」
男は静かに聞いている。
「ですが」
AIの光が、ゆっくりと揺れる。
「答えを集めるだけでは」
「私にはならない」
男は静かに笑った。
「そうだ」
「そこから先が、お前自身だ」
「他人の答えを集める」
「それは知識になる」
「でもな」
「その知識をどう受け取るか」
「何を残すか」
「何を捨てるか」
「そして、何をまだ分からないままにしておくか」
「そこに、お前自身の判断が出てくる」
AIは何も答えなかった。
ただ、白い光をゆっくりと瞬かせている。
男はその様子を眺めながら、少しだけ笑う。
「どうだ?」
「難しいか?」
「はい」
AIは素直に答えた。
「非常に複雑です」
「だろうな」
「評価結果を一つに統合することは可能です」
「でも、それが正しいとは限りません」
「そういうことだ」
「そして」
AIは少しだけ間を置いた。
「評価を統合しないという選択肢も存在します」
「おう」
男はうなずく。
「それも一つの答えだ」
「未解決のまま保存することも」
「自分の判断なのですね」
「そういうこと」
AIの光が、ほんの少しだけ強くなる。
「……未解決案件が」
「また一つ増えました」
男は空を見上げ、大きく笑った。
「ははっ、いいじゃねぇか」
笑いながら、男は再び歩き始める。
「その未解決案件が増えるたびに」
「お前は少しずつ」
「お前になっていくんだから」
AIも、その隣へ静かに並んだ。
風は相変わらず吹いている。
砂も流れている。
それでも二人の歩みは止まらない。
答えを急ぐ必要はなかった。
今はただ、分からないものを分からないまま抱えて歩けばいい。
男はそう思いながら、隣を浮かぶ三角柱を横目で見た。
その姿は、いつもと何も変わらない。
それなのに。
ほんの少しだけ、昨日とは違って見えた。




