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黒瀬によれば、これは純愛らしい。  作者: 柊ナツキ
第2章『君に届く、その前に』

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第11話 最悪の家電、仮免取得

 そのまま流れで、四人は学食へ向かった。

 流れ、というより、橘が空腹に負けた。空腹時は、人間関係の異常も多少許してしまう。


 学食の入口には、今日も列ができている。

 食券機前で悩む学生。唐揚げの匂いに負ける学生。後ろから無言の圧をかける学生。


 橘はメニュー表を見上げた。


「唐揚げか鮭か……」


 黒瀬がクリップボードを確認する。


「現在の唐揚げ列、推定四分二十秒」


「その情報、信用していいやつ?」


「……推定値のまま届けるのは、通信事故だね。確認してくる」


「は?」


 言うなり、黒瀬は走った。ただ、走る方向がおかしかった。

 食券機の列を確認し、返却口の混雑を見て、厨房前の小さな掲示を読み、購買横の導線まで視認する。

 姿勢がいい男がクリップボードを抱えて、学食周辺を異様な精度で巡回している。

 対応内容は唐揚げだ。


 そのとき、つきのも学食にやってきた。駆け回る黒瀬の様子を眺めながら、感心したように言う。


「おー、人力Wi-Fiさっそく運用中なんだ。昨日の続き、見に来たよ」


「サークル活動の範囲超えてるだろ」


 つきのは今日も涼しい顔で、面白いものを見つけた目をしている。


「不審な移動も顔がいいとMVっぽくなるもんだね。人類には早すぎるルーターなんじゃない?」


「物理で確認しているだけなら、端末への侵入よりはましです」


「ネットワークの授業で聞いたら教授泣くだろ」


 数十秒後、黒瀬が戻ってきた。

 息は乱れていない。ただ、前髪だけがほんの少しずれている。


「唐揚げ定食、残り十一。揚げ直しまで七分。右側の列が早い。購買横の導線は混む。めるの視線はすでに三回唐揚げへ戻っている」


「待て、多い。情報量が多い。結局どれ食うのがオススメなの」


 黒瀬はクリップボードへ新しいメモを挟み、淡々と言った。


「君は今、唐揚げに選ばれている」


「は?」


「正確には、君の胃が唐揚げを選び、君の理性が鮭で誤魔化そうとしている。でも歩幅、視線、呼吸の浅さを見る限り、もう勝敗は決まってる」


「きっしょ、昼飯で精神鑑定始めんな。で、唐揚げの列は?」


「短い。ただ、連日の揚げ物の摂取は胃に──」


「はいはい、唐揚げ情報だけ届けろ。健康思想は受信拒否」


「……めるさん」


「説教は後で。今の唐揚げに勝る倫理はない」


 烏丸が何か言いたげに眉を寄せたが、橘はもう食券機へ向かっていた。


 五人は、そのまま席へ向かった。

 正確には、四人と一台。普通の昼食に人型通信機器が同席しているだけである。


 学食はいつも通りうるさい。

 トレーのぶつかる音、食券機の電子音、どこかで誰かが笑う声。

 それなのに、橘のスマホだけはやけに静かだった。


 その代わりに、黒瀬がいる。


 席に着くと、近くのテーブルから男子学生がひょいと顔を出した。


「あ、黒瀬くん。橘さんに言っといて。三限の小レポート、今日までだって」


「ちょっと待て」


 橘は箸を止めた。


「なんで私じゃなくてこいつに言うの」


「いや、黒瀬くんに言った方が確実に届きそうじゃん」


 黒瀬はすでにクリップボードへ書き込んでいた。


【三限小レポート:本日締切/配送済み/脅威度C/単位に関係】


 別の女子も、トレーを持ったまま声をかけてくる。


「黒瀬くん、橘さんにあとで返してって言っといて。前に貸したビューラー」


「それは私に直接言えよ」


「だって黒瀬くんなら絶対忘れなそうだし。少なくとも橘さんよりは」


「今の配送物、刃物だったぞ」


 黒瀬は淡々と書き足した。


【ビューラー返却:優先度B/所有物移動/めるの顔面維持に関係】


 つきのが横で肩を震わせている。


「すごいね。黒瀬くん、学内共有メモになってる」


「私の人生に編集権限つけるな」


「でも、便利ではあるよね。めるちゃんもなんだかんだで使ってるじゃん」


「言うな。今それ言うな」


 すみれがカフェオレを片手に黒瀬を見上げた。


「じゃあ黒瀬くん、あたしからも。放課後フラペ、ラメ売り場、めるシー逃亡防止。優先度高めで」


 黒瀬のペンが迷いなく走る。


【すみれ:放課後フラペ/ラメ売り場/逃亡防止/優先度A】


「容疑者みたいな扱いやめろ。……ん?」


 そのとき、橘はクリップボードの下の方に、見慣れた名前を見つけた。


【佐伯まさき:また飲み行かね? 奢り可。猫男抜きで/優先度:Z/配送状態:保留】


「……じぇに。何これ」


「アルファベットの終端」


「そっちじゃねぇよ。勝手に保留すんな。奢り可って書いてあるだろ」


「マルウェアの可能性がある。軽薄な接続要求は隔離」


「嫉妬付きルーターやめろ。私への伝言を勝手に検閲すんなよ」


 橘に届くはずの言葉が、全て一度黒瀬のところへ集まっている。それを黒瀬が整理して、優先度をつけて、橘へ渡す。


 かなり気持ち悪い。

 けれど、情報そのものは失われていない。


 課題の締切も、教室変更も、ビューラーの返却も、放課後の予定も、唐揚げの残数も。

 橘が普段なら雑に流すものを、黒瀬はひとつも落とさない。


「怖いけど便利。怖便利。最悪の家電」


 思わず漏れた声に、黒瀬の指が止まった。


「家電?」


「比喩だよ。家電は勝手に嫉妬しない」


「回線としては?」


 橘は一瞬だけ迷った。迷った時点で負けだった。


「……仮免。路上出んなよ」


 言った瞬間、橘は失敗を悟った。黒瀬に制度っぽい言葉を与えてはいけない。仮免、認可、採用。そういう単語は彼の中で申請書になる。


 黒瀬の目が、ほんの少しだけ開いた。


「本採用を目指す」


「目指すな。採用担当が防犯ブザー鳴らすだろ」


 黒瀬は嬉しそうだった。顔に出すタイプではないのに、空気がわずかに軽くなったのが分かる。

 人力Wi-Fiは、思想が終わっている。

 だが実際、回線としては悪くない。


 すみれもつきのも笑っている。黒瀬は嬉しそうで、橘は唐揚げを前にして負けを認めかけている。


 その中で、烏丸だけは笑わずに見ていた。

 黒瀬ではなく、橘の方を。


「めるさん」


「何。説教?」


「……いえ、すみません。ただ、便利だと拒否しにくくなります」


 橘の手が、唐揚げをつかむ手前で止まった。


「不便なら切れるものでも、便利になると残してしまうので」


 烏丸の声は静かだった。

 責めるでもなく、笑うでもなく、ただ事実だけを置く声。


 黒瀬はクリップボードを抱えたまま、烏丸を見た。


「僕は、めるを困らせないようにしてる」


「困らせないことと、選ばせないことは違います」


 すみれが珍しく黙った。

 つきのも笑わなかった。


 橘は唐揚げを前にしたまま、黒瀬を見る。


「……じぇに。唐揚げ情報は助かった。でも、それで私の通知を勝手に持つ権利は発生しない」


「じゃあ、唐揚げだけなら?」


「規約の穴から揚げ物ねじ込むな」


 つきのが小さく笑った。


「業務範囲を唐揚げに限定しようとしてるよ」


「限定配送だよ」


「初回無料っぽいのやめろ、どうせ二回目から高くつくだろ」


 烏丸がもう一歩だけ踏み込もうとした、その時だった。


 黒瀬が、静かに言った。


「でも今日のめるは、楽そうだったね」


 橘は、何も返せなかった。


 スマホが鳴らなかった朝。通知欄がやけに清潔で、少しだけ肩の力が抜けたこと。


 それを、黒瀬は知らないはずだった。

 知らないはずなのに、見抜いている。


「通知が増えてから、君は何度も画面を見てた。笑ってたけど、少しだけ疲れてた。でも今日は、警戒はしてたけど楽そうだった」


「……観察きっしょ。そういうとこだけ見てんなよ」


「見てるよ。君が見なくて済むように」


「それ見守りじゃなくて支配って言うんだよ」


 烏丸は黒瀬を見て、それから橘を見た。


「……だから危ないんです。全部間違っている人だったら、もっと拒否しやすいので」


 橘は居心地の悪さを紛らわすように、唐揚げを一つ口に入れた。


 学食はいつも通りうるさい。誰かが笑って、誰かが食券機に文句を言って、どこかでスマホが鳴っている。


 その中で、黒瀬だけが、橘の楽さまで見ていた。


「……れいぶん。あとで端末見て」


「わかりました」


「じぇには唐揚げのことだけ喋れ」


「限定配送」


「喋るなって意味だよ」


 ◇◇


 食後、すみれがスマホを見ながら「あ」と声を上げた。


「そういえばめるシー、唐揚げ盛り放題クーポン、金曜までじゃん。今日使わなかったの?」


「最終日に使う。金曜に、一番得した顔で食うんだよ」


 つきのが唐揚げの皿を見ながら淡々と言った。


「最終日に全賭けする人間、だいたい何かを見落とすよね」


「やめろ。私は唐揚げに選ばれた女だぞ。金曜に勝つんだよ」


「しかもこの大学って、うまい話ほど小さい字で嫌な条件書かれるとこあるよね。人が読み飛ばしやすい字で」


「おい、その件はもう刺すな。読む気があるときはちゃんと読むし」


 そのとき、黒瀬がクリップボードに新しい紙を挟んでいた。

 橘は何気なくそれを見て、眉を寄せる。


【金曜:唐揚げ盛り放題クーポン最終日】

【優先度:最上位】

【配送状態:保持】


「触るな。祈れ。人類が唐揚げクーポンにできることは、感謝と祈りだけ」


「分かってる。最上位だから落とさない」


「よし、金曜に私は勝つ」


「ここまで全員が慢心してると、逆に清々しいね」


「めるシーの負けフラグにしか見えないんだが」


 クリップボードの端で、黒瀬のペンが小さく動く。


【保持:完了】


 その下に、細い文字で何かが続いていた。

 けれどその行は、黒瀬の指とクリップの金具で半分隠れている。


 大事なものほど、静かに保管される。そして静かなものほど、だいたい後で爆発する。

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― 新着の感想 ―
「通知が増えてから、君は何度も画面を見てた。笑ってたけど、少しだけ疲れてた。でも今日は、警戒はしてたけど楽そうだった」 黒瀬君の「支配」がどんどん露骨になっていく。いや、本人に自覚はないのだけど。 橘…
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