第32話 魔国の以上な発展
人間界の重税と荒廃した街並みに喘いでいた人々や、極秘調査のために派遣された人間界の斥候部隊にとって、境界の森を抜けた先に広がる光景はあまりにも現実離れしていた。
「……なんだ、この街は……? 本当に魔国の都市なのか……!?」
潜入した斥候の一人は、隠れ潜んだ路地裏から大通りを見渡し、言葉を失っていた。
そこに広がっていたのは、血生臭い蛮族の集落などでは断じてない。清掃の魔法道具によって塵ひとつ落ちていない石畳の街道、夜を優しく照らす魔導灯、そして人間と魔族が笑顔で肩を並べて歩く、絵本のような平和な街並みだった。
そして何より彼らの正気を揺さぶったのは、街中に漂う「恐ろしいほど芳醇な香り」だった。
誠のプロデュースと、彼が持ち込んだ「最高級の食材」によって発展した魔国の飲食店街。
そこから漂う肉の焼ける香ばしい匂いや、極上の出汁、焼きたてパンの香りは、空腹の斥候や流民たちの理性をあっさりと打ち砕いた。
変装して恐る恐る一軒の食堂に潜入した斥候は、出されたスープと肉料理を口にした瞬間、全身に電撃が走ったような衝撃を受ける。
「な、なんだこれは……!? 身体の底から力が湧いてくる……! 疲労が……長年の古傷の痛みまで消えていくぞ!?」
それもそのはず。誠の厳選した食材と調理法で作られた料理には、一口食べるだけで全身の魔力を活性化させ、体力を大幅に回復させる効果が宿っていたのだ。人間界では王侯貴族ですら口にできないような「神域の料理」が、魔国では誰もが日常的に味わえる大衆食堂で振る舞われている。
「おい、知ってるか? 魔国では住居も無償で提供されるらしいぜ」
「人間界の騎士団で命を張るより、ここで開拓作業を手伝うほうが三倍も給料が良いんだってよ」
店内の客たちが口々に語る驚愕の事実。
衛生的な住環境、治安の良さ、圧倒的に美味しい食事、そして何より「誠」という存在がもたらした豊かさ。
「……こんな場所を知ってしまったら、二度とあんな腐った人間界の本国になんて戻れるか……!」
調査報告を持ち帰るはずだった斥候は、その日のうちに人間界への任務を捨て、魔国の「移住申請窓口」へと並ぶことを決意していた。
本国がどれほど誠の奪還や魔国への牽制を画策しようとも、胃袋と生活環境を掴まれた人間たち自身が、次々と魔国へと寝返っていく。
誠の存在がもたらした「食と環境」の力は、一切の剣を振るうことなく、人間界の土台を内側から崩し始めていたのだった――。
捕虜とて、以前に釈放した斥候部隊の二名は既に魔国領へ入って誠街にある誠の別宅の隣に住み風呂屋の管理をしていた。
この二人はバイキングの角の生えたヘルメットがお気に入りで何時も被っている。
最初に彼らの目を奪ったのは、大規模な物流拠点として急発展を遂げた「誠街の港」だった。
かつて泥と潮臭さに塗れていた寂れた港湾は影をひそめ、石造りの巨大なクレーンや魔導昇降機が規則正しく稼働している。港には(バイキングの聖地)や(第三の四天王バドリック)の港から送られてきた珍しい食材や資材を載せた大型船が何隻も接岸し、活気に満ちあふれていた。船から揚げられた新鮮な魚介類は、誠の指導による魔法冷却陣によって獲れたての鮮度を保ったまま、次々と街へ運び出されていく。
港からイリス領地へと続く街道は、平坦に整地された美しい石畳がどこまでも伸びていた。
そして、その街道に並行して敷かれた黒光りする二本の鉄路――。
――シューーーッ! ガタゴト、ガタゴト……!!
白い蒸気を勢いよく噴き上げ、重厚な金属音を響かせながら疾走するのは、魔力と蒸気を動力源にした「蒸気機関列車」だ。
漆黒の車体を輝かせ、何頭もの馬を繋いだ馬車など比較にならない速度で大量の物資と人を運ぶ鉄の巨獣。線路沿いを歩く移住者たちは、地鳴りのような振動とともに通り過ぎる列車の圧倒的な威容に、ただただ唖然として立ち尽くすしかなかった。
しかも、新しく整備された道路は線路と立体交差するアンダーパスとなっており、道路が鉄路の下を潜る構造にすることで、事故を防ぐ安全面への配慮も徹底されている。
言うまでもなく、これもまた誠の発案によるものだった。
こうして、魔国へ通じるルートの中でも比較的魔獣の出現が少ないエリアが、着々とインフラ整備されていく。
——実は、人間界の偵察隊が「魔国国境付近の魔獣が減っている」と勘違いしていた真相はここにあった。
誠の手によって開拓と安全確保が進められ、道路工事や討伐・遠ざけ対策が徹底された結果、街道周辺の魔獣が自然と排除・管理されていたに過ぎなかったのだ。
長旅の疲れを癒やすために用意されたのは、一般の移住者向けに建てられた宿泊施設だった。そこに備え付けられた設備は、人間界の王族すら羨むほどの文明の極致だった。
「お、おい……! 蛇口をひねるだけで、いつでも温かい湯が溢れ出てくるぞ……!?」
広々とした清潔な浴室には、たっぷりと湯を湛えた大浴場や個別のバスタブがあり、冷えた体を芯から温めてくれる。
さらに彼らを最も驚愕させたのは、個室に設置された「ウォシュレット付きのトイレ」だった。
「レバーを押すと……あ、温かい水がお尻を綺麗に洗ってくれる!? 温水便座までついてるなんて……! 天国か、ここは……!」
人間界では貴族の館ですら臭いや衛生面に悩まされていたというのに、魔国のホテルでは臭いひとつなく、レバーを押すだけで自動洗浄まで行われる。
美味い食事、快適で高速な移動手段、そして衛生的に磨き上げられた完璧な生活空間。
誠がもたらした「現代の知恵」と魔国の技術革新は、戦わずして人間界の人々の心と胃袋、そして生活そのものを完全に魅了していくのだった――。




