第36話 スパイの帰還と帰還するバイキング
蒸気機関車に揺られ、誠とイリスが到着したのは、南のさらに先——開拓が進む新たな港湾都市『誠街』であった。
駅を降り立ち、ナナエールを伴って別宅の周辺へ足を向けると、そこでは屈強な男たちが立ち話をしていた。
豪快な髭を生やしたバイキングの男——ガンダルフと、その隣で温泉街の管理を任されている元・勇者パーティーの生き残り、バスークとリーマンの二人だ。
「おっ、誠の旦那にイリス様!」
「ガンダルフ! その後の、向こう側の様子はどうだ?」
誠が声をかけると、ガンダルフは周囲を少し気にする素振りを見せ、すっと誠の耳元へと顔を寄せた。
「……その話は、表では目立つ。今夜、杯を交わしながらにしようぜ」
「……承知した」
何か裏で動きがあることを察した誠は頷き、それ以上追及せず、同行しているナナエールを二人に紹介することにした。
「みなさん、入ってくれ。紹介しよう。こちらは人間界のカナデール伯爵に仕えていた、ナナエールさんだ」
「はじめまして。色々とあって、今日からこちらで世話になります、ナナエールです」
緊張の面持ちで頭を下げるナナエールに対し、ガンダルフたちは豪快に笑って迎えた。
一通り挨拶を交わしたあと、誠はガンダルフにナナエールの今後の職務(港湾の管理補佐)を引き合わせるよう頼んだのだった。
やがて、仕事の合間に街を一望したナナエールは、言葉を失っていた。
「なっ……これは……」
目の前に広がっていたのは、白煙を上げる蒸気機関のビル群と、石積みの頑丈な波止場、そして青々とした海原に浮かぶ大型の帆船たちだった。
「ここは本当に、魔国なのか……? 別世界の間違いではないのか……?」
あまりの広大さと、人間界を遥かに凌駕する優雅な都市の光景に、ナナエールは完全に唖然として立ち尽くしていた。
そんな彼の肩を、バスークとリーマンが「おいおい、驚くのはまだ早いぜ」と言わばかりにポンと叩く。
「おっさん、その気持ちは痛いほど分かるぜ。俺たちも初めて来たときは腰を抜かしたからな!」
驚愕し、すっかりこの街に魅せられている様子のナナエールへ、誠は穏やかな笑みを向けた。
「ナナエールさん。この港街に住み、一緒に働きませんか? あなたの管理能力なら、ここでいくらでも力を発揮できる」
「……っ! 私を、ここに……?」
「ええ。ただし——」
誠はふと真剣な表情に戻り、ナナエールを真っ直ぐに見据えた。
「一度、カナデール伯爵の元へ戻り、『私の素性(人柄)』についての報告をなしてきてください」
「……は?」
寝耳に水の提案に、ナナエールは驚きのあまり目を見開いた。
せっかく魔国に骨を埋める覚悟を決めたというのに、わざわざ危険な主君の元へ帰れと言うのだ。
「そ、そんな……! 戻れば、私は『裏切り者』として処分されるかもしれません!」
「いいえ。あなたは、まだ何も裏切ってなどいないはずです」
取り乱すナナエールに対し、誠は静かな、しかし確固たる声で言った。
「正直に、私を観察したままを伯爵に話せばいいんですよ。『美味い飯を食べ、開発された街を見て、自分の意思で残ることを決めた』と。正直に話してからであれば、堂々とここへ戻ってこられる」
「ですが……!」
「だからこそです」
誠は静かに首を横に振った。
「自分の足でけじめをつけ、納得した上で戻ってくること。その方が、あなた自身も後ろめたさを感じず、ここでわだかまり無く暮らせるというものです。……それに、あなたのボスである伯爵にも、観察対象(私)の第一報として最低限の誠意を見せておくべきでしょう」
「……っ!」
スパイとして送り込まれた自分を「裏切り者」にさせず、一人の男として人間界とのけじめをつけさせようとする誠の深い配慮。その言葉に、ナナエールの胸に熱いものが込み上げた。
「……わかりました。必ず、報告を済ませて戻ってまいります!」
「ええ、待っていますよ。仕事は戻ってきてから、じっくり覚えましょう」
ナナエールは深く、深く頭を下げた。
こうして、彼は一度人間界の伯爵の元へ戻るという、奇妙な「帰還の旅」に出発することになったのだった。
夜。
別宅の居間に集まった誠とイリス、そしてガンダルフの三人は、静かにグラスを傾けていた。
「で、ガンダルフ。昼間に言っていた『向こう側の様子』は?」
誠の問いかけに、ガンダルフは険しい顔つきで飲みかけの酒を置いた。
「あぁ……。どうやら、明日にでもバイキング王ガッツエルグが、自らこの港へ訪問してくるらしい」
「いよいよか……」
グラスを握る手を見つめながら、三人は自然と【2年前のあの日】の出来事を思い起こしていた。
『バイキングが攻めてきたぞーっ!!』
見張り台からの悲鳴のような怒号が港に響き渡った、2年前のあの日。
海を埋め尽くすように押し寄せてきたのは、巨大な木製の筏で組まれた大艦隊だった。港湾をぐるりと取り囲み、その先頭で仁王立ちして指揮を執っていたのが、荒くれ者を束ねるバイキング王「ガッツエルグ」だった。
『バイキング王ガッツエルグ……』
当時、押し寄せる大船団を前にしても、誠は冷静だった。少し考え込むように顎に手を当て、傍らのガンダルフに尋ねたのだ。
『なあガンダルフ、バイキング領のさらに「向こう側」には何があるんだ? たしか、作物は育たない不毛の大地だと聞いていたんだが』
『あいつらは向こう側との間にある島を拠点にしているんだ。……だが、バイキングどもすら港に立ち寄りもしない、文字通り何もない死の土地さ』
『何もない不毛の大地、砂漠か……』
『まぁ、筏を作るための木は多少はあるが……それも俺たちが筏造りで片っ端から切り出ちまったからな』
ガンダルフの言葉を聞き、誠は琥珀色の酒をゆらりと揺らすと、不敵な笑みを浮かべたのだった。
『イリス! バイキング王ガッツエルグ率いる筏の船団の頭上へ、一発かましてやれ!』
『なっ……!? 誠、本気か! あいつらは言葉より先に斧が飛んでくるような荒くれ者だぞ!? 俺たちはそれが嫌で抜け出したんだ!』
狼狽するガンダルフに対し、イリスはどこか楽しそうに目を細めて詠唱を終えていた。
『ふふ……準備はできたぞ、誠。また何か、恐ろしい企み(おもてなし)があるのだろう?』
直後——海の上、遥か上空で巨大な火炎弾が弾け飛んだ!
頭上から降り注ぐ炎の雨に、木組みの筏は一瞬にして火に包まれる。パニックに陥ったバイキングたちは海へと飛び込み、こちら側があらかじめ用意していた船によって、残らず「捕虜」として引き揚げられたのだった。
当時はまだ、今の蒸気船に比べれば少し大きめの木造船ばかりだったが、圧倒的な魔法の威力と戦略の前に、バイキングたちは恐怖でガタガタと震え上がっていた。
……そして誠は、彼らをただ処罰するのではなく、一つの条件を出して釈放したのだ。
『お前たちの命は助ける。その代わり——あの「不毛の大地」の調査をし、私に報告せよ』と。
「……あの時は驚きで震えていた連中に調査を命じたが、あれからもう2年か」
回想から引き戻された居間で、誠は静かに呟いた。
そう——明日やってくるバイキング王ガッツエルグは、誠に命じられた「不毛の大地の調査報告」を携えて、この港へとやって来るのだ。
「なぁガンダルフ? 2年前に捕虜になった奴らが、俺たちのいまの『蒸気船』や『発展した港』を見たら、どう思うよ?」
「……ハッ、腰を抜かすどころじゃ済まねぇだろうな! 2年前の船とは比べものにならん鉄の巨船なんだからよ!」
ガンダルフは豪快に笑い飛ばした。イリスもまた、楽しそうに笑みを深める。
「ふふ……不毛の大地の調査報告か。誠のことだ、また何か面白いことを考えているのだろう?」
「企みなんて滅相もない。いくら不毛の大地と言ったって、土壌改良やインフラを整えれば宝の山に変わるかもしれないからな。それに……」
誠はグラスを傾け、キリッとした瞳を光らせた。
「荒くれ者ほど、美味い酒と飯、そして圧倒的な科学の力には弱いだろ?」
海の荒者たちすら巻き込んだ、誠の次なる大開拓構想。
2年の歳月を経て、再びまみえるバイキング王との対面を控え、誠の瞳には新たなる挑戦への闘志が宿っていたのだった。




