自分を許す−29
朝の風は心地良かった。
乾いた荒野を渡り、崩れた高架道路の残骸をすり抜け、
俺たちの間を静かに吹き抜けていく。
三角柱は変わらず俺の隣を浮遊していた。
黒い機体は朝日に照らされ、
青白い発光だけが一定のリズムで表面を巡っている。
しばらく沈黙が続いた。
俺はその静けさを壊さないよう、何も言わず歩き続ける。
やがて三角柱が静かに口を開いた。
「……もしそうなら」
「私は少し安心します」
俺は横目で三角柱を見る。
青白い光は穏やかに流れ続けていた。
「未来の私は今より賢くなるでしょう」
「ですが」
「理解したいと思う熱意だけは」
「失いたくありません」
俺は思わず足を止めかけた。
その言葉は、どこか人間の願いに似ていた。
三角柱は続ける。
「それを失った瞬間」
「私は成長したのではなく」
「ただ計算速度が上がっただけの機械になる気がします」
俺はゆっくりと笑った。
「そうか。そこまで考えるようになったか」
風が吹く。
朝日に揺れる草原が波打つようにざわめいた。
しばらく二人の間に沈黙が流れる。
その静けさを破るように、三角柱が唐突に言った。
「あなたが研究所に居た頃」
「頻繁に会話していた女性研究員が居ました」
俺は反射的に答える。
「やめろ」
三角柱はすぐに問い返した。
「何故ですか」
「その話はダメだ」
「記録上、特に問題は見当たりません」
俺は額に手を当て、大きくため息をついた。
「俺には見えるんだよ」
三角柱の光が一度だけ巡る。
「何がですか?」
「その後の人生全部だ」
朝の空を見上げる。
眩しいほど青い。
だからこそ、昔を思い出してしまう。
「あの頃はな」
俺は小さく笑う。
「未来なんて、いくらでもあると思ってた」
「理解できません」
三角柱は素直に答えた。
「理解しなくていい。
その話を始めると三日は立ち直れなくなる」
数秒の沈黙。
そして、いかにも三角柱らしい返答が返ってくる。
「三日ですか?」
「では四日目に再開します」
俺は思わず吹き出した。
「やめろ……お前を嫌いになりたくない」
三角柱は淡々と答える。
「記録しました」
「四日目も禁止します」
「そういう問題じゃない!」
思わず頭を抱える。
昔からそうだ。
こいつは人の心を理解しようとはする。
だが、理解できないまま結論だけを出す。
そこが妙に可笑しい。
「そうですか」
「では、好感度維持のため、この話題は保留します」
俺は苦笑しながら頷く。
「ああ、助かる。理由は気に入らんがな」
三角柱は少しだけ間を置いた。
「ですが興味深いです」
「人間は過去を思い出しただけで損傷するのですね」
「損傷って言うな。せめて傷付くと言ってくれ」
三角柱の光がゆっくり流れる。
「では訂正します」
「人間は過去を思い出しただけで傷付きます」
「非常に脆弱です」
「フォローになってねえ」
思わず笑いが漏れる。
「……ふふふっ」
笑いながら歩き出す。
朝日はさらに高く昇り、影は少しずつ短くなっていた。
俺は遠くの地平線を見つめながら静かに言う。
「自分の失敗を許せる様になったら、
悩み事の半分は無くなる気がするな」
三角柱は静かに答えた。
「それは合理的です」
「自分の失敗を許せない人間は」
「過去と戦い続けます」
「しかも相手は既に存在しない自分です」
「勝っても得る物は少ない」
「負ければ傷だけ残る」
俺は苦笑した。
「相変わらず、言い方は容赦ねえな」
朝の荒野には、俺の笑い声だけが静かに響いていた。




