第18話 魔王城の引っ越しか?
イリスが温泉施設をオープンした。
朝から長蛇の列ができている。
「嘘だろ……。風呂に入るだけで、これだけ並ぶのか?」
イリスと二人で、その盛況ぶりを確認すると、あとは雇ったスタッフたちに任せ、転移陣で中央都市へと向かった。
目的は、魔王様との謁見である。
案の定、あの“欲しがり魔王”が、西の四天王・バドリックからジンギスカンの話を聞きつけたらしい。
イリスが魔法で改変したのは「ビール」に関する記憶だけだったため、肉の存在までは隠しきれなかったのだ。
こうなっては仕方がない。
俺は観念し、魔王様の前に立っていた。
「魔王様、肝心の肉はあるのですか?」
誠が尋ねる間もなく、執事が羊肉を用意し、目の前へと運んできた。
「誠よ。お前は一体、どれだけの知識を隠しておるのだ? あまりにも多くのことを秘めているようじゃが?」
「いえいえ! 隠しているなど、とんでもございません。私の田舎の常識と、こちらの常識に、ほんの少しギャップがあるだけにございます」
「ふむ……まあ、よい! ところで話は変わるが、イリスがつけている、その指輪についてなのだが……」
(あ、やばい!)
慌てた誠は、思わず口を挟んだ。
「魔王様! それはですね、ただの安物でして……!」
「何? お前はイリスと添い遂げる約束を、そんな安物で済ませたというのか?」
「えっ!?」
そこへ、イリスが慌てて割り込んできた。
「魔王様! この指輪は、誠が大切にしていた先祖代々の家宝だそうで……! それをあえて安物と言ったのは、私を最大限に愛し、謙遜しているからに過ぎないのです! ……きっと! だよね、誠!?」
イリスは強引に話を取り繕った。
「ふむ、そうだったか」
魔王様も、それ以上は深く追及しなかった。
こうして、指輪の秘密――その特殊な効果については、何とか切り抜けることができた。
「で、だ」
魔王様は、目の前に用意された羊肉へ視線を向ける。
「次に、その焼いた肉につけて食べるという『タレ』の話じゃ。それが今日の本題だ!」
やはり、そこに食いついてきたか。
すかさずイリスが口を開く。
「魔王様、このタレは秘伝の製法で作られており、非常に高価なものなのです」
「ほう……秘伝とな?」
魔王様の目が輝いた。
イリスの言葉に興味を示しながら、魔王様は焼き上がった羊肉を箸でつまみ、タレをたっぷりとつける。
そして、一口。
――その瞬間だった。
「……美味い! これ一瓶で、金額はいくらじゃ!?」
「金額、ですか……」
誠の顔が引きつる。
(えっと……金貨一枚で二十本くらいか?)
誠がイリスの耳元で、こっそりと相談する。
すると、イリスは小声でピシャリと言い返した。
(一本だ!!)
「一本、金貨一枚です!!」
驚きのあまり、誠の大声が、道場ならぬ謁見の間に響き渡った。
「よし、決まりだな!」
魔王様は上機嫌で、満足そうに頷いている。
(マジかよ……。商売上手すぎるだろ、イリス……)
誠は心の中で頭を抱えた。
それもそのはず。
この魔国において、金貨一枚とは高級住宅が一軒買えてしまうほどの大金なのだ。
一本のタレが、高級住宅一軒分。
それを魔王様は、何の迷いもなく買うと言っている。
――この出来事を皮切りに、四天王の一角であったイリスの存在感は、他の三人を遥かに引き離し、圧倒的なものとなっていった。
誠がこの地にやって来る前は、東西南北、どの領地もほぼ同等の規模と生活水準だった。
しかし今や、南の領地だけが異常な速度で発展を遂げている。
人口も急激に増加し、ついには中央都市に次ぐ、魔国第二の大都市へと成長していた。
さらに、豊かになった南の領地は、その版図を南へ、南へと広げていった。
そしてついに――。
広大な「海」へと到達したのである。
さすがに海の先へ領地を広げることはできない。
だが、そこには今まで誰も手をつけていなかった新たな資源があった。
――海産物である。
まず目をつけたのは、豊富に生息していた「魚」だった。
さっそく、南の領地から中央都市の魔王城へ向けて、魚の出荷が始まった。
魚といえば、刺身。
そして、刺身といえば――そう。
「醤油」である。
……とはいえ、海辺の町からイリスの町、ましてや中央都市まで運ぶとなると、さすがに鮮度の問題がある。
そこで、まずは干物に加工して出荷することになった。
海には、魚だけではない。
海藻もまた、驚くほど豊富だった。
今まで誰も見向きもしなかった海の資源が、次々と新たな産業へと変わっていく。
さらに、イリスは海辺の土地を格安、あるいはタダ同然で人々に提供した。
すると、あちらこちらから人が集まり始め、住み着く者も増えていった。
家が建ち、店ができ、港には漁を終えた船が並ぶ。
海辺の町は、瞬く間に活気に満ちあふれていった。
そんなある日のこと。
誠はイリスから、突然こう告げられた。
「誠、魔王様のところへ向かってほしいの」
「今度はなんだ?」
誠は嫌な予感を覚えながら、イリスの顔を見つめた。
※ ※ ※
イリス自身も、呼び出された理由までは知らないようだった。
誠は、とてつもなく忙しかった。
それでも、魔王様からの呼び出しとあっては断るわけにもいかない。
イリスと共に転移陣を使い、魔王城の謁見の間へとやって来た。
「誠よ、頭を上げよ!」
魔王様は、いつになく上機嫌だった。
「最近は、魚の干物なるものまで作っておるそうだな。先だって口にしたが、なかなか美味であったぞ!」
そのまま勢いよく捲し立てる。
「それにだな、お主が運んでくる食材を食べ始めた兵士たちが、口々に言っておるのだ。魔獣の討伐が以前より簡単になったとな」
「魔獣討伐が……ですか?」
「うむ。どうやら、その食事を摂った日に限るようなのだが……。こちらでも詳しく調べさせてみたところ、お主が提供している食材や料理を食べた兵士たちは、なぜか通常の二倍以上の魔力を発揮できることが分かったのじゃ!」
誠は思わず目を見開いた。
「二倍以上……?」
「そうなのだ!」
魔王は、ひとしきり感心したように頷く。
「それならば、イリスが規格外の強さになったのも頷けるというものじゃ!」
(いや、それは食事だけが理由なのか……?)
誠は心の中でツッコミを入れたが、口には出さなかった。
そして、魔王はようやく本題を切り出した。
「それでだな――」
魔王は、満面の笑みを浮かべる。
「お主らも、イリス共々、中央へ引っ越してこられないか?」
「え?」
「……と言うよりもだ!」
魔王は勢いよく身を乗り出した。
「いっそのこと、魔王城そのものをイリス領との境目まで引っ越させようと思う!」
「……はい?」
「そして、お主らも、その隣にイリス城を築いてはどうかという提案なのじゃ!」
誠は、しばらく言葉を失った。
――隣同士に城を建てるメリットなんてあるか?
喉まで出かかったツッコミを、誠はなんとか呑み込むのだった。




