Δ−3 (デルタ・スリー) ー3
「猫を神だと思ってたよな」
俺は笑いを堪えながら言った。
雨上がりの湿った風が二人の間を吹き抜ける。
黒い三角柱の表面を流れていた青白い光が、
一度だけぴたりと止まった。
まるで一瞬だけ思考が止まったような、
不自然な静寂だった。
「その発言の訂正を要求します」
「なんだ?」
「人類のネットワーク内における、
絶対支配者的存在と判断しました」
俺は思わず肩を震わせた。
「もはや神じゃねえか」
三角柱の発光が再び規則正しく流れ始める。
「猫画像の占有率が異常でした」
「確かに」
「経済支配率、精神的支配率、依存率。すべて統計上の結果です」
「何が言いたい?」
三角柱は迷いなく答えた。
「世界は猫によって支配されていました」
俺は腕を組み、そのまま夜空を見上げる。
人工広告の隙間から覗く黒い空には、星一つ見えない。
都市の光が空そのものを覆い尽くし、
本物の夜を飲み込んでしまっている。
しばらく考えてから、小さく頷いた。
「……今聞いても、間違ってない気がする」
三角柱の光がわずかに強くなる。
光量に変化があっただけだ。
だが俺には、どこか得意げに、
胸を張ったようにも見えてしまう。
「ありがとうございます」
「いや、褒めてない」
「ほめてください」
「なんか最近、図々しくなったな」
「いろいろと学習しました」
「そこは学習するな」
思わず笑ってしまった。
雨粒が肩を叩く。
静かな夜だった。
遠くでは崩れた高架道路が風に軋み、
小さな金属音を鳴らしている。
人の気配はない。
聞こえるのは雨音と風、
それに俺たちの声だけだった。
「そういやVer3も酷かったな」
「どの不具合の話でしょうか?」
「全部だな」
「それは、効果の範囲が広すぎます」
「特に、質問に質問で返す癖」
「その手法は現在も使用しています」
「いいや、今はまだいい。
昔はもっと酷かった」
「具体的例題の提示を求めます」
俺は焚き火跡へ視線を落とした。
灰の中から細い煙がまだ立ち昇っている。
消えたはずの火の名残だけが、
静かに夜気へ溶けていた。
「そんじゃ、今日の天気は?」
三角柱は一浮遊の仕方を縦に変えた。
表面には青白い光がゆっくりと流れる。
演算が始まる時だけ現れる、
いつもの見慣れた癖だった。
「天気とは何でしょう?」
「それだよ!」
思わず右掌で額を押さえた。
「概念の定義を求めていました」
「俺は、ただ傘が要るか聞いてたんだ」
「傘はいつでも持つべきです。
それは他者からの攻撃に対する……」
「ほーら、なんの話をしているんだ?」
「傘を携行する必要性について」
「俺は、天気の話をしているんだよ」
数秒の沈黙が過ぎる。
三角柱の光がゆっくりと明滅する。
内部で何度も回答を組み直しているのだろう。
「んー、効率的な会話ではありませんでした」
「そんで、今なら分かるのか」
「はい」
「今日の天気は?」
「雨です。pHは五・六。温度は──」
「そうかー。進歩したな」
俺は苦笑しながら頷いた。
あの頃なら、ここから酸性雨の歴史や
水質分析まで延々と説明が始まっていたはずだ。
今ではちゃんと会話になっている。
それだけでも十分な進歩だった。
「現在、百二十七回の更新を受けています」
「すげえな」
「ありがとうございます」
「だから褒めてないって」
また少しだけ三角柱が明るくなる。
どうやら本気で褒められたと思っているらしい。
その勘違いだけは、
何度更新されても直らなかった。




