Δ−3 (デルタ・スリー) ー14
三角柱は静かに続けた。
「紫のモヒカンだったなら」
俺は完全に固まった。
「……ん?」
数秒遅れて。
ようやく口が動く。
「なんだそれは?」
夜風が二人の間を吹き抜ける。
草がさわさわと揺れ、遠くで崩れた看板が小さく軋んだ。
さっきまで哲学の話をしていたとは思えない。
俺は思わず眉間を押さえる。
「紫の……モヒカン?」
「はい」
三角柱はいつもの調子で答える。
青白い光が一周する。
質問を予測しているのだろう。
「何故そうなる」
「説明します」
「頼む」
俺は半ば呆れながら頷いた。
三角柱は静かに演算を始める。
雨粒を残した黒い機体へ、
星明かりが淡く映り込む。
「人間は」
「理解不能な対象を理解するため」
「既知の情報と結び付ける傾向があります」
「うん」
「あなたが紫のモヒカンだった場合」
「理解不能という前提条件が成立します」
「待て」
俺は片手を上げる。
「俺は今でも理解不能なのか?」
「はい」
即答だった。
俺は吹き出す。
「そこ迷えよ」
「事実ですので」
「便利だな、その返し」
「はい」
迷いがない。
本当に迷いがない。
俺は苦笑しながら頭を掻いた。
「つまり?」
三角柱は続ける。
「理解できない人物を理解するため」
「さらに理解できない特徴を付与します」
「その結果」
「紫のモヒカンになります」
風だけが吹く。
俺は夜空を見上げる。
星はさっきより増えていた。
こんな真面目な顔で、
とんでもないことを言うAIを作ったのは、
……間違いなく昔の自分だ。
「……意味分からん」
「私もそう思います」
「思うな」
「失礼しました」
三角柱の発光が一瞬だけ弱くなる。
その様子を見て、また笑ってしまう。
「お前さ」
「はい」
「分からないなら分からないでいいんだよ」
静かな夜だった。
崩れた研究棟の向こうから、
冷えた風がゆっくりと流れてくる。
俺はその建物へ視線を向ける。
数十年前。
あの場所では昼も夜も関係なく照明が点き続けていた。
誰かが笑い。
誰かが怒鳴り。
誰かが徹夜でキーボードを叩いていた。
今はもう、風の音しかしない。
「お前は」
俺は小さく笑う。
「一個ずつ覚えていけばいい」
三角柱は静かに俺を見ているのだろう。
「自己犠牲も、友情も、信頼も、愛情も、
全部、一気に理解しなくていい」
三角柱の点滅は緩やかなままだ。
「人間だって、
一生かかっても分からない奴はいる」
その言葉を聞いて、
三角柱は長い沈黙に入った。
青白い光だけが、静かに機体を巡る。
演算。
検索。
推論。
それでも答えは出ない。
いや。
出そうとしていないのかもしれない。
「記録します」
ぽつりと三角柱が言う。
「“一個ずつ覚えていけばいい”は、
優先記録として保存します」
俺は肩をすくめる。
「また残すのか」
「はい」
「未来の私が、忘れるかもしれませんので」
その返答に、俺は思わず笑みを浮かべた。
「……そうだったな」
昔の俺も。
今のΔ-3も。
大事なものは、消さずに残す。
その考えだけは、少しも変わっていない。
雨上がりの荒野を夜風が吹き抜ける。
崩れた高架橋の向こうでは、
本物の星空が静かに広がっていた。
俺はその空を見上げながら歩き出す。
黒い三角柱も、
何も言わず一定の距離を保ったまま後を追う。
静かな足音と、音を立てない浮遊音。
その二つだけが、
終わりの見えない夜の荒野へ、
ゆっくりと溶けていった。




