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黒瀬によれば、これは純愛らしい。  作者: 柊ナツキ
第2章『君に届く、その前に』

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第15話 既読のつかない緑アイコン

 その夜、無響大学・非公式掲示板はいつも通り治安が終わっていた。


 猫に求婚した男が、今度はクーポンを握り潰した。学生たちの話題としてはそれで十分だったのだろう。

 深夜にかけて熱を帯びていく掲示板には、次々と新しいスレが立っていた。


【注意喚起】人力Wi-Fi、愛により一部回線が情緒不安定


【悲報】ヤンデレさん、恋敵より先に唐揚げを消してしまうwww


【文芸部】素材が編集業を兼ねる新刊、発売前から事故物件


「受領印を」「被害届だよ」←恋愛・物流・情報倫理の異種格闘技戦


【検証】猫ポエムは祝福なのか、それとも猫への労災なのか


 中でも、もっとも伸びていたスレはこれだった。


【悲報】無響大の猫求婚男、唐揚げクーポンを圧殺して橘める本人を屋上へ配送www


 1:名無しの無響生

 今日の昼に橘めるのクーポン死んだ原因、ほぼ猫男らしい


 2:名無しの無響生

 猫男って誰だよ。

 いや分かるけど分かりたくないから一回誰だよ。


 3:名無しの無響生

 またお前か黒瀬。


 4:名無しの無響生

 猫→唐揚げ

 進化ツリーが汚い


 5:名無しの無響生

 本人曰く「保持」なの本当に狂気を感じた。

 クーポンは野生動物じゃねえんだぞ。


 6:名無しの無響生

 橘「唐揚げ、殺したな」

 黒瀬「保持しただけだよ」

 ↑これ完全に、現場の判断ミスで人質を死なせたベテラン刑事と、微笑みながら自白するサイコパス犯人の会話で腹痛い


 7:名無しの無響生

 今北産業


 8:名無しの無響生

 >>7

 橘のクーポン死亡

 すみれが義援肉集める

 学食が茶色い地層で埋まる


 9:名無しの無響生

 >>8

 脂質の祭祀場で草


 10:名無しの無響生

 口頭ピコンの時点で止めるべきだった


 11:名無しの無響生

 通知音の擬人化、思想がうるさすぎるwww


 12:名無しの無響生

 IT陰陽師こと烏丸、付箋をお札代わりにして人力Wi-Fiの封印を試みた結果、封印に失敗して通信品質ではなく蕎麦の品質が低下した模様。


 13:名無しの無響生

 >>12

 蕎麦はパケットじゃないんだから普通に伸びるだろwww


 14:名無しの無響生

 佐伯とかいうチャラ男、回線妖怪に目付けられてるの哀れすぎだろ

 女を飯に誘っただけで被害者名簿入り


 15:名無しの無響生

 佐伯が命がけで猫男と飲みに行って持ち帰った有益情報がこちら

 ・黒瀬は常温水を飲む

 ・レモンを不可逆と呼ぶ

 以上


 16:名無しの無響生

 >>15

 情報が少ねえ上に不穏すぎるw二度と生搾りサワー頼むなwww


 17:名無しの無響生

 倫理N、今回で配送品質もNになった。

 顔面レアリティは据え置き。


 18:名無しの無響生

 >>17

 顔面偏差値で不審者指数を相殺しようとするな。


 19:名無しの無響生

 でも橘める、最後に唐揚げ一個あげてたぞ。


 20:名無しの無響生

 >>19

 完全なる餌付け

 野生の害獣に味を覚えさせるな


 21:名無しの無響生

 で、結局付き合ってんの?


 22:名無しの無響生

 >>21

 付き合ってたらもっと静かだろ。

 あれは交際じゃなくて、事故物件が勝手に隣へ増築してるだけ。

 見て分からないなら目じゃなくて認識を洗え。


 23:名無しの無響生

 >>22

 増築ニキ、謎にキレてて草。


 24:名無しの無響生

 >>22

 黒瀬に家でも壊されたんか?


 25:名無しの無響生

 橘める被害者の会、また動くらしいぞ。

 退会窓口:現在閉鎖中らしい。

 ※真偽不明


 26:名無しの無響生

 橘める、被害者なのかイベント運営なのかはっきりしろ。


 27:名無しの無響生

 男は追うな。

 男の方が追ってくる。


 ◇◇


 深夜。

 薄暗い部屋に、モニターの光だけが浮いていた。


 カーテンは閉め切られ、机の上には飲みかけのエナジードリンクと、開封されたまま湿気ったポテトチップスの袋が置かれている。


 無響大学・非公式掲示板。

 開かれているスレッドは、さっきからずっと同じものだ。


【悲報】無響大の猫求婚男、唐揚げクーポンを圧殺して橘める本人を屋上へ配送www


 男は、椅子にもたれたまま無言で画面を眺めていた。黒いパーカーの袖口から出た指先が、マウスホイールを少しずつ動かす。


 猫男。人間通知音。Wi-Fiの人。唐揚げクーポンの仇。

 どの呼び名もふざけている。だがその隣には必ず橘めるの名前があった。


 モニターには、掲示板のブラウザと、橘とのチャット欄が並んでいた。画面の端では、緑色のアイコンだけが小さく光っている。


 男はしばらくスレを眺めていた。

 レスが流れるたび、苛立ちだけが溜まっていく。


「……うわ、きっしょ」


 吐き捨てるような声だった。


「なんだこいつ。顔面SSRとか言ってる奴の頭がNだろ。ガチャ引く前に眼科行けよ」


 それから、返信欄に指を置く。


 カタ、カタ、カタ。

 キーボードを叩く音が、部屋の中でやけに大きく響いた。


『顔面偏差値で不審者指数を相殺しようとするな』


 送信。

 すぐ下に別のレスが増えていく。

 男はさらにスクロールする。


『でも橘める、最後に唐揚げ一個あげてたぞ』

『完全なる餌付け

 野生の害獣に味を覚えさせるな』


 そのレスを見て、男の口元がわずかに歪んだ。


「ああいうやつは、一回餌もらったら一生玄関前にいるんだよ。たまたま優しくされただけなのに、勝手に居場所を発行された気になる。そういう害獣だろ」


 言ってから、男は黙り込む。

 玄関前という言葉が、自分で思ったより嫌な形で響いていた。


「……橘も橘で、何でそこで餌やってんだよ。アホが」


 怒っているような声ではない。けれど、明らかに機嫌は悪かった。

 さらに下へ進める。


『で、結局付き合ってんの?』


 その文字を見た瞬間、男の指が止まった。

 画面の白い光が、目元だけを冷たく照らす。


「……は? どこをどう見たらそうなるんだよ。目、飾りなら外せ」


 男は返信欄に、ほとんど迷わず打ち込んだ。


『付き合ってたらもっと静かだろ

 あれは交際じゃなくて事故物件が勝手に隣へ増築してるだけ

 見て分からないなら目じゃなくて認識を洗え』


 送信。

 すぐに画面の向こうで、スレッドは軽く盛り上がった。


 誰かが笑う。誰かが茶化す。誰かが黒瀬の顔を褒める。誰かが橘の名前を出す。

 そのたびに、男の表情は少しずつ冷めていく。


「あー。うっざ」


 男はふと、画面の端に目を向けた。

 そこに、橘とのチャット欄が固定されていた。

 緑色のアイコン。最後の送信は、男の側で止まっている。


 内容は短い。たった一行。

 打った瞬間、自分でも嫌になるくらい棘のある文面だった。


 まだ既読はついていない。いつものことだ。

 橘の返事が遅いのは珍しくない。既読だけついて放置されることもあれば、未読のまま忘れられることもある。むしろ、返事が来たら運がいい方。


 それなのに、今日はやけに腹が立つ。


 男はその画面を一瞥して、すぐに掲示板へ視線を戻した。スレッドでは、唐揚げクーポン死亡事件とやらで盛り上がっている。

 スレッドの中には、さっき自分が打ったレスも混ざっている。

 笑われているのに、少しも笑えなかった。


「……別に、俺には関係ないけど」


 そう言ったわりに、ブラウザは閉じられなかった。

 レスはまだ止まる気配がない。

 知らない名前が、何度も何度も橘の隣に並ぶ。


 彼は別タブを開き、検索窓に短く打ち込んだ。

 『黒瀬じぇに 無響大学』

 Enter。


 乾いた音が部屋に落ちる。

 検索結果が表示されるまでの数秒間、男は画面を睨むように見ていた。


「……慣れてんじゃねぇよ、馬鹿」


 誰に向けた言葉なのかは曖昧なままだ。

 黒瀬に言ったのか。橘に言ったのか。

 それとも、既読すらつかないチャット欄をまだ閉じられない自分に言ったのか。


 男は検索結果から目を離し、元のタブに戻った。スレッドの下の方には、まだレスがついている。


『橘める被害者の会、また動くらしいぞ

 退会窓口:現在閉鎖中らしい

 ※真偽不明』


 男は、その文字列をしばらく見つめた。


 被害者の会。

 馬鹿みたいな名前だと思う。けれど、完全に笑い飛ばせない程度には、その名前は橘めるという人間の輪郭を正しくなぞっていた。


 関わった人間を、勝手に振り回す。約束を軽く扱う。そのくせ、いなくなると変に気になる場所に残る。


「……被害者ね。なら、俺が最古参だろ」


 そんな言い方をしたところで、橘が何かを返してくるわけではないこともわかっている。

 順番に意味があるなら、未読放置はもっと丁寧な扱いになっているはずだった。


 男は、もう一度だけ返信欄に指を置いた。


『橘める、被害者なのかイベント運営なのかはっきりしろ』


 送信。

 画面の中で、その一文だけが静かに増えた。


 どうせ明日も黒瀬といるのだろう。

 どうせ唐揚げでも食っているのだろう。

 どうせ笑っているのだろう。


 勝手に想像して、勝手に腹が立つ。


「……どいつもこいつも、何が面白いんだよ」


 吐き捨てたくせに、ページは閉じられない。


 モニターの端で、緑色のアイコンだけが静かに光っている。

 既読は、まだつかない。



 第2章『君に届く、その前に』完

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― 新着の感想 ―
黒木君が珍しくいら立っている・・・こいつも人間だったか。
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