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人質王女は幼馴染の国王の執着から逃れられない  作者: 狭山ひびき


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逃亡の果てに 5

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 特にすることもなくのんびりしていると、一時間も経たないうちに誰かがやって来た。

 ノックもなく部屋の扉を開けた人物を見て、わたしは大きく息を呑む。


「お兄様!」


 思わず声を上げると、アーネストお兄様は軽く目を見開いた後で、その目をすっと細めた口端を持ち上げた。


 ……お兄様?


 目の前にいるのはお兄様だ。わたしがお兄様を間違えるはずがない。

 だけど――何か、変だった。

 口端を持ち上げて、微笑んでいるように見えるのに、全然笑っているように見えない。

 お兄様の綺麗な青い瞳は心なしか黒い色を宿しているような気がする。


 ううん……表情が、暗いんだわ。

 無理矢理口端を持ち上げているだけで、お兄様はまったく笑っていなかった。

 わたしの前では微笑んでいることが多かったお兄様が――である。


 ソファに座ったまま固まるわたしに、お兄様がゆっくりと近づいてくる。

 お兄様なのに、なんだか知らない男の人のようだ。

 ちらっとそんなことを考えてしまったからだろうか。伸ばされたお兄様の手に、びくりと肩を震わせてしまう。


 すると、お兄様がすっと表情を消した。

 無理矢理笑おうとしているように見えた口元すら、表情がなくなる。


「カレン」


 低い声で呼んで、お兄様がわたしの両方の手首をつかむと、ころんとソファの上に押し倒して来た。

 わたしの上にのしかかって来ながら、表情のない顔でじっと見下ろしてくる。

 お兄様の大きくて少し骨ぼったい手が、わたしの頬を、少ない産毛を逆立てるように撫でた。

 ぞくりと、わたしの背筋に今まで感じたことのない怖気ような、それでいて違うような何かが這い上がる。


「怯えた顔をして……私のことがそれほど怖いかい?」

「ち、違っ」


 怖いのではない。

 怖いのではない、はずだ。

 わたしがお兄様を怖いと思うなんてあり得ない。


 それなのに――どこか、お兄様を怖いと思ってしまっている自分がいた。

 だって、目の前のお兄様は、この十年、わたしの隣で微笑んでいた彼とはまるで違う人のように思えたから。


「手紙を読んだよ、カレン。私のものを出て行くことにしたと書かれていた、手紙を」


 その手紙を読んだのなら、どうしてこれほど暗い顔で、わたしを抑えつけているのだろう。

 暗くて怖くて、怒っているようで、だけど悲しくて寂しくて……そんな、いろんな負の感情がぐちゃぐちゃになったような顔で、どうしてわたしを見下ろしてくるのかしら。


「カレンは私ではなくグラッドウィンに縋ったんだね」

「ち、違います!」

「違わないだろう?」


 わたしは正しい情報を手紙に書いたはずなのに、アーネストお兄様はあり得ない勘違いをしている気がする。


「わたしはお互いの国のために……っ!」


 そう、ノウェスナー国とフェアクロフト国の関係に亀裂が入らないようにするために。

 お兄様の邪魔をしないために。

 本当はずっとずっと、許される限りお兄様の側にいたかったけれど、それが無理だとわかったから、覚悟を決めて離れたのに。


 それなのに、わたしの主張は、「はっ」という息を吐くようなお兄様の笑い声の前に切り捨てられる。


「結局、カレンにとって私はその程度だったということだ。カレンは私よりも国が大切なのだろう。国のためになら、私なんて簡単に捨てられる」

「捨ててなんて……!」

「捨てたじゃないか。私に黙って、あんな手紙一つ残しただけで勝手に私の前から消えて。私ならきっとわかってくれる? 馬鹿にしないでくれ。私からカレンを奪うのが国なら、私はこの手で滅ぼしたって構わない」


 ……なにを、言っているの?


 アーネストお兄様の言うことがわからなくて、わたしは軽く混乱する。

 そんなわたしの頬を撫でながら、お兄様が暗い顔で微笑んだ。


「でも、可哀想にね、カレン。私はお前を逃がしてなんてやれないんだ。……誰にも渡さないし国にも帰さない。……私の側から離れないのならば、翼をもがずにいてあげたのに、残念だね、カレン」

「……おにい、さま……?」


 お兄様がわたしの額に羽のような軽いキスを落とす。

 そして、ふにっとわたしの唇を親指で押すと、自嘲するような顔で言った。


「もう少し待っておいで、カレン。全部片づけたら、永遠に、私の腕の中に閉じ込めてあげるから」





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