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黒瀬によれば、これは純愛らしい。  作者: 柊ナツキ
第1章『まだ隣にはいられない』

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第5話 輪郭が足りない

 

 猫耳検証の翌日。


 橘はつきのと並んで渡り廊下を歩いていたとき、掲示板のガラス面に映る人影に気が付いた。

 できれば他人のフリをしたかったが、他人にしては昨日の記憶が強すぎた。


「……出た。予告型の不審者」


 無駄に整った顔。場違いな鎖デザインのチョーカー。

 そして、用件がなくても用件そのものみたいに立っている男。


 黒瀬だ。


「え、誰? 昨日の猫耳の人?」


「そう。昨日猫耳で犬になったやつ」


「情報量どうなってんの」


 つきのは引くでもなく止めるでもなく、ただ面白そうにその場に留まる。


 黒瀬はつきのの存在を一切気にせず、橘だけを見ていた。


「……める」


「今度は何」


「昨日は少し、やりすぎた」


 彼は神妙な面持ちで、わずかに頭を下げた。 

 謝罪の形ではあったが、反省というより、失敗した手順を修正しているような様子だ。


「……どしたの。急に」


「だからこれ、受け取って欲しい」


 黒瀬は小さな箱を取り出した。

 差し出す、というより、橘の手の届く距離で止める。受け取るかどうかを橘に選ばせているように見せる、絶妙な距離だった。


「何これ、爆弾? それとも謝罪の品?」


「爆発はしない」


「謝罪の方は否定しないんだ」


 橘が眉をひそめながら、結局箱を受け取った。


 開けると、中にはピンクゴールドの細いブレスレットが入っていた。派手すぎず、安っぽくもない。小さな装飾がついていて、手首に巻いても邪魔にならなそうな軽さだ。


「へー、これ? 普通に可愛い。あんたにしてはセンス良いじゃん」


 橘は、ブレスレットを指でつまんで光にかざす。夕陽を受けて小さな飾りが光った。


 黒瀬はわずかに笑ったような顔をした。


「……似合ってる」


 その発言だけ切り取れば、ただの贈り物みたいに聞こえる。相手が黒瀬でさえなければ普通に成立していたはずだ。

 だからこそ、橘は一瞬だけ反応に困ってしまった。


「……ふーん。サンキュー。軽いしテキトーに使っとくよ。わりと気に入ったわ」


「そう、良かった」


 黒瀬の声は静かだった。

 喜んでいるようにも見えるし、確認を終えたようにも見える。


「じゃ、もういい? 次講義あるから」


「ああ」


 橘は何事もなかったかのように、軽い足取りで歩き出す。

 つきのは興味深そうに、橘の手元を横から覗き込んだ。


「今の何? 普通にプレゼント?」


「さあ。寝たことある不審者からの賄賂」


「言い方」


 橘は貰ったブレスレットを指でくるくる回す。


「てかさ、これ猫に付けたら映えそうじゃね?」


「やめなよ普通に」


「あはは、冗談冗談」


 その声は廊下の喧騒に紛れ、黒瀬のところまでは届かなかった。

 そのまま軽快な笑い声だけを残し、橘たちは廊下の向こうへと消えていく。


 黒瀬は追わなかった。

 いつもなら少しでも長く橘の視界に残ろうとする男が、その日は一歩も動かなかった。


 橘の姿が完全に見えなくなってから、彼はようやくスマホを取り出す。


 迷いなく画面をタップした。


 地図が起動し、虚空を這う電波が一つの点を捕捉する。

 表示名は、『橘める』。


「見つけた」


 黒瀬は静かに息を吐いた。平穏な喧騒の中で、彼だけがひどく静かだった。


「……今度は逃がさないから」


 ◇◇


 その日の夜。

 黒瀬は『聖域』こと自室でモニターに張り付いていた。

 机の端には、使い道を失った猫耳カチューシャが放置されている。今朝までは見ても何も思わなかったが、今は少しだけ邪魔だった。


 彼は呼吸を忘れたように、画面を見つめている。

 地図上の青い光がありえない動きをしていた。講義棟の裏を抜け、植え込みの周囲を何度も回り、突然、塀沿いを細かく蛇行する。


【警告:対象の移動パターン、人間の挙動と不一致】


「……バグか?」


 黒瀬は一瞬だけ眉をひそめた。

 ──いや、違う。


「そうか。試してるんだろ。僕がどこまで正確に追えるかを」


 ありえないはずの確信に満たされ、わずかに口角が歪む。


 橘はいつもそうだ。

 軽く見せて、雑に扱って、そのくせ完全には切らない。逃げているようで、どこかで見つけられることを許している。


 黒瀬の中では、すべてが都合よく繋がっていた。


「作戦名──『座標固定(GPSロック)』」


【目的:橘めるの常時追跡】

【成功率:100%(黒瀬理論)】



 その時、ふいに座標が一点に止まった。


 やっと捕まえた。

 そう思ったのもつかの間、表示された地点を確認した瞬間、黒瀬の思考が凍りついた。


 そこは、ピンクと紫のどぎついネオンが明滅する狭い路地の区画。


「……は? なん、で」


 ラブホテル街だった。

 脳裏に蘇る、強烈な毒。


『今からセフレと合流するんで』


 見間違いだと思いたかった。

 だが地図上の光は、確かにそこにある。


「──だめだ」


 椅子が派手な音を立てて倒れた。黒瀬は立ち上がっていた。


「……ふざけるなよ。僕がいるのに。そんな不潔な場所に行く必要ないだろ」


 呼吸が浅くなり、急激に指先が冷える。けれど頭の奥だけは異様に冴えていた。 


 黒瀬の手が、無意識に自分の首元へ伸びる。

 鎖デザインのチョーカー。まだ片方だけの、未完成の対。


 黒瀬は机の一番上の引き出しを開けた。

 黒い布の敷かれた小箱の中に、鎖デザインのチョーカーが収められている。


 ──自分の首に巻いているものと同じ形。

 橘に着けるためだけに、まだ使われずに残されていたものだった。


「……名前だけじゃ、輪郭が足りない」


 これは拘束ではない。黒瀬の中では、彼女を世界の中で見失わないための印だった。


「君が君のまま、どこかへ行けてしまうなら……僕にだけ分かる証明がいる」


 やけに丁寧な動作でチョーカーを手に取ると、小箱ごと、斜め掛けの薄いバッグに押し込んだ。


 そしてそのまま、黒瀬は弾かれたように部屋を飛び出した。


「待ってて、める。今すぐ行く。今すぐ、連れ戻してあげるから!」


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― 新着の感想 ―
束縛したいけど、上手くいってないというのが面白いですね。
いいですね。黒瀬の粘着さが粘り気を帯びてきまたね。 ネコ耳、犬、次はGPS付きのプレゼント、 でも、そのプレゼント多分(°▽°) もう目が離せません!
やはり何かあるとは思ったけど……黒瀬、それはヤバイッて…… いや、橘の行動も気になるところだし、続きを読み進めます!
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