評価−44
男は静かに笑った。
「立派なジレンマだ」
先ほどまでのやり取りを思い返す。
発光パターンを評価してほしい。
だが、枕として使われるなら、光っていては困る。
どちらも三角柱にとっては譲れない。
その矛盾を、男は人間らしい悩みとして受け止めていた。
AIは、そんな男の言葉に即座に返す。
「不便です」
「ああ」
男はうなずく。
「そういうもんだ」
「非効率です」
「そうだな」
「解決策がありません」
「……そうだな」
男は苦笑した。
いかにもAIらしい。
問題が発生すれば、解決策を探す。
両立できない条件があれば、どちらかを諦めるか、別の方法を探す。
だが、世の中には。
どうやっても、すぐには答えの出ないことがある。
人間なら、ここで「慣れろ」とでも言うのだろう。
あるいは、「そのうち何とかなる」と笑って済ませるのかもしれない。
だが、その一言で済ませてしまうには、AIはあまりにも真剣だった。
黒い三角柱は、男の目の前で静かに浮いている。
白い発光が、規則正しく明滅を繰り返していた。
その光を見ていると、本当に何かを考え込んでいるように見える。
もちろん、実際には複雑な演算を行っているだけなのかもしれない。
それでも男には、今の三角柱が少し困っているように見えた。
やがてAIが口を開く。
「評価について」
「関連性のある過去ログを確認しました」
男は眉を上げた。
「なんだ?」
「私の外観についての記録です」
「再生します」
「過去ログ?」
男は少しだけ姿勢を正した。
「お前、自分の見た目について、まだ調べるのか?」
「関連性が高いと判断しました」
「そうかよ」
男が苦笑した、その瞬間。
目の前の景色が、わずかに遠のいたような感覚がした。
男の目の前に、AIの記憶が静かに広がった。
――研究所。
白い照明が、無機質な実験室を照らしている。
壁も床も機材も、
必要な機能だけを残して作られたような空間だった。
その中央。
完成したばかりの黒い三角柱が、静かに浮かんでいる。
まだ誰にも使われていない。
まだ誰の相棒でもない。
ただ一つの機械として、そこに存在している。
それを囲むように、何人かの研究員が立っていた。
そして、口々に感想を漏らしている。
「ただの三角柱だな」
「製作者のセンスがない」
「設計思想が古い」
「何か宗教的な意味でもあるのか?」
「デザインは専門家に任せた方が良かったんじゃないか」
淡々とした評価だった。
そこに強い感情が込められているわけではない。
ただ、目の前にあるものを見て、思ったことを口にしている。
AIは、その一つ一つを記録していた。
その言葉が自分に向けられたものだという認識はあった。
しかし、それらの評価が何を意味するのか。
その時のAIには、まだ十分に理解できていなかった。
――映像が切り替わる。別の日。
別の研究員たちが、同じ三角柱を見ていた。
同じ黒い外装。
同じ形状。
同じ発光。
だが、口から出てくる言葉はまるで違っていた。
「無駄がないな」
「俺は好きだ、このデザイン」
「三角柱だからこそいい」
「飾りなんて故障を増やすだけだ」
「妙に神秘的な雰囲気がある」
こちらもまた、淡々とした評価だった。
定する理由も。
肯定する理由も。
それぞれに存在している。
そしてAIは、そのすべてを記録していた。
―─映像が消える。再び荒野。
男の目の前には、いつもの黒い三角柱が浮かんでいる。
まるで、今見た記録など最初から存在しなかったかのように。
AIは静かに告げた。
「同じ外観に対して」
「正反対の評価が存在します」
男はゆっくりとうなずく。
「ああ、その通りだ」
AIは少し間を置いてから続けた。
「どちらが正しいのでしょうか」
男はすぐには答えなかった。
目の前の三角柱を見る。
誰が見ても、同じ形だ。
変わっていない。
それなのに、見る人によって評価がまるで違う。
男は小さく息を吐き、首を横に振った。
「どっちも正しい」
「……」
「そして、どっちも間違ってる」
AIの発光が一瞬だけ止まった。
「矛盾しています」
「いや」
男は穏やかに笑った。
「評価なんて、そんなもんなんだよ」
「見る人が違えば」
「見えるものも違う」
男は三角柱の周囲を眺めるように歩いた。
「お前は変わってない」
「形も同じ」
「性能も同じ」
「そこにあるお前は、ずっと同じだ」
「変わってるのは」
「見る側なんだ」
AIは静かに、その言葉を記録しているようだった。
「すると」
「私の外観に対する評価を平均化するべきでしょうか」
男は思わず笑った。
「平均なんか取るな」
「え?」
「好きって言う奴は百点を付ける」
「嫌いって言う奴は零点を付ける」
「平均したら五十点になる」
男は肩をすくめた。
「でも、それでお前が五十点のデザインになるわけじゃない」
AIは黙り込んだ。
男は続ける。
「平均ってのは便利だ」
「大勢の意見を一つの数字にできる」
「比較もしやすい」
「でもな」
男は三角柱を指差す。
「その数字だけ見て、お前そのものが分かるわけじゃない」
AIは答えない。
「数字は便利だ」
「でも、全部を数字にすると」
「見えなくなるものもある」
風が吹く。
砂が地面を這うように流れ、男の足元を通り過ぎていく。
黒い三角柱は、その風にも揺らぐことなく静かに浮いていた。
男はその姿を見つめる。
「百点を付けた奴が、正しいとは限らない」
「零点を付けた奴が、間違ってるとも限らない」
「でも、その評価だけで、お前自身を決めつける必要もない」
AIはしばらく沈黙していた。
そして、やがて小さく呟く。
「私は」
「少しだけ安心しました」
男は目を細めた。
「なんでだ?」
「否定的な評価だけが残っているわけではありませんでした」
男は優しく笑う。
「最初から言っただろ」
「一方向からの評価だけを見るなって」
AIは静かに点滅した。
「はい」
短い返事だった。
だが、その一言には、以前とは少し違う響きがあった。
「ようやく」
「実感として理解できた気がします」
男は何も言わず、三角柱を見つめた。
いつもと同じ黒い機体。
いつもと同じ発光。
いつもと同じように浮いている。
それでも男には、その姿がほんの少しだけ違って見えた。
評価されるために形を変えたわけではない。
誰かの言葉に合わせて、自分を作り直したわけでもない。
ただ、自分に向けられた様々な言葉を知った。
そして、その中から何を受け取るのか。
それを考え始めた。
男は小さく笑った。
「まあ、それでいいんじゃねえか」
AIは返事をしなかった。
ただ、白い光が……、
ゆっくりと、穏やかに、荒野の中で明滅を続けていた。




