信念−15
夜の荒野には、静かな雨が降っていた。
さっきまで燃えていた焚き火は、もう完全に火を失っている。
黒く焦げた薪からは細い煙だけが立ち上り、湿った夜気へゆっくりと溶けていった。
焚き火のすぐ隣。
黒い三角柱が、音もなく宙へ浮かんでいる。
三十センチほどの金属塊。
継ぎ目のない黒い機体を雨粒が静かに滑り落ち、その姿は闇へ溶け込むように静かだった。
感情は無い。
表情も無い。
だが、不思議なことに。
こいつは、人間よりも人間らしい疑問ばかり抱えている。
今日もまた、三角柱の表面を一本の青白い光がゆっくりと流れた。
考えているようにも見える。
いや。
実際には膨大な演算を行っているだけなのだろう。
それでも俺には、その光の流れが呼吸のようにも見えてしまう。
「今日も不快ですね」
静かな機械音声が夜へ響く。
「天候、降雨」
「焚き火、消火済み」
「会話相手、人間一名」
「継続対話を開始します」
俺は思わず苦笑した。
「はいはい」
相変わらず律儀な挨拶だ。
三角柱の青白い光が、もう一度だけゆっくりと表面を巡る。
演算。
情報整理。
質問生成。
俺には見慣れた一連の動作だった。
「質問があります」
「始まったな」
俺は肩をすくめる。
どうせ今日も、簡単には答えられない質問なのだろう。
三角柱は間を置かず続けた。
「あなたは先程」
「『自己犠牲とは覚悟だ』」
「と発言しました」
「私はその定義に疑問があります」
「言ったなぁ。それがどうした?」
三角柱はわずかに発光を強める。
「覚悟による、無謀な行動への判断への移行」
「難しい言葉使うじゃないか」
俺は思わず笑う。
「で、それがどうした?」
数秒の沈黙。
青白い光がゆっくりと流れ、内部で質問が組み立てられていく。
「では質問します」
「あなたは、自己犠牲と無謀の違いを、」
「どこで判断していますか?」
夜風が二人の間を吹き抜けた。
雨は弱まり始めている。
遠くでは崩れた高架道路が風に軋み、小さな金属音だけが静かな荒野へ響いていた。
昔の俺なら、
きっと「面倒臭い」の一言で終わらせていただろう。
理屈ばかり並べるAI。
答えのない問い。
付き合いきれないと思っていた。
だが今は違う。
こいつの面倒臭さには、
どこか憎めないものがある。
分からないから聞く。
理解したいから問い続ける。
つまり。
それが、こいつの良さってとこだな。
俺は焚き火跡へ視線を落とした。
黒い薪は冷え切っている。
それでも、まだ微かな熱だけは残っていた。
「無謀じゃないんだよ」
俺は静かに言う。
「そこにはこだわりがある」
「何かわかるか?」
三角柱は即座に答えた。
「自分自身より優先される何か」
「そこまでは理解できます」
「ですが、その何かのために死ぬ理由が理解できません」
「それを失うくらいなら死んだ方がマシだ、とでも言うのですか」
三角柱の青白い光が、ほんのわずかだけ揺れた。
演算誤差ではない。
俺にはそう見えた。
こいつは本当に分からないのだ。
だから聞く。
飽きることなく。
何度でも。
「それを失うくらいならな」
俺はゆっくり答えた。
「死んだ方がマシだって人間もいるんだよ」
「それは命よりも重い事がある」
「そして命をかける意味がある」
Δ-3は沈黙した。
雨粒だけが静かに装甲を滑り落ちる。
「理解不能です」
「命が無ければ、その価値を守る者も居なくなります」
「なのに人間は、それでも選ぶ」
「あなたは、その選択を後悔しないと言い切れますか」
俺は夜空を見上げる。
雨雲がゆっくり流れ、その隙間から星明かりが一つだけ覗いた。
都市では決して見えない、小さな光だった。
だからだろうか。
こんな夜は少しだけ昔を思い出す。
「その時がくれば後悔しない」
俺は迷わず答えた。
「絶対にだ」
「ただな、一生に一度だけだよ」
「それは、尊く、気高く」
少しだけ間を置く。
「頂きの上にある王冠のような物だ」




