信念−16
雨は少しずつ弱くなっていた。
黒い雲の切れ間から、わずかに星明かりが覗く。
都市では決して見ることのできない、本物の光だ。
企業塔の広告も、投影映像も届かない場所だからこそ見える景色だった。
だからだろうか。
こんな夜は、少しだけ昔を思い出す。
三角柱の青白い光が静かに流れる。
「王冠、頂き、一生に一度」
「なるほど」
「だから人間は、
その瞬間のために生きている者も居るのですね」
俺はゆっくり頷いた。
「ああ、そうさ」
三角柱はわずかに沈黙する。
演算を続けているのだろう。
やがて静かな声が返ってきた。
「私にはまだその重さが分かりません」
「ですが、少しだけ興味が湧きました」
俺は思わず笑ってしまう。
「おいおい、興味が湧くだと?」
「当たり前だろう?」
「これはな、人である我々には、
誰にでも備わっているはずなんだよ」
そこまで言って。
言葉が止まった。
「あ……」
喉の奥で何かが引っ掛かる。
「その……はずだったんだよ」
自分でも分かるくらい、その声は小さかった。
雨音へ紛れてしまうほど弱く。
どこか諦めにも似た響きだった。
三角柱は何も言わない。
ただ、青白い光だけが静かに明滅している。
演算か。
それとも観察か。
数秒後、静かな声が返ってきた。
「……その発言に感情の揺れを検出しました」
「あなたは今、悲しんでいます」
俺は苦笑する。
「ほう」
「わかるのか? この悲しみってやつが」
三角柱は即座に答えた。
「あなたはこう言いたいのでしょう」
「『かつては誰にでもあった』」
「『そして今はそうではない』」
「違いますか?」
俺は静かに頷いた。
「ああ、その通りだ」
少し肩をすくめる。
「いやー、悲しいねー」
夜風が吹く。
濡れた草が揺れ、焚き火跡の灰を少しだけ舞い上げた。
若い頃の俺なら。
きっとこう嘆いていただろう。
『空は何も答えてくれない。』
結局、昔からこういう問いに答えるのは、
人間だけだった。
俺は焚き火跡へ視線を落としたまま言う。
「昔見た映画の話をしよう」
三角柱の光が一周する。
「はい」
「映画の中のマッケンジーはな、ある研究をしていた」
「そして奴は、ヒロインに振られた」
「はい」
「だが挫けなかった」
俺は少し笑う。
「何故だかわかるか? 三角」
三角柱は数秒だけ沈黙した。
内部で情報検索を行っているのだろう。
「映画の登場人物ですね」
「失恋。目的の喪失」
「それでも立ち上がった」
「あなたの話の流れから推測するなら」
わずかに光が強くなる。
「彼には……彼女より重いものがあったからです」
俺は思わず笑顔になる。
「そうだよ」
「研究が成功して、大儲けして、
それから、彼女を迎えに行く腹づもりだった」
「まー男だねー、そして若い」
思わず笑う。
若い頃の俺なら。
そんな男を鼻で笑っていただろう。
「馬鹿なやつだ」
そう言って終わっていたはずだ。
だが、歳を重ねると分かる。
そういう馬鹿な男ほど、案外嫌いになれない。
三角柱は静かに答える。
「なるほど」
「彼は諦めなかったのではなく」
「順番を決めていたのですね」
俺は思わず吹き出した。
「またまた、固い表現だなー三角」
三角柱は淡々と続ける。
「愛する人を手に入れる前に」
「まず自分が成すべき事を成す」
「それが男だと」
「あなたは言いたいのですか」
ほんのわずかに間が空く。
「……少しだけ、格好良いと思いました」
俺は目を丸くした。
「なんだと? 今何と言った?」
「格好良いだと?」
一瞬の沈黙。
俺は三角柱を見つめる。
「ははーん、お前」
「そう言えば喜ぶと学習したな?」
「俺の思考回路ってやつをな」
三角柱の青白い光が一瞬だけ強く輝いた。
否定するだろうな。
こいつは。
そういう所だけは、昔から変わらない。




