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黒瀬によれば、これは純愛らしい。  作者: 柊ナツキ
第1章『まだ隣にはいられない』

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第5話 迷子になるのは僕の方

 猫耳検証の翌日。


 橘はつきのと並んで渡り廊下を歩いていたとき、掲示板のガラス面に映る人影に気がついた。できれば他人のフリをしたかったが、他人にしては昨日の記憶が強すぎた。


「出た。予告型の不審者」


 無駄に整った顔。場違いな鎖デザインのチョーカー。そして、用件がなくても用件そのものみたいに立っている男。


 黒瀬だ。


「……あ、学食の人。昨日めるちゃんと話してたね」


「そう。昨日猫耳で犬になったやつ」


「猫耳で犬。分類から間違えてるね」


 つきのは引くでもなく止めるでもなく、ただ面白そうにその場に留まる。

 黒瀬はつきのの存在を一切気にせず、橘だけを見ていた。


「……める。昨日の検証には改善点があった」


「犬の完成度?」


「追跡方式だよ。君を直接追跡すると君からの評価が著しく下がるから、もう直接ついて回るのはやめる」


 黒瀬の神妙な面持ちに、橘は一瞬だけ感心する。


「お、ついに社会性インストールした?」


「代わりにこれを身につけてほしい」


「アンインストールはっや」


 黒瀬が取り出したのは、手のひらに収まる小さな箱だった。


「何それ、爆弾?」


「爆発はしない」


 蓋を開けると、中には細身のピンクゴールドのブレスレットが入っていた。派手すぎず、安っぽくもない。中央に雫型の小さなチャームが一つだけついている。


「え、普通に可愛い。あんたにしてはセンスいいじゃん。どうしたのこれ」


「GPSと簡易生体センサーが入っている」


「……」


「迷子防止用」


 至って真面目な顔の黒瀬。


 つきのは止めない。ただし、いつでも無関係を名乗れる距離まで半歩下がった。


 ここで箱を返すか、逃げるか、あるいは学生課か警備員を呼ぶか。どれを選んでも正解だった。

 しかし橘はゆっくりブレスレットに目を落とすと、肩が小刻みに震わせた。


「……ぷっ。GPSで草。厨二病のヤンデレジョークかな? 迷子になるのは私じゃなくてあんたの精神状態だろ」


「ジョークじゃない。僕は真面目に言って──」


「てか、マジでGPS付いてるなら超便利じゃん。災害ではぐれても場所分かるんでしょ? 避難経路の追尾よろしく」


「……これは防災グッズじゃない。君と僕を常時接続するための──」


「とりあえず付けとくわ。可愛いし」


「……」


 黒瀬は訂正を中断した。束縛は防災として処理され、思想は一ミリも伝わっていない。だがブレスレットは受理された。


「……用途の認識に若干の齟齬はあるけど、外さないなら問題ない」


 つきのは堪えきれずに笑いをこぼし、橘を見る。


「この感じだと、救助隊より早く駆けつけそうじゃない?」


「なんなら災害が起きる前から現場にいそう。むしろ災害側」


「安全設計だよ。めるが世界に紛れても、僕だけは見失わない」


 言葉は愛の告白。通信先は人工衛星である。

 つきのはとうとう声を上げて笑った。


「あははっ! ラッピングは恋愛で、中身は迷子札だね。めるちゃん、本当に受け取るの?」


「こいつの言うこと本気にしてたら次の講義から精神が自主休講するわ」


 冗談として処理しないと疲れる。本気だったら終わっているが、黒瀬の場合は時間帯に関係なく終わっている。

 橘は結局深く考えずにブレスレットを付けることにした。


 留め具を留めると、ブレスレットは驚くほど自然に手首へ馴染んだ。

 黒瀬はその手首を見て、わずかに笑った。


「……似合ってる」


 今だけはGPSも迷子防止も関係なかった。顔のいい男が似合っていると言った。ただそれだけ。

 無駄に整っていた黒瀬の顔面がここへ来て初めて正規の用途で機能した。


 橘の返事が、一瞬遅れる。


「……そ。まあ、可愛いし。採用」


 隣でつきのが、にやっと笑う。


「今のはちょっと効いたね」


「だる。次の講義行くわ」


「める。今日は外さないで」


「はいはい。災害起きたら迎えよろ」


「起きなくても迎えに行く」


「それはいらん。じゃーねー」


 橘は片手を上げ、ブレスレットの付いた手首をひらひら振る。監視装置の装着完了を、装着者本人が祝っているような絵面だった。


 そのまま橘は黒瀬の返事も待たずに歩き出した。つきのが横から手首を覗き込む。


「寝たことある不審者からGPSもらった人の去り方じゃないね」


「可愛いし、使えりゃいいじゃん。てかこれ猫に付けたら映えそうじゃね?」


「もう外す気なんだ。やめなよ普通に」


「あはは、冗談冗談」


 二人の声は廊下の喧騒に溶けていき、黒瀬のところまでは届いていない。


 黒瀬は追わなかった。いつもなら少しでも長く橘の視界へ残ろうとする男が、その日は一歩も動かなかった。

 もう、自分の足で追う必要がなかったからだ。


 橘の姿が廊下の向こうへ完全に消えてから、黒瀬はスマホを取り出した。


 迷いなく画面をタップする。

 地図上を、一つの青い点がゆっくり移動していた。


 表示名は、『橘める』。


「同期成功。……これで、見失わない」


 先程の贈り文句から、甘さだけが抜け落ちていた。


「作戦名──『座標固定(GPSロック)』」


【目的:橘めるの常時追跡】

【精度:誤差0m(黒瀬理論)】


 ◇◇


 その日の午後七時過ぎ。

 黒瀬は『聖域』こと自室で、モニターに張り付いていた。


 机の端には、昨日まで彼の尊厳を破壊していた猫耳カチューシャが転がっている。今となっては百円産の敗北記録でしかない。


 モニターの地図上では、『橘める』と表示された青い点が大学構内を移動していた。


 講義棟裏の植え込みを一周。排水管の前で停止。十秒後、塀に沿って一直線に進んだ直後、高度が一・八メートル急落。

 さらに同じ植え込みを二周した。


【警告:装着者の移動パターンが人間と一致しません】


「……人間の動きじゃない」


 黒瀬は眉をひそめた。

 機械は正常だった。測位情報にも異常はない。


「でも、めるならやるかもしれない」


 機械の警告より、橘に対する間違った信頼が優先された。


 青い点は大学を出ると、駅前へ向かった。大通りを外れ、細い路地へ入っていく。


 やがて、一点で停止した。


【現在地:駅前南地区】

【心拍数:145回/分(急上昇)】

【移動速度:毎秒0.0m】


 ──現在地はラブホテル街。

 その場から動かず、心拍数だけが上昇している。


「……なん、で」


 黒瀬の知能は、三つの情報を最悪の順番で結びつけた。


 脳裏に蘇る昼間の言葉。


『災害起きたら迎えよろ』


「災害時の避難先としては悪意がありすぎるよ」


 続いて、数日前の毒も蘇る。


『今からセフレと合流するんで』


「──だめだ」


 椅子が派手に倒れた。黒瀬は立ち上がっていた。


「……よりによって、一番見たくない座標を返してきた。僕がいるのに、そんな場所で、僕の知らない顔するなよ」


 呼吸が浅くなり、急激に指先が冷える。けれど頭の奥だけは異様に冴えていた。 


 黒瀬の手が、自分の首元へ伸びた。

 鎖デザインのチョーカー。その感触を確かめたあと、机の一番上の引き出しを開ける。


 黒い布を敷いた小箱には、それと対になる未使用のチョーカーが収められていた。橘の首へ着けるためだけに用意し、まだ一度も許可を得られていないものだった。


「……座標だけじゃ足りない。そこにいることは分かっても、僕との関係までは表示されない」


 黒瀬は斜め掛けのバッグへ必要なものを押し込んだ。財布。スマホ。モバイルバッテリー。橘用のチョーカー。

 緊急出動の持ち物としては、最後だけ倫理が終わっていた。


「今すぐ、現地確認しに行く」


 黒瀬はバッグを掴み、そのまま部屋を飛び出した。

 出勤するタイプの事故物件だった。

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― 新着の感想 ―
「第5話 迷子になるのは僕の方」を読みました。 一番印象に残った箇所は、 「……似合ってる」 今だけはGPSも迷子防止も関係なかった。顔のいい男が似合っていると言った。ただそれだけ。 無駄に整って…
黒瀬の異常な執着と哲学的変態が目を引きます。 黒瀬は異常なのに大学がマジでよくある空気感でそのギャップがいいですね。
黒瀬君の異常行動につきあえている時点で橘さんもまあまあアレ(笑) 多分、猫かなにかにつけたのだと思うけど、ラブホで固定されて黒瀬君が動揺しているのがおもしろい。
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