第17話 イリス、街に風呂屋を作る
「豪腕のガルバ王……何かが違う?」
「第二の四天王・モザリエル……何かが違う?」
そして――第三の四天王・バドリックも、同じようなことを感じ始めていた。
バドリックが治める西方領地は、イリスの南領地と隣接している。
比較的山間に位置する領地ではあるものの、開けたイリス領に最も近い場所に都市を築き、領地を治めている王である。
そんなバドリックが、以前行われた模擬対抗戦の礼を兼ねて、わざわざイリスのもとを訪ねてきた。
魔王城からの帰り道に立ち寄ったらしい。
しかも手土産だと言って、西方でしか育たないという山羊を一頭分、丸ごと担いで現れたのだった。
イリスには事前に話が通っていたようだが、俺はちょうどイリスと行き違いになっていたため、バドリックが到着してから初めて知らされる始末だった。
だが――。
俺の心は、高鳴っていた。
(山羊の肉……!)
肉を見た瞬間、俺の頭に浮かんだのは、かつて北海道で食べたジンギスカンだった。
もしや、あの味をここでも再現できるのでは……。
そう思うと、ワクワクして胸が躍る。
とはいえ、内心の歓喜をぐっと押し隠し、俺はイリスとともにバドリックを出迎えた。
ところが、話を聞いてみると、バドリックが本当に興味を持っていたのは、別のものだった。
魔王様から聞いていた「石鹸」と「シャンプー」。
一体どんなものなのか、実際に確かめたくて仕方がなかったらしい。
俺はイリスに頼み、大浴場を案内させる。
さらに、世話係を通して使い方を教えさせたうえで、ゆっくりと湯を楽しんでもらうことにした。
すると――。
バドリックは、湯船からまったく出てこない。
「バドリック様、そろそろ……」
「うむ……もう少しだけだ」
そんなやり取りを何度か繰り返しているうちに、気づけばすっかり夜になっていた。
その間、俺はもらった肉を細かく切り分け、野菜を用意する。
さらにビールと、自作のベル風ジンギスカンのタレをテーブルに並べ、夜食の準備を整えていた。
やがて風呂から上がってきたバドリックに、俺は声をかける。
「バドリック王、風呂上がりに一杯いかがですか?」
「おお、それはありがたい!」
家族やメイド、お付きの者たちも席に着かせる。
そして俺は、適当な理由をつけて乾杯の音頭を取った。
「それでは、西と南のさらなる発展を願って!」
「乾杯!」
グラスが一斉に打ち鳴らされる。
バドリックは、どうやら隙を見て石鹸の交渉に入るつもりだったらしい。
ところが――。
ビールを一口飲み、続けて自分が手土産として持ってきた肉の焼き上がりを口にした、その瞬間だった。
「……ッ!」
バドリックの大きな目が、さらに大きく見開かれる。
そして――。
「こ、これは……!!」
驚愕の声が、部屋中に響き渡った。
「な、なんじゃこれはーっ! ここは一体何なのだ! 何もかもが規格外ではないか!」
バドリックの絶叫が、部屋中に響き渡った。
その時、俺はふと気づいて、青ざめた。
(やばい……! 魔王様にビールをご馳走するのを忘れて、先にバドリックに出しちゃった……!)
俺は隣にいるイリスに、こっそりと相談する。
「……どうしよう?」
「成り行きだ。仕方あるまい」
イリスは、あっさりとそう言った。
その言葉を聞いて、俺は少しだけ安心した。
だが――。
相手は、あの“欲しがり魔王”である。
バドリックがビールの存在を知った以上、魔王様の耳に入るのも時間の問題だろう。
(これは……先手を打っておいたほうがいいな)
俺は密かに気を引き締め直し、魔王様が何を言い出すのかを想像しながら、次の対策を考え始めるのだった。
※ ※ ※
翌朝。
昨日食べた肉の話になり、イリスが提案してきた。
「昨日のあの肉なら、今度偵察に出た時に狩ってきてやるぞ」
「確かに西の山間にはたくさんいる。群れから離れた親羊や子羊なら、境界線あたりでもたまに見かけるからな」
「そうか。できれば、生きたまま数頭ほしいんだが……どうだ?」
「生きたまま? どうするつもりだ?」
「もちろん、この屋敷の広い空き地で放牧するのさ。何も使っていない場所があるだろう? そこに放しておけば、食べたい時にいつでも食べられる」
「なるほど。悪くない話だな」
「一気に連れてこなくても、つがいがいれば勝手に増えていくだろうしな、それに絶品だしな!」
「ところで、魔王様へのビールの件だが……一応、バドリックには口止めしておいたぞ」
「ん? あれは口止めとは少し違う気がしたが……」
俺は昨日の出来事を思い出した。
「『幻術』って、誠からもらった指輪の効果だと思うんだが……ビールを飲んだこと自体を、『最初からこの土地特産のワインを飲んだ』と認識するように改変していたんだろ?」
「ああ。あそこにいた従者たち全員にな。まあ、お前と家族には使っていないが」
「……なら、魔王様にバレる心配はなさそうだな」
「それより、バドリックの奴、お礼に今度は何かを送るとか言っていたぞ」
「ああ。風呂に入れる魔法の粉をあげて、本当に良かったのか?」
「あぁ~、温泉の素――バスグリーンのことか! 緑の香りのやつだな」
「そう、それだ」
「極大サイズだから、しばらくは保つだろう。うちには、よりどり五十種類の温泉の素があるからな。毎日日替わりで楽しめるし、効能が有るからな」
「そういえば、週に一度の『温泉開放日』は、朝からすごい人数が押し寄せているようだな。来月からは有料の定期券を発行するんだろう?」
イリスは街の中心部に温泉施設を計画しており、来月からオープンさせる予定だった。
「ここは、やはり家族と俺たちだけで使いたいからな。自宅の敷地内だし」
「一応、定期券と言ってもタダみたいなものだ。一回分の入浴料で、一ヶ月間使い放題なんだから」
「それなら、利用する側も助かるな」
「人件費だって、風呂番を三人雇って交代で働いてもらうパートタイムだしな。なんせ仕事を終えれば、ただで入浴して帰れるんだ。安くてもやるさ」
「そっか。上手くやってくれ」
誠はそう言いかけて、ふと思いついたように付け加えた。
「それなら、風呂上がりの牛乳は必須だな」
「ぎゅうにゅう? 牛の乳を冷やしたやつか? この辺では見かけないな」
「よし、それも探してみるか……」
また一つ、新たな課題――いや、やりたいことが増えてしまった。
俺はそんなことを考えながら、少しだけ苦笑するのだった。
※ ※ ※
「たまには男同士、ゆっくりお湯に浸かるのも良いだろう」――そう思い、俺はグーズ、ジョンソン、レイピウスの三人を風呂に招待していた。
「先生、この風呂のお湯、何か違いますね」
「おっ、分かるかジョンソン! この湯には効能があるからな」
「ところで、この前渡した資料は読んだか?」
俺の問いかけに、三人は元気よく「ハイ!」と返事をした。
それからというもの、柔道の基本から技の組み合わせまであれこれと議論が弾み、夜が更けるまで話は尽きなかった。




