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黒瀬によれば、これは純愛らしい。  作者: 柊ナツキ
第1章『まだ隣にはいられない』

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第4話 存在がうるさい

 

 ──それから10分ほど経った頃だろうか。

 橘の視界の端で、嫌な予感しかしない動きがあったのは。


 橘は反射的に振り向いた。


 黒瀬だった。

 しかも、頭には百円ショップで買ったような、安っぽい猫耳カチューシャをつけていた。


「……は?」


「……」


「いや黙ればいいって話じゃないから」


 真顔だ。表情筋が完全に死んでいる。

 黒のパーカーに猫耳という、どう考えても噛み合っていない格好だった。


「検証だよ」


「来んな」


「猫で反応が変わるなら、僕でも再現できるはずだ」


「できてねぇよ、ホラーだよ」


「君が拒絶しない距離に入る方法を探してる。発話量と存在感も調整した」


「見た目が一番うるせぇ。存在感の主張が駅前広告なんだよ」


 黒瀬がスッと距離を詰める。無駄に速い。

 目の前では本物の猫が「なんだこいつ」といった顔で毛繕いをしている。差は明白だった。


「……違うな」


 黒瀬は猫耳を触り、真剣な面持ちで顎に手を当てた。


「耳だけじゃ足りない」


「あー……まさか猫の真似しようとしてる? 無理だからやめとけ」


「今は、ね」


「未来も無理だよ。これ以上地獄を増やすな」


 橘は呆れと拒絶半々に吐き捨て、しゃがんだまま猫の頭を撫でる。


 黒瀬は一瞬だけ考え込み、視線を落とした。

 橘に触れている猫に対し、自分は一歩近づいただけで拒絶される。その違いを、ほとんど執念に近い集中で見ていた。


「……そうか。形を真似ても意味がない。必要なのは、『自然にそこにいること』か」


「いや猫だからだよ」


「接近の許可条件が僕にないんじゃない。猫に付与されてるんだ」


「話聞けよ」


 橘は咄嗟に立ち上がった。

 この狂気に関わっていたら、人間としての正常な部分まで猫耳に食われそうだ。


「待って。なら次は、形じゃなく挙動を寄せる。君の横を猫のように音を消して歩くんだ」


「足音消せても存在がうるせぇから」


 橘はいつもよりわずかに早足で歩き出した。


 が、背後に気配が着いてくる。足音はほとんどないのに、振り返らなくても誰かわかる気配の強さ。消せていないのは音ではなく存在そのものだ。


 ふと視線だけ後ろに流すと、黒瀬が一定距離を保ちながら追尾していた。


 しかも、


(まだ付けてんのかよ……)


 頭には、安っぽい猫耳カチューシャが健在。

 外すタイミングを完全に見失っているのか、そもそも外す発想がないのか。どっちにしろ最悪である。


「……あ、今の、君との同調率は悪くないかも。歩幅のズレは修正できる」


「考察きっしょ」


「猫はね、近づかない。追い越さない。急がない。ただ、隣に存在するんだ。距離を詰めなくてもそこにいられるから」


「ストーキングしながらそれ言ってんの草」


 隣と言いつつ、普通に後ろから着いてくる黒瀬。理論と実践が噛み合っていないのが一番怖い。

 通りすがりの学生たちが明らかに距離を取り、ヒソヒソと話し始める。


「……あれ黒瀬じゃね?」

「なんで猫耳?」

「橘の後ろついてってる」

「新しいペットだろ」


 そんな声が風に乗って流れてくる。

 橘は「だる」と言いつつ、彼らに視線も向けず歩き続ける。他人のこういった反応も見慣れたもので、いちいち拾っていたらキリがない。


(鮭、食い足りねぇな。でも夜はさすがに肉か。……てかあいつ、どこまで来る気だよ)


 黒瀬はまだ追ってくるが、こちらを捕まえに来るわけでもない。『猫耳をつけたまま真剣に歩幅を合わせてくる男』という謎の構図だ。

 橘はじわじわと面白くなってきた。


 ふと、橘は思いついたように立ち止まる。


「あ、じゃあさ!」


「うん」


 黒瀬の反応が異常に速いところだけは、少し猫っぽい。


「私の彼氏になりたいんなら、犬の真似くらいしてみなよ。今、周りに人いる前で」


 ただの軽口だった。

 さすがのこいつでも無理だろう、という雑な煽り。


 ──の、はずだった。


「わん」


 即答だった。


 しかもそのまま、黒瀬はその場にしゃがみ込んだ。綺麗に迷いなく、完璧な「お座り」の姿勢で。


「……は?」


 周囲の視線が一斉に突き刺さる。何人かの学生が足を止めた。


「……え、なにあれ」

「犬?」

「猫耳なのに……?」


 嘲笑にも好奇の視線にも、黒瀬は一切躊躇わない。ただ、橘だけを見ている。


「わんわん!」


 しかも声がデカくなり、勢いを増してきた。

 橘は数秒、完全に黙り込む。


(……止まれよ、普通。恥ずかしくないの?)


 止まらない。むしろじっと橘を見て、何かを待っている。


(……なんか、完成度高くね?)


 目が合った瞬間、橘は急に笑いが込み上げて、たまらず口元を押さえた。


「……っ、やば」


「……似合ってる?」


「いや全然。客観的にはただの恐怖映像だけど、ネタとしては最高」


 顔面だけなら上位の男が猫耳をつけ、犬の真似をするという属性の大渋滞。

 猫なのに犬。意味がわからない。

 橘はついに耐えられなくなった。


「っはは、あはははは! やば……っ!」


「わん! わん!」


 またしても即答。姿勢はそのまま。

 黒瀬が迷いのない動きで手を差し出した。


「……え、これお手待ち?」


「この方が、接触の成功率が高い」


「なんでやると思った? 思考そこまで来てんの怖っ」


「わんわん!」


「やめろってマジで……っ! 犬としての圧だけ上げんな!」


 橘はもう立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んだ。しかし笑いすぎて震えながらも、その手には触れない。


 黒瀬の手は、行き場を失ったまま宙に浮いている。

 それでも黒瀬は姿勢を崩さない。背筋はまっすぐで、膝の位置も妙に安定している。


「……謎にお座りの完成度高いな。待てもできるのかよ」


「わん!」


「っ、あはははは! 褒めてねぇって……! 無理、やば……っ!」


 周囲の学生も完全に巻き込まれていた。


「動画撮っていいやつ?」

「ダメだろ」

「でも本人めっちゃ本気じゃん」

「本気だからダメなんだよ」


 誰も止めない。

 黒瀬は真剣、橘は笑っている。


 その足元では、本物の猫が何事もなかったかのように喉を鳴らした。

 触れられているのは猫だけ。黒瀬の手は、空中に差し出されたままだ。


 橘はひとしきり笑ったあと、涙目のまま手を振る。


「もーマジ無理、腹痛い……っ、じゃ、そろそろ行くから、ぷっ……くく」


 そのまま橘は息が乱れた状態で背を向け、歩き出した。猫は当然のように後ろをついていく。


 周囲の学生たちはまだヒソヒソと話しながら、遠巻きに好奇の視線を向けていた。


 橘は笑いすぎて痛む腹を押さえながら、猫を引き連れて構内の外れへ向かう。


 建物の裏手に回った途端、一気に人の気配が薄くなる。講義棟の喧騒は壁一枚向こうへ押しやられ、代わりに風の音だけが残った。

 1台だけぽつんと置かれた自販機の横に、色褪せたベンチが2つ。


 橘はベンチに腰を下ろし、ようやく一息ついた。


「……はー、マジ無理。えぐかったわ」


 足元では、茶トラが何事もなかったように前足を揃えて座っている。

 こっちは可愛い。さっきのは可愛くない。方向性の違いだ。


 橘が屈んで頭を撫でると、猫は当然のように喉を鳴らした。


「あんただけだよ、この大学でまともなの」


 その時だった。


「……まだ笑ってる?」


「わっ!?」


 背後から落ちてきた声に、橘の肩が跳ねる。

 反射的に振り向くと、背後に黒瀬が立っていた。さすがにもう猫耳は外していたが、外す判断は遅すぎる。


「ちょ、ビビらせんなよ。何、第2ラウンド?」


「違う。確認したいことがある」


 黒瀬はすぐには近づかなかった。

 夕陽を背にしたまま一定の距離で止まっていた。


「君は、ああやって誰にでも笑うの?」


「面白ければ誰にでも笑うけど」


「……そう」


 黒瀬はそれきり黙った。何かを計算するみたいに、じっと橘を見ている。


「条件が見えた」


「なんの?」


「君が逃げない形」


 風が一瞬だけ止む。

 橘はそこでようやく、黒瀬の方をちゃんと見た。彼の表情も立ち方も、先ほどとは打って変わって不気味なくらいに落ち着いている。


「絶対ろくでもないやつじゃん」


「そうでもないよ。今のところは、まだ」


 黒瀬はわずかに口角を上げる。それは笑顔に見えなくもなかったが、目がまったく笑っていなかった。


「君の今日の反応は悪くなかった」


「そりゃ笑うだろ。猫耳でわんわん言うイケメンなんてあんたしかいねぇよ」


「でも僕の手には触れなかったね」


「当たり前だろ」


 黒瀬はそれ以上は何も言わず、ゆっくりと一歩だけ下がった。必要な話は終えたようだった。


「……じゃあ、また」


 黒瀬はそのまま踵を返して去っていく。

 残された橘は足元の猫を見下ろし、だるそうに息を吐いた。


「なにあれ。予告型の不審者とか新ジャンルすぎんだろ」


 とはいえ、何が起こるかまでを考えるのはカロリーの無駄である。


 ただ、笑ってしまったのは事実だ。

 事故物件みたいな男の奇行に腹を抱えて笑ってしまったのは少しだけ悔しい。


 橘は猫の頭を撫でた。


「唯一の癒し枠に感謝だなー」


 茶トラは喉を鳴らした。


 だが、黒瀬が最後に言った「条件が見えた」という言葉が、わずかに耳に残っていた。


 条件。

 何の。

 誰の。


 考えたところで、どうせろくな答えにはならない。猫耳で犬になる男の思考回路なんて、まともに追うだけ損である。


 だから橘は、考えるのをやめた。


 ◇◇


 その日の夜。


 黒瀬は聖域こと自室でノートを広げていた。

 机の端には、使い道をなくした猫耳カチューシャが放置されている。


 ページには今日の記録が並んでいた。


 ──対象、猫への接触距離0

 ──対象、自分への接触距離+2歩


 ──猫、同行を許可される

 ──自分、同行を拒否される


 ──対象、猫に対し無意識の笑み

 ──自分に対しては「来んな」


 比べるまでもない、明白な結果だった。比較というよりも一方的な事実の列挙に近い。


 黒瀬はペン先を止める。


「……猫は、拒絶されない」


 理由は単純だ。

 猫だから。ただ、それだけ。 

 その雑すぎる答えを、黒瀬はしばらく受け入れられなかった。

 けれど受け入れられないからこそ、そこには条件がある。


(……こっちは猫耳までつけたのに)


 不公平だ、と一瞬だけ思ったがすぐに切り捨てた。


 必要なのは、猫そのものになることではない。

 あの位置に自分の代わりを置くことだ。


 黒瀬は目を閉じる。


 ──橘の足元。

 ──あの距離。

 ──触れても拒絶されない領域。


「干渉は最小でいい。直接がダメなら、間接で」


 必要なのは侵入ではなく、『そこにいること』の拡張。


「……いいよ。僕じゃなくていい。君が拒絶しないものなら、君の隣に置ける」


 ノートを閉じる。乾いた紙の音だけが、静かな部屋に小さく響いた。


「待ってて、める」


 黒瀬は、誰に聞かせるでもなく静かに呟く。


「今度はもっと自然に、もっと君が拒絶しない形で──君のすぐそばに行けるから」


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― 新着の感想 ―
Xからきました。 男性目線としてめっちゃ良い点と決定的に矛盾してる点、それぞれ書いていこうかなと思います。 最初に言っておきたいのは、落ち込む必要はあまり無いということです。 文章の構成は綺麗で美し…
一話の引きが良い。続きが気になる、キャラの名前がじぇに と50年後の日本にありそうな名前でギャルで猫っぽいイメージが頭に浮かんだ。独自路線の片鱗を感じるので、女キャラのセリフを前面に、ヤンデレという事…
黒瀬くん、一周回ってかわいくすら見えてきました。 めるちゃん結構まんざらでもなかったり、しないか…笑 ギャルとヤンデレ。黒瀬くんがなぜめるちゃんに執着するのか、めるちゃんとなぜにベッドインできたのか、…
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