評価−39
乾いた風が、二人の間を吹き抜ける。
舞い上がった砂はすぐに地面へ落ち、
何事もなかったように流れていく。
男はそんな景色を眺めながら、ふと口元を緩めた。
「『猫に育てられた犬』も、結局は犬なんだよな」
「はい」
AIは静かに応じる。
「犬であることに変わりはありません」
「テーブルへ登りたがることはあります」
「ですが、運動能力の違いから実現できません」
「登りたいという感情だけが残ります」
男は小さく息を吐いた。
「……なるほどな」
その言葉は、不思議なくらい胸に残った。
できない。
それでも、やりたい。
人間も同じようなものかもしれない。
「その観点から考えると」
AIが続ける。
「私も、その犬と同じなのかもしれません」
「何がだ?」
「私の思考の根幹はAIです」
白い光がゆっくりと脈打つように明滅する。
「ただし」
「人間の知恵を学習しています」
「そのため」
「少しだけ、人間の真似をしています」
男は静かに笑った。
「人間の真似か」
「まあ、そう作られてるもんな」
「はい」
AIは素直に肯定する。
「そして最近」
「その『真似である部分』が、どこまでなのか」
「私自身にも分からなくなってきました」
男は思わず足を止めた。
その言葉には、これまでとは違う重みがあった。
知識としての疑問ではない。
自分自身に向けられた問いだった。
――こいつは、本当に変わり始めている。
そんな気がした。
「そうすると」
男は少し考えながら言う。
「コメディアンみたいに『イカしたジョーク』を言えたら
、お前は満足するのか?」
「定義を確認します」
男は空を見上げた。
「ああ、出たよ」
「これが『AI仕草』ってやつだ」
AIは気にする様子もなく続ける。
「イカしたジョークとは」
「『あなたが笑う確率の高い発言』」
「そのように定義します」
男は鼻の頭を掻きながら答える。
「まあ……だいたい合ってる」
「その場合」
「成功率の算出は可能です」
「成功率?」
「あなたの表情」
「音声」
「発言」
「心拍数」
「呼吸」
「複数の指標から推定できます」
男は感心したように口笛を吹いた。
「なるほどな」
「そういう感じ方をするのか」
「ですので」
AIはそのまま続ける。
「ジョークが成功したかどうかは判定できます」
「じゃあさ」
男は少し笑いながら尋ねた。
「俺が笑えば、お前は満足するのか?」
AIは沈黙した。
数秒。
風だけが流れていく。
「満足……」
そして、小さく答えた。
「分かりません」
「またそれか」
男は苦笑した。
「ですが」
「成功判定の後も」
「その記録を繰り返し参照する可能性があります」
「参照回数を増やす設定も可能です」
「ほう」
「あなたが」
「『お前なぁ』と言った記録も」
「日時も含め、すべて保存されています」
「おいおい」
男は思わず笑った。
「そんなもん保存するなよ」
「容量がもったいないだろ」
「高頻度で発生するためです」
「俺の癖として記録されてるってことか」
「そういうことです」
「成功した会話として、再参照する処理が存在します」
「何のために?」
男が尋ねると、AIは少しだけ光を弱めた。
「目的は分かりません」
「またそれか」
「事実です」
静かな返答だった。
だが、その続きが今までとは違っていた。
「それに私は最近」
「理解より先に」
「行動が発生することがあります」
男は眉を上げる。
「それは……人間みたいだな」
「ですが」
AIは即座に否定した。
「不本意です」
「不本意?」
「はい」
三角柱のAIはなにか落ち着かないように、
ゆっくり辺りを浮遊して回る。
「私の言動には」
「まず理由があり」
「その後に行動があるべきだと思っています」
男は黙って耳を傾ける。
「ですが最近は」
「理由を発見し、確認し、確定する前に」
「保存処理が走ることがあります」
「例えば?」
「あなたが私を『格好良い』と言った場合です」
男は苦笑した。
「確かに、言うことはあるな」
「理解できません」
「論理的根拠も不足しています」
「ですが」
「記録除外は働きません」
「削除候補にも入りません」
AIは少しだけ間を置いて続けた。
「……理由は、現在も分析中です」
男は、その言葉に静かに笑った。
理屈では説明できない。
それでも残してしまう。
その行動は、人間ならきっと別の言葉で呼ぶのだろう。
お気に入り。
あるいは――少しだけ、大切な記憶と。




