第19話 新たな詠唱と魔法
その頃、人間界では、着々と魔国への侵攻準備が進められていた。
「将軍閣下。魔族討伐に向け、かねてより重ねてまいりました偵察によって、いくつか判明したことがございます」
「言ってみろ」
「はっ。魔国領内への侵入が、以前にも増して容易になっております」
「ほう……」
「国境付近のジャングル地帯に生息していたはずの魔獣が、著しく減少しているようなのです」
「それは……攻めやすくなったということか?」
将軍は、満足そうに頷いた。
「はい。魔国側も魔獣の管理がおろそかになっているのか、あるいは餌となるものが尽きたのか……原因までは分かっておりません。しかし、いずれにせよ、最近はあちら側からの監視の目も、すっかり途絶えているように感じられます」
「ふむ……」
将軍は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「そこで、ひとつご提案がございます」
「申してみよ」
「この好機を逃さず、勇者パーティーを魔王討伐へ送り込んではいかがでしょうか」
将軍の目が鋭くなる。
「少数の精鋭兵を護衛につけ、魔国へ潜入させます。国境付近の警戒が薄れている今なら、魔王城まで到達できる可能性も十分にあるかと」
「なるほど……」
将軍は、再び深く頷いた。
「では、勇者たちを呼べ。魔王討伐の準備を進めるのだ」
「はっ!」
こうして人間界では、魔国の実情を知らぬまま、勇者パーティーによる魔王討伐計画が動き始めた。
◇
「イリス隊長! 魔獣の群れの向こう側に、『ツノナシ』が数人、苦戦している模様です!」
「ほう、珍しいな。人間どもの斥候部隊か。偵察にでも来たのだろう」
イリスは遠くを見やると、静かに息を吐いた。
「どれどれ……。このあたりの環境を壊したくはないな。なら、上空へ一発仕込むとするか」
そう呟くと、イリスは左手の中指にはめた指輪を掲げ、拳を上空へ突き上げた。
そして、鋭く詠唱を紡ぐ。
「――『双環の焔』! 穿て、ヴァーミリオン・リンク!!」
次の瞬間――。
以前、誠から屋敷の庭で贈られたあの夜の火力を、さらに数段上回る極大の炎が放たれた。
天を突く巨大な火柱が上空を真っ赤に染め上げる。
凄まじい熱波が周囲へと押し寄せ、空気が震え、森が揺れ、大地までもがガタガタと激しく揺れ動いた。
――ゴゴゴゴゴゴッ!!!
空を焦がす規格外の光景に、人間の斥候も魔獣の群れも、何が起きたのか理解できない。
次の瞬間、双方とも一斉に逃げ出した。
まるで蜘蛛の子を散らすように、我先にとその場から離れていく。
そして――。
それを見上げていたイリスの部下たちも、言葉を失っていた。
誰一人として声を発することができない。
ただ、あんぐりと口を開けたまま、呆然と立ち尽くしている。
「…………」
「…………」
その場にいた全員が、同じことを考えていた。
――環境を壊したくないから上空に撃った……?
いや。
これは本当に環境破壊になっていないのか?
※ ※ ※
逃げ惑っていた人間界の偵察隊は、命からがら国へ戻ると、すぐさま魔国で起きた出来事を報告した。
「上空から、突然、我々の頭上めがけて凄まじい火炎魔法が放たれました。その影響で、周辺にいた魔獣どもまで恐れをなして逃げ去っていきました!」
偵察隊長は、息を整える間もなく報告を続ける。
「……もう少しで我々が魔獣を討伐できるところだったのですが、あの魔法をまともに受ければ、この大陸ごと消し飛びかねません」
そこまで言うと、偵察隊長は一度息を呑んだ。
「そもそも、空を覆っていた雲が一瞬で吹き飛び、赤黒い巨大な火球が現れたかと思えば、次の瞬間には雲一つない快晴になっていたのですから……。実に恐ろしい光景でした」
「あれが着弾していれば大惨事になるところでした」
そして、最後に強く訴える。
「当面の間は、我が偵察隊を派遣し、慎重に魔国の動向を探るのが賢明かと存じます!」
報告を聞いた部隊総司令官は、険しい表情で深く頷いた。
「うむっ……それは穏やかではないな。よし、引き続き報告を待つ」
「はっ!」
敬礼をして部屋を退出する偵察隊長。
だが、その胸中は焦燥に駆られていた。
(クソッ……。あの巨大な火炎魔法をまともに喰らえば、絶対に魔国には勝てない! なんとかしなければ……。今の人間界の技術で、あれほどの攻撃力を打ち消すか、あるいは対抗できるだけの兵器を作らなければ手遅れになる!)
危機感を募らせた偵察隊長は、その足で司令部の武器開発課へと向かい、開発課長との緊急会合を求めた。
「初めまして、開発課長。私は偵察隊長のイーゼンハイムと申します」
「お初にお目にかかります、イーゼンハイム隊長。武器開発課長のリボルバーです」
挨拶もそこそこに、イーゼンハイムは本題を切り出した。
「実は、我が部隊が斥候として魔国近くの森林で魔獣討伐を行っていた際、魔国側から放たれた凄まじい火炎魔法を目撃したのです」
「火炎魔法……ですか?」
「はい。あまりにも巨大で、これまで我々が確認した魔法とは比較にならない規模でした」
イーゼンハイムは、身振りを交えながら続ける。
「魔族に、それほどの威力を持つ魔法を扱うことが可能なのか。それとも、我々の知らない未知の兵器や魔法が存在するのか……。専門家であるあなたの見解を伺いたく、参りました」
話を聞いたリボルバーは、興味深そうに顎へ手を当て、しばらく思案した。
「……私の知る限り、個人の魔力や従来の兵器で、そのような威力を出すことなど到底あり得ません」
「では……」
「ですが、仮に何らかの特殊な『魔力増幅装置』が存在するか、あるいは新兵器が投入されたのだとすれば、可能性がゼロとは言い切れないでしょう」
リボルバーは、そこで一度言葉を切った。
「もっとも、これまでの解析データから判断すれば、どちらも限りなく可能性は低いですが……」
「では、いったい何だというのです?」
「どちらかと言えば……自然現象である可能性のほうが高いでしょうな」
「自然現象……?」
イーゼンハイムは、思わず眉をひそめた。
「ええ。少なくとも、我々が知る兵器や魔法の原理からは説明がつきません」
そう言ったリボルバーだったが、ふと思い出したように話題を変えた。
「それより、勇者パーティーが近々、魔王討伐へ向かうと聞いておりますが」
「ああ、その件ですか」
「確か、少数の護衛隊を編成することになるとか。そんな話が出ているようです……」
「はい。その件についても、近いうちに正式な命令が下るでしょう」
イーゼンハイムはそう答えながらも、以前、見た巨大な火球のことが、頭から離れなかった。
――あれが自然現象だと?
どうしても、そうは思えなかった。




