第7話 イリスの帰還と三学科の思惑
イリスの遠征が決まった。
家に帰ると、イリスはいつものように軽く荷造りをしていた。
「明日から出発する。期間は、おそらく二ヶ月ほどだ」
今回の遠征は、四天王が率いる師団による交代制らしい。
そうは言っても、イリスを含めた魔王軍の兵士の半数ほどは、定期的に転移魔法陣を構築して自宅へ帰ってくるそうだ。
長居はできなくとも、人間とは違って非常に有利な部分だろう。
今夜の夕食は、俺が作るミルクシチューとハンバーグ、白飯。
そして、付け合わせには新しく増設されたストレージの枠に入っていたサバ缶だ。
この世界には、缶切りというものがなかった。
最初は剣を突き立てて、蓋を開けるというより破壊していた。
だが今では、街の鍛冶屋に頼んで缶切り風の道具を作ってもらってある。
両親であるヴァルザックとエレノアも加わり、四人で賑やかに夕食を囲んだ。
翌朝、早くに目を覚ました俺たちは、出発の支度を整えた。
出かけていくイリスに、俺は小さな布袋を手渡した。
掌に収まるほどの布袋。
その中身は、ビタミン剤が三錠入っている。
万が一のときの、お守りのようなものだ。
定期的に転移魔法陣で帰ってこられるため、さほど心配はしていない。
ただ、どこまで遠くへ行くのか分からないことだけが、俺にとって一番の不安要素だった。
※ ※ ※
――それから二ヶ月。
学校での授業。
「投げ込み、乱取り始め!」
柔道科の訓練は、着実に実戦を意識したものへと変わっていった。
特に力を入れて練習したのが、ゴム帯を腰に巻いて行うスタートダッシュだった。
敵が使う剣や魔法に対して一気に間合いを詰めるための必須技術。
これができなければ、武器を持った相手に近づくことすらできない。
さらに誠は、動体視力と俊敏性を鍛える訓練も取り入れた。
ファイアーボールに見立て、石に布切れを巻いたソフトボール大の球を作成する。
三メートルほど離れた位置に二人を立たせ、お互いにボールを投げ合い、飛んできた瞬間に避けるという訓練だ。
しかも、これは屋外の広い場所では行わない。
道場の脇に古い畳を立てかけて壁のように囲い、逃げ場のない狭い空間を作って行う。
ボールとはいえ、中身は石だ。
そのため、投げる手はあえて利き手とは逆の手に限定させた。
思うように狙えないからこそ、壁に当たって跳ね返る予測不能なボールが生まれる。
それが、格好の訓練になった。
※ ※ ※
遠征中も、イリスは定期的に家へ帰ってきてくれた。
そのたびに俺は料理を作り、イリスの胃袋を満たした。
時には、怪我をした部下を連れてくることもあった。
そんなときは俺が治療し、栄養ドリンクを飲ませて現場へ送り返す。
「誠は世界最高のヒーラーだ!」
部下たちは口々に俺を褒めちぎる。
嬉しいのは確かだが……。
(俺、ステータスウィンドウから栄養ドリンクを出して飲ませているだけなんだけどな……)
そんな疑問を抱きつつも、わざわざ訂正する気にもなれなかった。
そろそろ遠征の交代時期となり、イリスが完全に戻ってくる頃だと聞いていた。
当初は二ヶ月と言っていたが、結局は二ヶ月半にまで延びていた。
成果を上げているせいで、逆に遠征期間が延長される。
なんとも理不尽な理屈に、俺は密かに首をかしげるのだった。
そして、ようやくイリスが帰ってきた。
遠征自体も無事に終了したとの報告を聞く。
これで、しばらくイリスが家を空けることはない。
俺にとっては、それが何より嬉しいことだった。
※ ※ ※
この魔国は、魔王が統治する中央都市と、四天王がそれぞれ治める四つの領地に分かれている。
そして、五つの区画それぞれに学校が存在していた。
年に一度、その五校が一堂に会する大競技大会が執り行われる。
だが、今年は例年とは少し事情が違っていた。
イリスが治める南領地の学校にだけ、他校には存在しない武術部門――『柔道科』が新設されていたからだ。
日頃の特訓の成果を国中に見せつける、絶好の機会が訪れたわけだ。
しかし、イリスによれば、柔道科としての単独出場は認められていない。
参加できるのは、「各科の混合戦」という部門だけらしい。
本来、混合戦は魔法科と剣術科からそれぞれ選抜された、計十名のチームで戦うのが通例だった。
そこへ新設された柔道科の生徒を、どう組み込むのか。
その問題を巡って、学校側では密かに調整が行われていたらしい。
その話をイリスから聞いた誠は、すぐに提案した。
「イリス、十名の混合チームの枠をどう分配するか、校内での選抜対抗戦をやらせてくれないか?」
「校内対抗戦……か?」
「ああ。従来の魔法科と剣術科からすれば、できたばかりの柔道科に枠を渡すのは面白くないはずだ。それに、実戦で使えない奴を連れて行っても、大会で負けるだけだからな」
イリスは誠の言葉に納得すると、すぐさま学校側へ通達を出した。
こうして、大競技大会への出場権を懸けた――
『南領地校・三学科合同選抜戦』
が開催されることとなった。
対抗戦のルールは単純だ。
魔法科、剣術科、そして柔道科から選出された生徒たちが、個人戦および模擬団体戦で激突する。
その中から上位十名が学校代表として選ばれ、中央都市で開催される大競技大会へ進出できるというシステムだ。
そして、試合当日。
闘技場には、大勢の生徒たちが集まっていた。
魔法科と剣術科の生徒たちは、
「たかが組み技だけの柔道科に何ができる」
と高を括り、どこか余裕のある表情を浮かべている。
しかし、誠の表情は静かだった。
この二ヶ月間。
生徒同士をパートナーにして、石を詰めた布製のボールを逃げ場のない畳の壁際で避け続けさせた。
ゴム帯の負荷に耐えながら、爆発的なスタートダッシュも叩き込んできた。
すべては、魔法や剣を相手にしても生き残るためだ。
「いいか。相手が呪文を唱える前、ファイアーボールを放った直後、あるいは剣を振りかぶった瞬間――その『隙』だけを見ろ」
誠は、一人ひとりの目を見ながら言葉を続けた。
「練習通りにやれば、絶対に負けない」
誠の言葉に、柔道科の生徒たちは力強く頷いた。
実戦からほど遠い型に囚われた魔法科と剣術科。
そして、徹底的に「実戦」を叩き込まれた柔道科。
その圧倒的な差を見せつける戦いが――。
今、始まろうとしていた。




