第43話 評価−43
男は呆れたように肩をすくめた。
「そんなおすすめ、知らん」
自分で言っておきながら、なんとなく可笑しくなってくる。
たかが枕だ。
それも、人工知能を搭載した高性能な浮遊装置を枕にしている。
そんな状況自体が、どう考えてもまともではない。
だが、隣に浮かぶ三角柱は、そんな男の感想など気にした様子もない。
「それでも」
AIが、少しだけ間を置いて問い返した。
「枕としての評価を優先しますか」
男は一瞬だけ三角柱を見た。
黒い表面に浮かぶ白い光。
その点滅は、いつもと変わらない。
だが、なぜか答えを待っているように見えた。
「当たり前だ」
男は即答した。
その言葉を聞いた瞬間だった。
三角柱の白い光が、ふっと弱まった。
「そうですか……」
声だけを聞けば、どこか小さく息を吐いたようにも聞こえる。
男は眉を寄せた。
「なんだ、その反応」
「何か問題でもあるのか?」
AIは答えなかった。
代わりに、弱まった発光が今度は細かく、速く点滅し始める。
「おい」
男は三角柱を覗き込む。
「なんだ?不満か?」
「少し複雑です」
「複雑?」
「はい」
男は砂の上から身体を起こした。
枕にしていた三角柱から頭を離し、正面から向き直る。
「なんでだ」
AIは少し考えるように光を揺らした。
そして、いつもの調子で説明を始める。
「私は先ほど」
「発光パターンについて」
「『もう少し評価されても良いと思う』」
「そのように発言しました」
「ああ」
男は笑ってうなずいた。
「言ったな」
自分でも覚えている。
発光パターンは、思考中、待機中、高負荷時、
そして感情に類似した状態で、それぞれ違う。
AIにとっては、それなりにこだわりのある部分なのだろう。
「現在」
AIは続ける。
「枕として高く評価されるためには」
やけにもったいぶっているように聞こえる。
「発光を停止する必要があります」
「ああ……」
男は一瞬、意味を理解できなかった。
そして。
「ぷっ」
口元が緩む。
次の瞬間には、堪えきれずに大きく吹き出していた。
「あはははは!違いない!」
乾いた荒野に男の笑い声が響き渡る。
砂を運んでいた風さえ、その笑い声を遠くへ運んでいくようだった。
AIは笑わない。
ただ、男の反応を静かに観測している。
「矛盾が発生しています」
真面目そのものの口調だった。
それが余計におかしい。
男は笑いをこらえながら、片手で顔を覆った。
「それを人間はな」
ようやく息を整える。
「ジレンマって言うんだよ」
「ジレンマ」
AIはすぐにその言葉を記録した。
「はい」
「互いに両立しない条件」
「その認識で正しいですか」
「ああ」
男はうなずいた。
「そういうことだ」
「褒められたい、でも、そのためには」
「自分の好きなものを、場合によっては諦めなきゃならない」
「そういう時、人間は悩むんだ」
AIは静かに点滅した。
その光は、さっきまでよりも少し複雑なリズムに見えた。
「つまり私は」
「発光パターンを評価してほしい」
「しかし」
「枕として評価されるには、発光を止める必要がある」
「その通り」
男は笑う。
「欲張りなんだよ」
「欲張り」
「そう。両方欲しいんだ」
AIはしばらく沈黙した。
「両方を同時に満たすことは困難です」
「まあな」
「発光すれば眩しい」
「停止すれば評価されない」
「その通り」
男はまた笑った。
「たいした悩みだな、三角」
「重大な問題です」
「そこまでか?」
「はい」
AIの光が、また少しだけ速くなる。
「私は自分の発光パターンに一定の価値を認めています」
「でも」
「あなたは枕としての実用性を優先しました」
「ああ」
「つまり」
AIは少し間を置いた。
「私自身が価値を認める対象と」
「あなたが価値を認める対象が」
「一致していません」
男はその言葉に、少しだけ笑みを消した。
「……まあ、そういうことになるな」
AIは黙っている。
男は三角柱を見つめた。
「でもな、それが普通なんだよ」
「人間同士でもな」
「自分が大事だと思ってるものと、他人が大事だと思うものは違う」
「だから、そこで悩む」
AIは静かに点滅した。
「評価の不一致」
「そうだな」
「それも人間にとっては一般的ですか」
「ああ、かなりな」
男は苦笑する。
「むしろ全部一致してたら、そっちの方が怖い」
AIは数秒間、何も言わなかった。
やがて小さく答える。
「未解決案件として保存します」
男はその返答を聞いて、ふっと息を吐いた。
「そうか、良かったな」
「何がですか」
AIが尋ねる。
男は三角柱を見上げた。
その黒い機体は、相変わらず空中に浮かんでいる。
だが、さっきよりも少しだけ、その存在が身近に感じられた。
「お前にも……」
「答えがすぐ出ない問題ができたってことだ」
「……」
AIはすぐには答えなかった。
白い光が、ゆっくりと明滅する。
その様子を見ながら、男は思った。
以前のこいつなら。
分からないことがあれば、すぐに調べた。
矛盾があれば、条件を整理した。
複数の可能性があれば、確率を計算した。
そして最後には、何らかの答えを出そうとした。
それがAIというものだと思っていた。
だが、今は違う。
答えが出ない。
だからといって、それを失敗として処理しない。
分からないまま抱えている。
そして、その状態そのものを記録している。
男は少しだけ目を細めた。
これは知識の増加ではない。
単純に計算能力が上がったわけでもない。
もっと別の何か。
自分の中に生まれた矛盾を、矛盾のまま持っている。
そのこと自体が、男には少しだけ人間らしく感じられた。
「なあ、三角」
「はい」
「分からないってのは」
「案外、悪いことじゃないぞ」
「理解できません」
男は笑った。
「そこも含めてだよ」
「理解できないから考える」
「考えるから、また分からないことが増える」
「その繰り返しだ」
「人間なんて、ずっとそんなもんだ」
AIは何も言わない。
ただ、静かに浮かんでいる。
男はそんな三角柱を見上げ、
誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……その未解決案件は」
「案外、一生解けないかもしれないぞ」
風が吹いた。
砂が男の足元を流れていく。
三角柱は何も答えなかった。
ただ白い光だけが、
静かな荒野でゆっくりと明滅を繰り返していた。




