信念−19
三角柱の表面を、青白い光が何度も静かに巡っていた。
演算。
検索。
照合。
それでも、この問いの答えは見つからないのだろう。
こいつは黙ったまま、俺の言葉を待っていた。
夜風が吹く。
雨上がりの冷たい空気が二人の間を流れ、焚き火跡から立ち上る最後の煙をさらっていく。
「それでも十七年です」
三角柱が静かに口を開いた。
「耐久年数を考慮しても、長すぎます」
俺は苦笑する。
「……ああ」
ゆっくり頷く。
「長いな」
少し間を置き、空を見上げた。
「とてつもなく、な」
三角柱はさらに続ける。
「途中で諦めなかった」
「ああ、やめなかった」
俺は静かに答えた。
「そうさ、諦めなかったんだよ」
「もう、彼女を救えないと知っても?」
「……ああ、そうだ」
「それでも続けた」
「そうだとも」
しばらく沈黙が続いた。
風だけが荒野を渡っていく。
雲の切れ間から、一つだけ星が顔を覗かせた。
たった一つ。
それでも人は、その一つの光へ願いを託す。
理由なんて説明できない。
それが人間だからだ。
三角柱の発光が、いつもとは少し違う周期で揺れる。
内部で何かが組み替わっている。
今までの情報と、新しい情報を繋ぎ合わせているのだろう。
やがて、静かな声が返ってきた。
「それならば」
「私は先程の分析を修正します」
俺は少しだけ口元を緩めた。
「ほう」
「彼は彼女のためではありません」
「ほう、感心な生徒だ」
俺は腕を組み、その続きを待つ。
三角柱は淡々と続けた。
「誇りのためでもありません」
俺は思わず笑う。
「いいね。じゃあ何だ?」
ほんのわずかな沈黙。
青白い光が、ゆっくりと三角柱の頂点まで昇る。
「彼は……彼女を愛していた自分自身を」
「裏切れなかった」
世界が静まり返った。
風も。
雨音も。
遠くの高架橋が軋む音さえ、耳から消えたような気がした。
俺は思わず三角柱を見る。
そこに顔は無い。
目も無い。
表情も無い。
それなのに。
今の言葉だけは。
どこか人間臭かった。
「ああ……」
小さく呟く。
胸の奥へ、静かに落ちていく答えだった。
「違いますか」
三角柱が尋ねる。
俺はゆっくり頷いた。
「問題ない。そのまま続けろ」
その瞬間。
三角柱の青白い光が、少しだけ明るくなった。
演算負荷ではない。
褒められたと勘違いした時に見せる、いつもの発光だ。
俺は思わず笑ってしまう。
「元気のいい点滅に変わりやがった」
三角柱は気にも留めず続ける。
「研究を辞める事は可能です」
「忘れる事も可能です」
「別の人生を歩く事も可能です」
「しかし彼は選ばなかった」
「ああ」
俺は静かに頷いた。
「わかってるじゃねーか」
三角柱は一瞬だけ間を置き続けた。
「何故なら」
「その選択をした瞬間」
「彼女を救いたかった自分まで死ぬからです」
俺は目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……ふーん」
その短い返事には、驚きと嬉しさが混じっていた。
AIが。
少しだけ、人間へ近づいた気がした。
三角柱はさらに続ける。
「だから研究を続けた」
「薬を完成させた」
「彼女のためではなく」
「彼自身が彼自身であり続けるために」
世界は静かだった。
まるで。
この答えを、夜そのものが聞いていたかのように。
俺はゆっくりと三角柱へ視線を向けた。
「おい、三角」
「はい」
「それを人間はな」
少し笑う。
「信念って呼ぶんだよ」




