表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒瀬によれば、これは純愛らしい。  作者: 柊ナツキ
第1章『まだ隣にはいられない』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/9

第7話 ケモナー、おめ!

 

 橘の即答に、黒瀬はほんの少しだけ固まったが、すぐに表情を緩めた。


「でも、否定が早いのは意識しているからだよね。君は僕の発言を反射的に否定できるくらいには、僕の言葉を聞いている」


「ポジティブすぎて日本語力ねじ曲がってんじゃん」


 橘は鮭弁当の空き容器が入った袋を片手に、掲示板のスクショをもう一度見た。


 泥まみれの男。

 葉っぱの刺さった髪。

 腕の中の猫。

 背景には、どぎついラブホテル街のネオン。


 どう見ても、人生で一度も掲示板に貼られてはいけない種類の写真だった。


「てか、これ普通に黒歴史だろ。何で自撮りまでしてんの。しかもキメ顔」


「保存だよ。世界が僕たちを認識した日の記録として」


「猫に告って晒された日な」


 黒瀬は掲示板を見つめたまま、なぜか満足げだった。


 橘と黒瀬が話し始めてから、周りの学生たちのヒソヒソ声はさらに増えている。それすら黒瀬にとってはたぶん祝福のざわめきに聞こえている。


「でも、案外、あの瞬間は嫌いじゃない」


「嫌わない要素どこ?」


「君が笑っていたから」


 静かな声で黒瀬は言う。


 掲示板のガラス面には、貼り出された無様なスクショと、その前に立つ今の黒瀬、それから隣で鮭弁当の袋をぶら下げた橘の姿が、薄く重なって映っている。


 ラブホ街で奇行を働いた男を笑い飛ばし、今は大学の掲示板前で普通に会話しているこの状況。


 改めて考えると、わりと意味が分からない。


「ラブホ街で猫にブラックホールポエム語りかける奴なんて、人生で1回見るかどうかのレアキャラだよ。笑わない方が無理」


「でもこれ、構図としては悪くないよね」


「どこが?」


「君が僕を見つけた場所。僕が君を探した場所。猫が中継した場所。三位一体の神聖なロケーションが全部1枚に収まっている」


「私が言えたことじゃないけどマジであの猫かわいそう」


 橘が呆れながらスマホを取り出すと、画面には通知がいくつか溜まっていた。


『これ、めるの知り合い?』

『昨日の配信で晒されてたのなんでwww』

『飲み行こー。猫男の話聞きたい』

『あの人紹介して。顔だけでいいから』


「じぇに、あんたのおかげで私までバズってんだけど。実質広報担当になってる」


 橘がスマホの画面を見せると、黒瀬の視線がわずかに止まった。


「君との関係が、世界に認識されたんだね」


「事故物件の紹介な。ま、そのおかげでしばらくは飯代に困らなそうだけど」


 ピコン。

 橘のスマホから鳴る軽くて薄い電子音。


 その音はさっきまで、黒瀬にとっては祝福に近いものだった。

 世界が自分たちを見た音。

 世界が橘めるに気づいた音。


 けれど、通知の向こうにいるのは黒瀬ではない。

 橘の笑い声を、外側から拾いに来る知らない誰かだ。


「あんたの話聞きたいって人から飲みに誘われてるし、奢ってもらえるなら普通にラッキー」


「……僕の話をするために、僕じゃない男と食事をするの?」


「飯代浮かせるためのネタとして消費するだけ」


「僕は、君の外部接続用コンテンツじゃない」


「急に横文字でキレんな。じゃあ何、使用許諾いるの?」


「いる」


「草」


 黒瀬は一瞬だけ黙った。口元は笑っているが目だけは笑っていない。


「……君に届く音、増えたね。僕が世界に晒されたら、君まで世界に見つかった」


「言い方重っ。つーか、こうなったのもあんたの自業自得だからね?」


 橘はスマホをポケットに突っ込み、改めて掲示板の写真を見る。

 だが黒瀬は、掲示板に貼られたスクショではなく、その横に書き込まれた落書きの方を見ていた。


『顔だけは良いの腹立つな』


「……でも、顔は良いって言われてたね。君もそう思う?」


「は?」


「僕の顔」


 橘は流し目で一瞬だけ黒瀬の顔を見た。確かに、腹立つくらいには整っている。


「まぁ、顔だけなら……あ、失言。中身は全損してるから総合評価マイナス」


「顔だけなら」


「悪質な切り抜きおつ。ホント都合の良い耳だな」


 なぜか嬉しそうな黒瀬の顔はやはり普通に様になっていて、橘はなんとなく腹が立ち、空き容器の入った袋をぐしゃりと握りつぶした。


 その時、また橘のスマホが鳴る。

 軽い通知音が、掲示板前のざわめきの中で不思議とはっきり響く。


「……うるさいな」


「──」


 急に温度の低い声がして、橘はスマホをマナーモードにした。

 怖かったわけではない。ただ、黒瀬の言い方が少しだけ引っかかった。


「こわ。通知くらいで病むなって」


「病んでない。減らせばいいと思っただけ」


「マジで余計なことはすんなよ。あんたの『減らす』って、だいたい私の人権も一緒に減るから」


 黒瀬は答えなかったが、代わりに目を伏せた。


 昨日は猫に愛を語り、今日は通知音に反応している男。方向は違うのに、面倒くささだけは変わらない。

 橘はため息をついて、自販機の裏を指さした。


「とりまあっちに猫いるから、詫び入れてきな。優しいよあの子」


「……猫に謝れば君からの評価が上がる。わかった。謝罪しに行くよ」


「よし、マジで頭下げてたら写メ撮るわ」


 そう言いつつ、笑いながら去っていく橘。


 黒瀬は後を追わず、数秒だけ、掲示板に貼られた自分の写真を見つめる。

 少なくともこの瞬間までは、彼にとってはすべてが祝福だったのだ。


 その後、黒瀬は本当に自販機裏の茶トラの前まで行き、普通にしゃがみ込んだ。

 黒瀬の中では、その猫はもはや橘に繋がる外部端末であり、少しだけ彼女そのものでもあった。


「昨日は、君を通してめるに触れようとした。中継負荷をかけすぎたことは認める。……謝罪する」


 欠伸をする猫を眺めながら、黒瀬はしばらく待った。

 そして、許可を得たつもりで、そっと手を伸ばす。


「では、接触確認を──」


 その瞬間、猫の前足が、黒瀬の指先をぺしっと押さえた。


「……」


 黒瀬の手が、空中で止まる。


「なるほど。拒絶ではなく、一時停止か」


 猫は何も考えていない顔で、もう一度欠伸をした。


「了解。段階管理はめる本体より厳密なんだね」


 その様子を通りすがりの学生が撮っていたことに、黒瀬だけが気づかなかった。


 そのとき、遠ざかっていく橘のスマホが、ポケットの中でまた小さく鳴る。

 ピコン。


 黒瀬は顔を上げ、目だけでその音を追った。

 さっきまで祝福だった音が、ほんの少しだけ別のものに変わる。


「……やっぱり、少しうるさいな」


 誰にも聞こえない声でつぶやく。


 そしてその夜から、橘のスマホは少しだけ騒がしくなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
perfect
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ