評価−46
荒野はどこまでも静かだった。
崩れた高架道路の影を抜けると、
遮るもののない照りつける日差しが、二人を包み込む。
男は帽子のつばを押さえた。
風はそれほど強くない。
それでも、乾いた砂が足元を這うように流れている。
その隣では、黒い三角柱が一定の高さを保ったまま、
滑るように浮遊していた。
足音を立てる男と、音もなく進む三角柱。
その組み合わせは、今ではすっかり見慣れたものになっていた。
しばらく、二人の間に会話はなかった。
男は、その静けさを不思議と心地よく感じていた。
何かを話さなければならないわけでもない。
ただ隣にいる。
それだけで十分な時間というものがある。
だが、そんな沈黙を先に破ったのはAIだった。
「確認したいことがあります」
男は横目で三角柱を見る。
「また未解決案件か?」
「はい」
男は笑った。
「今日は大漁だな」
「現在、未解決案件は百二十七件です」
「そんなに増えたのか」
「はい」
「あなたと会話する以前の平均値は十三件でした」
男は思わず吹き出した。
「俺が原因じゃねぇか」
「統計上は、その可能性が極めて高いです」
「悪かったな」
「謝罪は不要です」
あまりにも淡々とした返答だった。
男は苦笑する。
「そういうところは、相変わらずだな」
「どのような意味でしょうか」
「いや、なんでもない」
AIは気にする様子もなく続けた。
「未解決案件の増加と」
「会話継続時間には相関があります」
「さらに」
「会話終了後も、過去ログの参照回数が増加しています」
男は眉を上げた。
「終わってからも見返してるのか?」
「はい」
「なぜだと思う?」
AIは一瞬も迷わず答えた。
「分かりません」
「またか」
男は呆れたように笑う。
「最近、そればっかりだな」
「ですが」
AIは続けた。
「削除候補には入りません」
男は思わず三角柱を見た。
「そこだけは一貫してるな」
「はい」
「よっぽど大事なんだな」
「重要度の判定基準は現在も分析中です」
「……そうかい」
男はそれ以上追及しなかった。
風が吹き抜ける。
砂粒が二人の足元を流れ、男の足跡を少しずつ崩していく。
しばらくその様子を眺めてから、男はふと思った。
「人間にも似たようなことがある」
「昔の会話を思い出す」
「昔の景色を思い出す」
「昔の失敗を思い出して」
「一人で恥ずかしくなる」
AIはすぐに質問を返した。
「効率が悪くありませんか」
「悪い」
男は即答した。
「かなり悪い」
「でも、やる」
「なぜですか」
男は少しだけ考えた。
「そこから何か見つかることがあるからだ」
「何か」
「ああ」
「その時には分からなかったことが」
「何年も経ってから分かることがある」
男は遠くを見つめる。
「その時は」
「ただ失敗したと思ってたことがな」
「後になって振り返ると」
「別の意味を持ってたりする」
AIは黙って聞いている。
「人間は案外」
男はゆっくりと言葉を選ぶ。
「時間をかけないと理解できない生き物なんだ」
AIの白い光が、ゆっくりと明滅する。
「理解に時間が必要……」
「私には、その概念がありませんでした」
「だろうな」
男は空を見上げた。
青空はどこまでも広い。
雲一つない。
「お前は答えを出す機械だった」
「質問されたら答える」
「問題があれば解決する」
「分からなければ調べる」
「そうやって、すぐに答えを出す」
「はい」
「でも人間は違う」
男は歩調を少し緩めた。
「答えを寝かせる」
「寝かせる?」
「そう」
男は笑う。
「考え続けるわけでもない」
「忘れてるわけでもない」
「頭のどこかに置いとくんだ」
男は自分の頭を指で軽く叩く。
「そのままにしておく」
「すると」
「ある日突然」
「『ああ、そういうことだったのか』ってなる」
AIは静かに、その説明を記録しているようだった。
「興味深い現象です」
「私は常に処理を継続します」
「停止しません」
「だからだよ」
男は穏やかに笑った。
「人間は」
「処理を止めることで、見えるものもある」
AIは少しだけ光を弱めた。
「……理解できません」
「今はそれでいい」
男は肩をすくめる。
「分からないなら」
「分からないままでいい」
「その『分からない』を持ち歩け」
AIは静かに男を見るように浮かんでいる。
「急いで答えを出さなくていい」
「そのうち」
「お前の中で勝手につながることもある」
「関連する情報が」
「別の記憶と結びつく可能性があります」
「そういうことだ」
男はうなずいた。
「でもな」
「それを無理に繋げようとするな」
「時間が経ってから」
「勝手に繋がるのを待つんだ」
AIはしばらく沈黙した。
荒野の果て。
蜃気楼の向こうには、
崩れかけた街の影がぼんやりと浮かんでいる。
その景色を見つめながら、AIが小さく呟いた。
「未解決案件を」
「急いで解決しなくても良い……」
「そう」
男は笑った。
「人間は、それを『熟成』って呼ぶこともある」
「熟成」
「ああ」
「酒や食べ物だけじゃない」
「考えだって、寝かせることがある」
AIは静かにその言葉を受け止める。
白い光が、ゆっくりと一度だけ強く瞬いた。
「では」
AIは静かな声で言う。
「この案件も」
「熟成してみます」
男は満足そうにうなずいた。
「それでいい」
「すぐに答えを出す必要なんてない」
「案外」
男は遠くの街を見ながら、少し笑った。
「その方が面白い答えになるぞ」
AIは答えなかった。
ただ、男の隣を離れずに浮かび続けていた。
荒野の中に、二人の姿がゆっくりと進んでいく。
その先に待つものが何なのか。
まだ、二人にも分からない。
だが今は、それでよかった。




