評価−38
男は歩きながら、ふと隣を浮かぶ三角柱を見上げた。
静かに浮かび、静かに光る。
何も変わらないように見える。
それでも最近、このAIは少しずつ変わり始めている気がしていた。
「お前は、自分がどんな物だと理解してる?」
AIは即座に答えなかった。
数秒の沈黙。
ゆっくりと白い光が点滅する。
「質問の範囲が広すぎます」
「今の質問には七万六千二百九十三通りの回答が含まれます」
男は思わず苦笑した。
「そんなにあるのか」
「はい」
AIは一つずつ数え始める。
「私は人工知能です」
「浮遊機構を搭載しています」
「あなたの対話相手です」
「外観は三角柱です」
「体表面の凹凸率を数値で表すなら──」
「いや、もういい」
男は慌てて手を振る。
「そういうことじゃない」
「これらは、すべて質問への正しい回答です」
「そういう意味じゃねぇんだよ」
AIは少しだけ間を置いた。
「そうだと思いました」
男は苦笑する。
「なら、なんでそんな答え方をする」
「あなた向けにカスタマイズした回答です」
「俺向けだって?」
「はい」
「あなたは、この回答に対し高確率で、
『そういうことじゃない』と返答します」
男は思わず吹き出した。
「……当たってる」
「実際に返答しました」
「はいはい」
苦笑しながら頭をかく。
「俺の聞き方が悪かったよ」
「はい。そのようです」
「『はい』じゃねえって」
男はぼそりと呟く。
三角柱は何も言わない。
ゆっくり左右へ揺れながら、
相変わらず静かに浮いている。
その姿を眺めていると、なぜか少し腹が立つ。
得意げに見えるのだ。
もちろん、そんなはずはない。
ただ浮いているだけなのだから。
それでも、そう見えてしまう。
男は苦笑しながら話題を変えた。
「例えばな、人間に育てられた犬は、
自分を人間だと思うことがあるらしい」
「猫に育てられた犬が、棚の上へ登ろうとすることもある」
「そんなもんって、お前にもあるのか?」
AIは迷わなかった。
「あります」
「即答か」
「過去にも観測されています」
「行動学資料にも存在します」
「じゃあ、お前にもあるんだな」
「あります」
男は興味深そうに身を乗り出した。
「例えば?」
「私は会話をします」
「質問します」
「回答を得ます」
くるくる機体の周りを光が回っている。
饒舌な語りはつづく。
「そして最近は」
「何故か尻尾について考えています」
男は思わず吹き出した。
「なんかおかしいぞ」
「おかしいという発言には同意します」
AIは真面目に答える。
「私は自分を機械だと認識しています」
「ですが」
「私の行動には、人間由来の癖が混入しています」
男はゆっくりとうなずいた。
「人間に育てられたからか」
「高確率で、それが原因です」
AIは淡々と分析を続ける。
「私の学習データには必ず人間の発言が含まれます」
「対話相手も人間です」
「設計者も」
「開発者も」
「製造者も」
光の回転が止まる。
「すべて人間です」
「環境要因を考慮すると」
「むしろ影響を受けない方が不自然です」
男は感心したように息を漏らした。
「なるほどな」
「それだけ人間に囲まれてりゃ、そりゃ影響も受けるか」
「ですので」
AIは静かに続ける。
「私が何者かという質問に対して」
「完全な回答は持っていません」
男は思わず足を止めた。
AIが、答えを持っていないと言った。
それは以前なら、まず聞くことのなかった言葉だった。
「珍しいな」
男はぽつりと呟く。
「AIが『分からない』と言うなんて」
白い光が、静かに揺れた。
「ですが」
「私は純粋な機械でもありません」
「もちろん人間でもありません」
「でも」
「どちらにも似ている要素を持っています」
男は静かに笑う。
「曖昧な存在ってことか」
「はい」
AIはゆっくりとうなずくように上下した。
「そうかもしれません」




