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黒瀬によれば、これは純愛らしい。  作者: 柊ナツキ
第3章『友達って便利な言葉だね』

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第7話 流行遅れのツンデレフレンズ

 喧嘩の翌日。


 陰木は、橘を避けていた。


 本人に聞けば、進路変更の必要があっただの急用を思い出しただの、少しだけ無理のある説明を並べるだろう。

 だが実際には、露骨に、かつ音速で避けていた。


 昼休みの渡り廊下で、陰木は橘と鉢合わせた。

 橘も、陰木を見た。


 その瞬間、陰木は百八十度方向転換した。


 あまりに迷いのないUターンに、後ろを歩いていた学生二人が急停止し、一人は右へ、一人は左へ避けた。渡り廊下の人流が、陰木一人を起点に一瞬だけ割れる。


「おーい、はうす! 問七の続き聞くから待てって!」


 橘がクシャクシャのルーズリーフを旗のように振って追いかける。

 陰木の逃走速度が一段上がった。


「聞こえてるだろ! 逃げるな、リアルブロック男!」


 橘が角を曲がると、陰木は既にスマホを耳へ当てていた。


「はい。……そうですね。その件につきましては、至急確認を──」


 神妙な顔をしている。ただし耳に当てたスマホの画面は真っ暗だった。橘が顔を覗き込んでも、陰木は頑なに目を合わせない。


「なに、電話? 急用?」


「ええ、はい。……ですので、その、問七の途中式については──」


「問七、どこ見ればいい?」


「教科書の百四十二ページ。上から三つ目の例題」


 即答だった。偽装電話は終了どころか、始まってすらいなかった。


「めっちゃ知ってんじゃん」


「独り言。俺は今、脳内の自分と高度な会議をしてんだよ。邪魔すんな」


「あんたの脳内って、わかんないところ私と同じなんだ。とりま放課後教えてよ」


「うるせぇ!」


 陰木は偽装通話と機密情報をまとめて放棄し、非常階段の扉を開けた。そのまま一段飛ばしで駆け下りていく。

 橘は扉の前で立ち止まった。一段飛ばしで消えていく男を、さらに追う気力までは残っていない。


「めるシー」


 少し遅れてやってきたすみれが、橘の背後からひょこっと顔を出した。


「あの人、完全に避けてるのに試験範囲は即答してくれてるじゃんね」


「まあ、はうすだしね。でもDMだけじゃなくてリアルでもブロックされんのは新機能だな」


 すみれはカフェオレのストローをくわえながら、にやにやと橘を見た。


「でもさ。それって、陰木くんがまた戻るって思ってるから笑えるんでしょ?」


「三年ずっとこれだし、今さら急に人間関係だけアプデとかしないでしょ」


 その横で、つきのが閉じた非常扉を眺めていた。


「陰木くんが勝手に戻るからって、毎回雑にしていいわけじゃないと思うけどね」


「何それ。私がいじめてるみたいじゃん」


「昨日の部室だけ見ればわりと加害者だったよ、めるちゃん」


 橘は答えず、スマホを鞄へ放り込んだ。


 ブロックはまだ解除されていない。けれど百四十二ページの上から三つ目を開けば、たぶん問七は解ける。


 それで充分なはずだった。


 ◇◇


 その日の午後。

 文芸部の机に一枚のルーズリーフが置かれた。運び手は鈴木だった。


「橘さん。匿名の情報提供です。内容はこちらです」


【問7、一行目の分母から間違ってる】

【途中式を継ぎ足すな。最初からやり直せ】

【これ以上アホなミスを増やすな】


 差出人の名前がないだけで、字も内容も匿名ではなかった。

 黒瀬が人力Wi-Fiなら、鈴木は感情まで配送する人力宅配便である。無響大学には、通信方式の違う人間型端末が二台いるらしい。


「絶交を業務連絡にすんなよ」


「私に言われましても。配送方法を指定したのは送り主ですから」


「着払い?」


「感情面については、既に橘さんが相応の負担を負っているかと」


 鈴木は一度、手元のファイルを閉じた。それから今度は別の紙を取り出す。


「こちらは別件です。被害者の会から、規約更新のお知らせがあります」


「私、会員じゃないけど」


「はい。発生源側ですので」


 鈴木は印刷された紙を読み上げた。


「本人の許可を得ていない私信の転載、上映、作品化を禁止する。違反した場合、該当投稿の削除および会の利用停止処分を行う場合がある。以上です」


「タイミングよすぎ。私への苦情だけ解像度高いんだけど、管理人誰だよ」


「そのご意見も、必要であれば管理人へ提出しますが」


「いやいい。余計な火種が増えそう」


 鈴木は小さく頭を下げ、部室を出ていった。

 つきのが、何事もなかったようにつぶやく。


「絶交してもアフターサービスは手厚い友達か。耐久性はそこそこ高そう」


「家電系フレンズ?」


「保証期間は三年みたいだね」


 橘は、それ以上の反論を諦めてルーズリーフを持ち上げた。

 問七の途中から計算式が書き直されている。


【割合は、途中で全体を変えるな】


 その下に、小さな字で続いていた。


【分からなかったら142ページに戻れ】

【試験前日だけは返信しろ。落ちた報告を後から聞く方がだるい】


「えー。なにこれ仲良しじゃん」


 すみれが横から覗き込み、遠慮のない感想を漏らした。


「ブロック中だけどな」


「ブロックしながら補修するとか、流行遅れのツンデレ幼馴染として完成度が高いんよ」


「幼馴染じゃないっつの」


 橘は笑いながら紙を二つに折る。ゴミ箱へ向けかけた手を戻し、スマホケースの裏へその紙を差し込んだ。


 三年前にも、ブロックされた翌朝、机に試験範囲だけ置かれていたことがある。青い付箋に『ここだけはやれ』と書かれていた。

 橘は理由を聞かなかったし、陰木も説明しなかった。


 そういうものだと思っていた。


 ◇◇


 一方その頃、黒瀬は図書館の一番奥で、自分のノートパソコンから被害者の会の過去ログを遡っていた。

 規則そのものではなく、規則が増えた時刻を見ていた。


 橘が私信を文芸部へ見せた翌日に、管理人アカウント『留守番』は私信の転載を禁止した。

 規則が増えるときには、いつもその直前に橘がいる。


 三年前のログも同じだった。当時の名称は、まだ『橘める被害者の会』ではなかった。


『橘める連絡網』。

 高校時代、橘と連絡が取れなくなったときのために作られた、小さな連絡用サーバーだった。


 三年前の午前九時十二分。


『橘、今日の一限来てない』


 三分後。


【最後に連絡を取った人間は時刻を報告】


 昼を過ぎても、橘から返事はなかった。


『電話は鳴る』

『昨日最後に会ったやつ、何時に別れた』


【未確認情報の拡散は禁止】

【勝手に家へ行くな。行く場合は先に報告】


 規則の文面だけは冷静だった。

 だが、更新間隔は少しずつ短くなっている。


 十三時六分。


『誰か橘の家の近くにいる?』


 その投稿は、一分も経たずに削除された。代わりに新しい規則が追加される。


【本人確認まで勝手に帰るな】


 心配した、と書いた記録は一つもない。

 それでも、画面の中では留守番だけが誰より帰れずにいた。


 夕方、十六時四十八分。

 橘本人から、ようやく一行だけ投稿された。


『ごめん、電池死んでた』


 二分後。


『お前が死ね』


 安否確認の成功を祝う文面としては、かなり治安が悪い。


 管理人のその投稿の直後、橘は退会させられた。さらに十分後、『橘める連絡網』は『橘める被害者の会』へ名称を変えていた。

 高校時代に作られた小さな連絡用サーバーは、悪口の看板を掲げたまま大学まで生き延びた。参加者は増えたが、管理人だけは最初から変わっていない。


 黒瀬は、最後の規約更新時刻と、昼に鈴木が届けたルーズリーフの時刻を並べた。


「……言葉は違っても、変換の順番が同じだ」


 黒瀬は被害者の会へ、一つのファイルを投稿した。


『橘める・非公開音声』


【提供者の希望により出所非公開】

【本人許可:未確認】


 中身は三秒間の無音だった。数秒後、黒瀬の画面にだけ処理結果が表示される。


【留守番が投稿を却下しました】


 続けて通達が出る。


【投稿者を一時利用停止とします】


 黒瀬は画面を閉じて静かに笑った。


「やっぱり君だった」


 ◇◇


 放課後。

 橘は図書館のコピー機で、提出用の課題を複写していた。


 その間、黒瀬は一番奥の席に座り、陰木を待っていた。二人の会話が終わる頃に、コピーを終えた橘が必ず戻ってくる席をあえて選んだのである。


 陰木への連絡は、鈴木を経由した。


「黒瀬じぇに君が、『留守番』について確認したいそうです。放課後、図書館で奥の席でお待ちになるとのことです」


 陰木は最初、行かないと答えた。

 だが、その五分後には来た。


 罠だとは分かっている。それでも、『留守番』の名前を出した黒瀬を自由に喋らせておく方が危険だった。


「……何の用」


 椅子へ座るより先に、陰木が聞いた。黒瀬は開いていたノートパソコンから目を上げる。


「僕は被害者の会のサーバーに一件、投稿した。君の画面にも出ていた?」


「知らねぇよ。一般会員に、他人の投稿がどう処理されたかなんて分かるわけないだろ」


「そうだね」


 黒瀬があっさり頷いたため、陰木の眉がわずかに動く。


「じゃあ話は終わりだな」


「僕は君の画面に出たかと聞いただけだよ。公開されたのか、保留されたのか、管理人に止められたのかは何も言っていない」


「は?」


「それなのに君は今、『会員に見えない処理段階へ進んだもの』として話したね」


 ほんの一瞬だった。

 陰木の椅子を引こうとしていた手も、鞄の肩紐を直しかけた指も、そのままの位置で止まる。


 黒瀬は何も言わずに、その一瞬だけを見ていた。陰木が、自分で落とした言葉を拾い直そうとする時間まで観測するために。


「ただの揚げ足取りだろ。一般会員に分からないって意味で言っただけだ」


「そうかもしれない。でも、君は否定の順番を間違えた」


「探偵ごっこならよそでやれ」


「まだ推理だよ。確認はこれからする」


 黒瀬はノートパソコンの画面を陰木へ向けた。

 そこには、投稿内容ではなく、黒瀬本人にだけ表示される送信履歴が表示されていた。


【投稿形式:管理者承認制】

【公開状況:未公開】

【閲覧可能者:投稿者/管理人】


「投稿は公開前に止められた。題名も本文も、一般会員の画面には存在したことすら表示されていない」


「だから何だよ。お前がこんな呼び出し方してる時点で、何か仕掛けて管理人に止められたくらい予想できるだろ。投稿に失敗したからって俺にアタリつけんな」


 陰木にまだ逃げ道は残っている。しかし黒瀬は、逃げ道の全てに監視カメラを設置している顔をしていた。


「投稿の題名は『橘める・非公開音声』。提供者は非公開。本人の許可は未確認」


「その条件なら、公開されなくても不思議じゃねぇよ。規約が更新されたならなおさらだ」


「題名だけなら音声が私信かどうかは分からない。そもそも中身は無音だ」


「橘の名前をつけて、提供者を隠して、本人許可未確認まで書いてんなら中身は関係ないだろうが」


「未確認は許可がないという意味ではないよ」


「お前が橘からそんな許可取ってるわけないだろ」


 言い切った陰木。

 今度こそ、空気が止まった。


 図書館の奥でページをめくる音や、コピー機の音がやけに響く。この卓だけが、陰木の失言を中心に静かに沈んでいた。

 黒瀬の口元が緩む。


「ずいぶん自信があるんだね。めるが僕に何を許可するか、君に分かる?」


「三年見てればそのくらい──」


 黒瀬はそこでノートパソコンを閉じた。ここから先、画面はもう必要なかった。


「やっぱり、その時間を使うんだね」


「今は管理人の話だろ」


「同じ話だよ。三年前、めるが連絡を絶った日、君は誰より細かく安否確認をしていた。めるが戻ったあと、『お前が死ね』と書いて会の名前を変えた」


「公開ログを見れば誰でも分かる」


「公開ログだけならね」


 黒瀬は、机の端に置かれた橘のルーズリーフへ指を置いた。


「昨日、君はめるからノートを回収した。でも試験資料は残した。今日は本人を避けながら、鈴木なおと経由で続きを届けた」


「単位を落とされたら、あとで愚痴を聞かされるからだよ」


「留守番も同じ言い方をする。感情の変換の仕方が同じなんだ」


 陰木の表情から、他人へ向ける丁寧さが消えていく。

 黒瀬は、証拠をひとつずつ列挙するようなことはしなかった。言い訳を潰すように、陰木と留守番を同じ一本の線で結ぶ。


「君は心配したとは言わない。代わりに予定確認をする。傷ついたとも言わない。代わりに規則を増やす。もう関わらないと言いながら、本当に困る部分だけは放置しない」


「……何が言いたい」


「僕は、もう知っている」


 短い言葉だが、それで十分だった。


 ここで否定を続ければ、黒瀬は次の証拠を出す。それを否定すればまた次が来る。この男に「疑いの余地」を残すことは、尋問の継続を許可するのと同じだ。


 陰木は匿名性より先に精神衛生を諦めた。


「……橘に言うのか」


 その一言で、口では認めていないはずの勝負が終わった。


「言わないよ。君が匿名性とめるの境界を、同時に守れなくなったとき、どちらを選ぶのか見たいから」


「それ観測じゃなくて脅しだろ」


「脅しなら要求と期限を決めるよ。僕は君が選ぶまで待つだけだ」


「言い換える度に犯罪濃度が上がってんの気づけ」


「安心して、まだ言わないから」


「お前に安心を供給される段階まで落ちてねぇ」


 陰木は吐き捨てたが、まだ帰ろうとはしない。

 すると黒瀬は、先ほどとは別の質問を投げる。


「三年間、君は何度ブロックして、何度戻った?」


「数えてねぇよ。お前みたいに人間関係に通算ログつけてないんで」


「そう」


 黒瀬の声から、ほんの一瞬だけ計算が消えた。


「僕には、その回数すらない」


 黒瀬が欲しがっているのは管理権限でも三年前の情報でもなく、何度切れても次があったという履歴。

 陰木はそれを持っているにも関わらず、黒瀬に勝った気は少しもしなかった。


 そのとき、図書館の奥から足音が近づいてくる。


「じぇに、コピー終わったー。……って、はうす戻ってんじゃん」


 橘が、完成した課題を抱えて戻ってきた。


 陰木の顔から、正体を見破られた男の疲労が消えた。代わりに、社会で使える就活用の表情が瞬時に貼り付く。


「戻ってません。黒瀬さんから、鈴木さん経由の資料について確認事項があっただけです」


「私の問七で本人不在のまま密会してんじゃん」


「密会ではありません。もう帰りますので」


「昨日ブロックしたのに、今日もう私の机来てんのウケる。やっぱ私のこと大好きだろ」


「違う! 単位の残務整理だ!」


 就活は三秒で終了した。

 橘はスマホを取り出し、陰木とのトーク画面へ短く打ってみる。

 しかし。


【このユーザーにはメッセージを送信できません】


「まだ解除してないのかよ。ブロック中にずっと資料届けてたの余計におもろい」


「めるが落単した場合、陰木はうすに愚痴という二次被害が発生するからだね」


「勝手に俺の言い訳を補強すんな」


「なんで二人とも私が落ちる前提なんだよ」


「実績」

「統計」


 陰木と黒瀬の声が重なった。橘は吹き出して、楽しそうに笑った。


「はうすとじぇに、最近ウマ合ってんじゃん。いっそ友達になれば?」


「事故だ」

「設計外だ」


「息ぴったりじゃねぇか」


 橘の笑い声を挟んで、陰木と黒瀬の視線が一瞬だけぶつかる。


 黒瀬は知っている。陰木は、黒瀬が知っていることを知っている。橘だけが知らない。

 三人の間に新しい秘密が生まれた。誰も共有を許可していない。


「じぇに、また勝手に何か完成させた顔してない?」


「まだ途中だよ」


「何が?」


 黒瀬は陰木を見ると、陰木は露骨に顔をしかめる。


「友達の仕組み」


「あんたは学ぶな。絶対ろくな使い方しないから」


 黒瀬は静かに笑った。


 管理人は特定できた。

 友達の方は、まだ何一つ分からないらしい。

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― 新着の感想 ―
陰木のシステムみたいな心のこだわり(仕組み)を完全に理解して指摘する黒瀬 黒瀬君の観察眼恐ろしい。
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