逃亡の果てに 3
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夕方になって、わたしは今夜泊まる予定の町に到着した。
道案内の女性が宿をとってくれて、わたしは夕食の後で手紙に取り掛かる。
宿の部屋はいい部屋を取ってくれたみたいで、結構広い。
机もあったので、手紙を書くのにちょうどよかった。
道案内の女性と護衛の男性は別室を取っているので、この部屋にはわたししかいない。
離宮では着替えもお風呂も一人でこなしていたし、着替えやすい服を選んで持って来ていたからその点は問題なかった。
馬車の中で書く内容は決めていた。
わたしはお兄様から頂いた薄ピンク色の便箋に、さらさらとお父様たちへ宛てた手紙をしたためる。
そしてインクが渇いた後で封筒に入れて封をすると、それを持って部屋を出た。
なんと、この宿には郵便の回収ボックスが設置されていたのだ。
わざわざ郵便屋さんを探して回らなくてよくて助かった。
わたしは一階に降りると、カウンター横の郵便の回収ボックスに手紙を入れ、部屋に戻る。
そしてベッドにもぐりこんだけれど……、目を閉じると、お兄様のことばかり考えてしまって、なかなか寝付くことができなかった。
☆
それは、城を出発して五日目の夜のことだった。
今日はクラム伯爵領内にある宿に宿泊することになった。
クラム伯爵は、ラングトン公爵家派閥の伯爵家だ。
城からノウェスナー国へのルートはグラッドウィン殿下が設定したそうなので、必然的に母方の実家であるラングトン公爵家と所縁のある地を経由することが多い。
……わたしが使わせてもらっている馬車もラングトン公爵家のものだものね。
王太后アナスタシア様のことや離宮でのいじめの件があったから、ラングトン公爵家と聞くとどうしても身構えてしまうけれど、彼等もわたしがこの国から出て行くのなら協力も辞さないと言うことだろう。
グラッドウィン殿下同様、彼等にとってもわたしは邪魔で仕方がない存在だったのだから。
宿に到着したわたしは、やはり今日も一人ですごしていた。
城に移ってからは常にダイアナが側にいてくれたので、部屋で一人きりになると寂しさが募る。
ダイアナとおしゃべりしていると、暇を見つけては突撃してくるお兄様も、当然のことながらここにはいない。
離れてみたら、よくわかる。
あの場所がどれだけ、わたしにとってかけがえのない場所だったのかが。
一人で入浴をすませてベッドにもぐりこむ。
今日は、夕方から雨が降りはじめていた。
日が暮れるにつれて雨足は強くなり、風もあるのか、雨粒が窓を叩く激しい音がする。
まるで嵐のような雨の降り方に、わたしはちょっとだけ怖くなった。
……こんなに雨が降っているのは、あの日みたい。
お母様から頂いたブローチが離宮のメイドに窓から投げ捨てられた、あの日。
メイドたちの嘲笑が耳の奥に蘇って、それからお兄様が雨の中ブローチを探しに出かけてくれた姿を思い出す。
嵐の日は、悲しくて優しくて、ちょっぴり不安になる。
あの日も、お兄様がブローチを見つけてくれて嬉しかったけれど、激しい雨に降られながら、いつまでも帰って来てくれない姿が不安だった。
雨が、お兄様を攫って行くみたいに思えて。
わたしは雨の音をできるだけ遮ろうと、頭のてっぺんまでシーツをかぶる。
こうしていると、少しだけ音が和らぐのだ。
しばらくそうしていると、少しずつ眠気が襲って来た。
日中はずっと馬車に揺られているから、体力も奪われているのだろう。
城を出た直後よりもずっと疲れが溜まっているのがわかる。
微睡んでいると、意識が夢の中に落ちて言っているからか雨の音がどんどん遠ざかる。
わたしが、眠りに落ちようとした、そのときだった。
突然、廊下のあたりで大きな音がした。
複数人の足音がして、驚いて飛び起きたわたしは、シーツを握り締めて固唾をのむ。
今は夜だ。
外は雨。
この足音は、普通ではない。
……一体何なのかしら。
わたしが泊っている部屋は最上階だ。
わたしのほかには、道案内の女性と、それから護衛の男性しかこの階には泊まっていない。
わたしは不測の事態に備えて、ちらりと窓を見た。
雨はまだ激しく降り続いている。
バルコニーはあるけれど、最上階なので飛び降りるのは不可能だ。
非常階段は、部屋を出て、廊下の突き当り。
部屋を出るには、複数人の足音が聞こえる廊下に出るしかない。
現状で、わたしの足で逃げるのは不可能。
ならば、バスルームはどうだろう。
バスルームに入って、内鍵を閉めれば時間が稼げるだろうか。
だけど、バスルームに逃げ場はない。もし扉が破られれば袋のネズミだ。
……ううん、今のこの状況でも袋のネズミなのは変わらないわね。
ならば、多少なりとも時間が稼げる方を選ぼう。
もしかしたら、足音がしただけで、わたしの部屋に押し入ろうというわけではないだろうし。
こんな夜に理由もなく複数人の足音がするはずがないので、この階で狙われるのはわたしである可能性が高いだろうが、思い過ごしと言う可能性もゼロではあるまい。
わたしはそう決めると、足音を殺してバスルームへ向かった。
部屋の内鍵もかけてあるので、押し入るにしても時間がかかるだろう。
バスルームへ向かうと、わたしは内鍵をかけて、扉の影になるところで膝を抱えて息を殺す。
しばらくすると、がちゃがちゃと部屋のドアノブが回される音がした。
「この部屋だな?」
知らない男の声がする。
「ええ、こちらの部屋です」
男に答えた女性の声を聞いた瞬間、わたしは大きく目を見開いた。
あの声は、道案内の女性の声だ。
……ああ、そういうことね。
わたしは悟った。
はじめから、仕組まれていたことなのだ。
グラッドウィン殿下は最初から、国にとって邪魔なわたしをノウェスナー国に追い返すのではなく、消し去ろうと考えていたのだろう。
ここはクラム伯爵領。ラングトン公爵家派閥の貴族の領地だ。
わたしは、グラッドウィン殿下にきっとよく思われていない。
わたしのせいで王太后アナスタシア様が北へ追いやられ、お兄様がいつまでも妃を迎えようとしないから。
そして、わたしがノウェスナー国の王女だから。
グラッドウィン殿下がわたしに向ける視線が冷たいのには、子供の頃から気づいていた。
アナスタシア様と考えを同じにするグラッドウィン殿下は、ノウェスナー国にいい感情を持っていない。
わたしは、だからこそとっととわたしを追い出したいと考えたと思っていたのだけど、違ったのだ。追い出すだけでは満足しなかったのだろう。
……わたし、なんて馬鹿なのかしら。
わたしが一人でお兄様と離れる寂しさに耐えてノウェスナー国へ帰れば、それですべてが平和に片付くと思っていた。
ノウェスナー国のためにも、フェアクロフト国のためにも、それが一番いいと思った。
だけど、違った。
もしここでわたしが命を落とすようなことがあれば、ノウェスナー国とフェアクロフト国の関係に亀裂が入る。
わたしが殺されたと知られなくても、人質の任期を終えて帰ってくるはずの王女が帰らなければ、お父様たちは必ずフェアクロフト国に確認を入れるだろう。
死んだと言わなくとも、行方不明であると知られれば、フェアクロフト国の責任にされる。
わたしが安易にお兄様に手紙なんて残し、そして宿からノウェスナー国のお父様に手紙なんて書いてしまったから、わたしが勝手に城を抜け出して行方不明になったとは片付けられない。
確実に、グラッドウィン殿下の手引きで抜け出したのがわかる。
グラッドウィン殿下は王弟。
王家の、ひいてはフェアクロフト国の責任問題が追及されるだろう。
わたしの愚かな判断のせいで――また、戦争になるかもしれない。
わたしはうずくまったまま両手で顔を覆った。
鍵が開けられたのだろう、扉が開く音がする。
「誰もいないぞ?」
「そんなはずは……」
「荷物はある。どこかに出かけている可能性は?」
「こんな夜にですか?」
複数人の男と、道案内の女が話し込んでいる声がした。
バスルームに隠れていると気づかれるのは時間の問題だろうか。
どうすればこの状況を打破できる?
わたしは必死に考えるけれど、頭の中が真っ白でいい考えが浮かばない。
心臓が大きな音を立てていて、その鼓動が相手に伝わらないかと、ありもしない心配をしてしまう。
……お願い、気づかないで……!
お兄様と祖国に迷惑はかけたくない。
緊張からか、だんだんと頭がくらくらしてきた。
慣れない旅で疲れが溜まっていたのも相まって、熱が出てきたのかもしれない。
こんな状況で意識を手放したら終わりだ。
わたしは必死に意識を繋ぎとめようとするも、恐怖から体がガタガタと震えてきて、そのせいで余計に体力が奪われていく。
わたしは、絶対に死んではならない。
生きて、この状況から逃げ出さなくてはならない。
それが国を背負って人質となった王女としての務めなのだ。
……バスタブの中に身を隠すのは不可能よね。あとは……。
洗面台横の、小さな棚。
下側の棚なら、小柄なわたしならギリギリ入るだろうか。
……悩んでいる暇はないわ。
わたしが、ここにいると気づかれる前に隠れなくては。
わたしは床を這うようにして慎重に棚まで移動すると、バスルームの外で彼らが話し込んでいる声を聞きながら棚をあける。
中にはタオルが数枚入っていたけれど、使用済みの籠の中に入れておけば怪しまれないだろう。
わたしはタオルを使用済みの籠の中に、わざとぐちゃぐちゃにして入れると、棚の中に入り込む。
膝を抱えればギリギリどうにかなった。
扉をしめれば、狭い棚の中は真っ暗な空間になる。
……わたしにできることは、もうこれだけね。
あとは、運命を天に任せるしかないだろう。
わたしはホッと息をつくと――ついに限界に達して、狭い棚の中でそのまま意識を手放した。
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