第96話 キャット空中1回転
アズキさんが「はぁ……」と大きな溜息をつくと同時に、部屋の入り口の障子がバーンという大きな音と共に左右に吹き飛んでいった。
「タマキィぃぃぃぃぃぃぃーーー!!!!!」
「あああぁぁぁ!!」
耳があぁぁぁ!!!
鼓膜がぁぁぁ!!!
障子の破壊された音なんて比較にならない程の大きな声が室内に轟いた。
耳を押さえながらその大声の主を見ると、入り口の鴨居から身をかがめて中を覗き込んでいる巨大な猫獣人の男がいた。
ぼさっとした髪は、その左半分が白で、右半分が黒のツートンカラー。
ラフな着流しの恰好をしているが、その胸元から覗く筋骨隆々の逞しい肉体は犬獣人のポチさんや、さっきのミノスさんよりも遥かに立派に見える。
顔にはぎょろりと大きく見開かれた血走った目に真っすぐに鼻筋の通った立派な鼻。はあはあと荒い呼吸をしている口からは鋭い犬歯が覗いていた。
猫獣人?狼獣人じゃなくて?
結局のところ、この人の見た目を一言で言うなら――「怖い」だ。
見た目はタマちゃんやアズキさんと同じ人間の様に見えるが、それを十二分に無かったことに出来る程の野生を感じる。
もし道でこんな凶暴な顔をした野良猫に出会ったとしても、「おいで~」なんて声は絶対にかけない。手なんて差し出したら絶対にガブリとやられるに違いない。
「おおぉぉぉ!!本当にタマキではないか!!」
しかし、そんな恐ろしい顔はタマちゃんを見た瞬間に歓喜の笑顔に変わった。
まあ、タマちゃんは何事も無かったかのようにアズキさんの方を向いたままなので顔は見えていないのだけれども。
ちなみに、まだ耳がキーンとしているから大男の大声も今はちょうど良い声量に聞こえる。
あ、ロリ様とバックスさんは最初の大声で意識を飛ばされて倒れているみたいだけど。
「――あなた」
「タマキよ!よくぞ戻った!!父はこの日をどれだけ待ちわびたか!!」
「あなた」
「もうどこにも行くんじゃないぞ!!ああ、そうだ!!この先も嫁になど行かずとも良い!これからもずっとこの屋敷に――父の下におれば良いのだ!!」
「あ!な!た!」
アズキさんの声のトーンが恐ろしく下がる。
そしてそれに合わせるように、部屋の温度が一気に氷点下まで下がったような寒気がした。
部屋の隅に控えていた子猫さんなんて丸まって震えている。
「なあ、アズキよ!お主もそう思わ……ない……か……」
そこでようやくこの馬鹿親父も状況を把握したようだ。
アズキさんの凍てつくような視線の直撃を受けて、タマちゃんのお父さんは額から汗を大量に流し始めた。
「タマキのご友人の方が来られている前で、そのあまりにも礼節を欠いた態度……」
「……え!?タマキの友人!?」
そこでようやく耳を押さえたまま自分を見ている俺と、その隣で静かに倒れている2人に気付いたようだ。
「タマキの……友人?」
「それがこの由緒あるモフリーノ家の者としての――そして、この国の王弟たる者の客人に対する態度でしょうか?」
今さらっととんでもないこと言ってなかった?
王弟?このおっさんが?
てことは、タマちゃんはその娘ってこと?王族なの?
アズキさんは全身から冷たい怒りのオーラを立ち昇らせながら、その怒りを押し殺したような低い声をおっさんに向けた。
「キジ、サバ」
「はっ!!」
アズキさんの声に反応するように、2人の猫獣人の男がどこからともなく現れ、おっさんの両腕をがっちりと掴んだ。
「おい!ま、待て!俺が悪かった!!お前らも放せ!!」
「マダラ様。アズキ様のご命令ですので、どうかご容赦ください」
「ぬおっ!くそっ!動かん!!」
体格では明らかに勝っているおっさん猫だったが、どれだけじたばたとしても2人はまるで動じることなく腕を掴んだまま微動だにしなかった。
身体強化か何かのスキルかな?それともレベル差?
「覚悟はよろしいですね?」
そう冷たく言い放ったアズキさんは、いつの間にか立ち上がっておっさんを睨みつけていた。
背中に牙をむいた青い猫のオーラが見える。
「ア、アズキ!待て!話せば分かる!」
「いいえ、離しませぬ」
「違う!今のはお前たちに言ったんじゃない!!」
アズキさんの姿が一瞬ブレる。
いや、ブレて見えているのは、アズキさんが静の状態から予備動作なく高速で動いたために俺の目に残った残像だ。
僅かに感じたのはアズキさんが上に向かって跳び上がるように移動したという気配。
反射的にそちらに視線を向けると、俺たちの真上でくるっと回転しながら天井を蹴るアズキさんの姿が見えた。
その動きは軽やかで優雅。
本当の猫のようなしなやかな動きで天井を蹴ると、その飛び上がった勢いが嘘のように軽い「とん」という音がした。
そして――
「ぐぶおぉぉぉぉ!!」
アズキさんの流星のような跳び蹴りがおっさんの左頬に炸裂した。
おっさんは大きな悲鳴を上げながら地面を転がるように吹っ飛んでいく。
そして遠くで何かが水に落ちる音。
庭の池で大きな水柱が上がった。
「2人ともご苦労様でした」
「いえ、これも務めですので」
おっさんが蹴り飛ばされる瞬間に手を放して巻き添えを喰らわなかった2人は、これがさも当然という顔でアズキさんに頭を下げている。
「お客人にお見苦しいものをお見せして申し訳ございませんでした」
アズキさんはこちらへ向かって涼しい顔で何事も無かったかのようにそう言った。
お見苦しいのは今の一連のやり取りなのか、それともあのおっさんの存在そのものなのか……。
そしてタマちゃんもまたアズキさんと同じように、この部屋では何事も無かったかのように前を向いた正座の姿勢を崩していなかった。
何事もいっぱいあったよね?




