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黒瀬によれば、これは純愛らしい。  作者: 柊ナツキ
第2章『君に届く、その前に』

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第6話 デジタル胃もたれは肉で上書きできる

 だがそこへ、肉盛りが届いた。


 鉄板の上で肉がじゅうじゅうと音を立てている。熱でソースが跳ね、甘辛い匂いが一気にテーブルを占領した。

 橘の胃は、さっきまでのデジタルな不快感をあっさり忘れた。大学ポータルの通知など、肉の湯気の前では所詮ただの事務連絡である。


「人類の勝利来たー!」


「肉への信頼すご」


「肉は人を裏切らない。焼き加減ミスる人間はいるけどね」


 佐伯は笑いながら、自分の皿を橘の方へ寄せた。


「ほら、信者代表に勝利の分配」


「代表として受け取ります。今日のあんたは徳が高いよ」


「信仰心の方向性つよ」


「鎮まれ。今は祈祷中」


 橘は箸で肉を挟み、一瞬だけ厳かな顔をしてみる。

 そして、普通に口へ入れた。


 この前の唐揚げとは違い、黒瀬が選んだものではない。自分で選び、自分で食べた。唐揚げも美味かったが、それとはまた違った良さがある。


 肉を食べている間にもスマホの通知は積もっていく。テーブルの端で伏せた画面が短く震える。

 一度。

 しばらく置いて、また一度。


 けれど今の橘は、その音をいつもより遠くに置けている。

 佐伯は通知の理由を詮索しないし、勝手に意味もつけない。肉は熱いし、会話は軽い。

 それだけで、画面を伏せたままにできた。


「てか橘、これ食う?」


 佐伯がポテトの皿を寄せてから、ワンテンポ遅れて「あ」と顔を上げた。


「ごめん、呼び捨てもセットでつけちゃった」


「裏メニュー?」


「今ならポテト付き」


「じゃあ許す」


 呼び方ひとつに記念日も契約書も発生しない。意味を貼りつける前に、呼んだそばから次の話題へ流れていく。


「橘ってさ、黒瀬くんのこと何枠に置いてんの?」


「事故物件枠。たまに上の階から水漏れしてくるタイプの」


「退去しなよ」


「たぶん敷金返ってこないし、勝手にリフォームしてくる。内覧した時点では、あそこまで壁うるさくなかったんだよね」


「事故物件というより詐欺物件じゃん。怖すぎるリフォーム番組みたい」


 佐伯はまた笑った。笑い方がうまい男だった。


「ま、外から見る分にはおもろいけどさ。中に住む話になると、たぶん笑えないよね。橘って、本気で嫌だったらツッコむ前に消しそうだし」


「嫌いだったらとっくに視界から消してる」


 橘は言ったあとで、しまったと思った。

 この会話を本人に聞かれたら終わる。絶対に保存される。勝手に記念日になる。

 だが佐伯は、ただ軽く流しただけだった。


「じゃあ事故物件だけど、まだ退去届は出してないんだ」


「住んでねえよ。勝手に名義登録されたんだよ」


「どんまい。じゃあ俺、今日は外食先の避難所ってことで」


「避難所が肉バルなの贅沢すぎて好き」


「避難民への支援は厚い方がいいじゃん」


 佐伯はそこで笑ってポテトへ逃げた。踏み込めるくせに、踏み込まない。それが優しさなのか、自分が踏み込まれたくないだけなのかは分からない。


 だから橘もその先は聞かなかった。


 そのまま食事は、拍子抜けするほど普通に終わった。


 スマホはその後も何度か震えたが、橘は一度も開かなかった。肉はうまかったし、黒瀬なら三秒で意味をつける沈黙も、佐伯相手だとただの咀嚼時間で済んだ。

 それだけで食事というものはちゃんと成立する。


 今度こそ、佐伯は本当に奢った。


 ◇◇


 店を出ると、夜の駅前には人の流れと信号の音がごった返していた。


 店内の熱気から一歩外へ出ただけで、空気が急に冷たくなる。肉の匂いも、佐伯の声も、照明の明るさも、扉が閉まる音と一緒に背中側へ置いてきたみたいだった。


「ごち。サンキュー、まさき。この前よりは普通の飯でよかったわ」


「リベンジ成功ってことで。俺の財布は今ちょっと反省会してるけどね」


「いい経験になったじゃん。財布の育成捗るね」


「財布に体育会系の成長求めないで。でも、また飯行こ。次も猫男抜きで」


「それがいちばん難しいんだよな」


「確かに」


 佐伯は笑いながら軽く手を振って、人混みの方へ消えていった。


 橘は暗い駅前に一人残った。

 さっきまで笑い声に紛れていたスマホの振動が、一人になった途端、やけに近くなる。


 なんとなく画面を見ると、授業支援システムの通知が縦に並んでいた。スマホを伏せていた間にも、少しずつ増えていたらしい。


 確認。

 追加確認。

 食事。

 水分補給。

 帰宅予定。

 補足。


 件名だけなら、どれも事務連絡のように見える。だが、本文を見れば全部黒瀬だった。


『どこ』

『誰と』

『何を』

『水』

『いつ』

『返して』


 大学の公式システムが、黒瀬の情緒を小分けで配達していた。

 そして、最後の一通。


 件名:無題


『める』


 確認ですらなかった。件名も目的も投げ捨てて、名前だけが残っていた。


「大学のシステムで呼ぶな。新手の出席確認かよ」


 橘はため息をつく。もちろん、そんな独り言に返事があるはずもない。

 そう思った瞬間、背後から声がした。


「楽しかった?」


 振り返ると、黒瀬がいた。


 流れていく人間たちの外側に一人だけ止まっていた。駅前の喧騒が、彼の周りだけを避けているみたいだった。

 人間というより、設置物に近い。


「……じぇに」


「楽しかった?」


 同じ質問だけが、静かに置かれる。

 責められるよりも厄介な確認の仕方だった。


「まあ、普通に」


「そっか」


 黒瀬の返事はそれだけだった。


 怒鳴るわけでもない。詰め寄るわけでもない。

 ただ、橘の顔を見ていた。肉を食べて、笑って、黒瀬のいない時間を過ごしてきた顔を。


「ついてきたの?」


「店には入ってない。駅前にいただけ。君が帰るなら、ここを通ると思って」


「セーフに寄せようとしてもアウト寄りのアウトだよ。あとさ、ポータルを未練の投函口にすんな。課題連絡とあんたの情緒が同じ画面に並んでたら、単位が先に死ぬ」


「君が返さなかったから、未回答が行き場を失った」


「はいはい。次やったらPC相談室のれいぶんに見せるからな」


 黒瀬の目が、そこで止まった。


「……人間?」


「カラス。人間だけど」


「君は、その人に端末を見せるの?」


「端末だけな。あんたと違って、画面と人生の境目くらい分かる元──」


 橘はそこで口を閉じた。


 遅かった。


「……元彼なんだね」


「いいえ。元、端末に詳しい人です」


「元彼」


「反復すんな」


 橘が否定しても、黒瀬は聞いていなかった。直感と嫉妬の精度だけ無駄に高い。

 黒瀬はそのまま黙り込む。駅前の音が、その沈黙の周りだけ薄くなった。


「……その人に見せる前に、別の経路を作って」


「は?」


「公式を使うなという指示なら、代わりがいる。君に直接送りたい」


 言われてみれば、授業支援システムに黒瀬の未練が蓄積されていくよりはマシな選択肢だった。

 課題連絡とヤンデレ通知が同じ箱に入っているのは、精神衛生上かなり悪い。情報倫理概論の画面で倫理が死ぬのも、普通に縁起が悪い。


「ポータルに湧かれるより、出没場所を一個に絞った方がマシか……」


 橘はしぶしぶ、連絡先の画面を出した。


「じゃ、これ。ここ以外から送ってきたらブロック。ポータル使ったら学生課。電話したら死刑。苦情窓口であって恋愛窓口じゃないからな」


「僕専用の窓口」


「違う。苦情、迷惑、削除依頼の受付場所」


 黒瀬は画面を見つめた。たった数秒の登録作業を、戸籍に名前が載る瞬間みたいな顔で見ていた。


「……これで、公式じゃなくなる」


「関係も非公式のままだけどな」


 黒瀬は小さく頷いた。否定ではなく、記録の顔だった。

 橘のスマホに、新しい名前が登録される。


 黒瀬じぇに。

 文字としてスマホに入ると、また余計な意味を増やされる気もする。


「言っとくけど、返信するとは限らないから」


「いいよ。届くならいい。既読は接続の証拠だから」


「やっぱ送るのやめよっかな」


 橘が画面を引っ込めようとすると黒瀬の視線がわずかに揺れた。それが面白かったので、橘は結局そのまま登録を終えた。


「はい。これでポータル禁止。二度と授業支援システムに『水』とか送ってくんな。教授が泣く」


「ポータルでは、ね」


「おい」


 駅前の光が、黒瀬の横顔に薄くかかる。嬉しそうではない。ただ、何かを新しく覚えた顔だった。


「でも、今日分かった」


「何が」


「文字は遅い」


 橘は眉をひそめた。


「君が見なければ、そこで止まる。僕がどれだけ送っても、君が画面を伏せれば届かない」


「それが普通なんだよ。人には通知を無視する権利があります」


「あるね」


 黒瀬は否定しなかった。否定しなかっただけで、納得した声ではない。


「でも、音は違う」


 改札のチャイムや誰かの笑い声がばらばらの方向から流れてくる。


 ピコン。

 どこかから聞こえた音に、橘の意識が一瞬だけ引っ張られる。

 黒瀬はそれを見ていた。


「音は、君が見る前に届くんだね」


「その発見、封印指定にしといて」


「無理だよ。君が見なくても届くものがあるなら、僕はそれを無視できない」


 これ以上その話を続けたら、黒瀬の中でまた何かが育つ。育成ゲームなら電源を切るところだが、黒瀬には基本的に終了ボタンがない。


 だから橘は、話題を一番安全な場所へ落とした。


「とりま、肉うまかったから今夜は勝ちってことで」


「僕は肉にもなれない」


「肉より先に人間になるとこから始めろよ」


 橘はため息をつき、そのまま駅の方へ歩き出した。


「帰る。今日は肉で腹いっぱいだから、あんたまで胃に入らない」


「……なら、耳に残る方にする」


 黒瀬はそれ以上、近づかなかった。背後から追ってくる足音もない。


 橘はなんとなく、スマホを見なかった。

 その代わりに、駅前のどこかでまた誰かのスマホが鳴る。


 ピコン。

 ただそれだけの音が、やけにはっきり耳に残る。


 橘は振り返らなかった。振り返ったら、きっとその音に意味がつく。

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― 新着の感想 ―
Xの企画から来ました! 二人の関係、時間が経っても表面上は全然進展してないのに、「この二人結局どうなるんだろう」ってずっと気になっちゃいます。 めるちゃん、じぇににはかなり辛辣で冷たいのに、佐伯との会…
途中、黒瀬サイドかな~なんて思ってたけど、やっぱついていけねえ、黒瀬君 佐伯君がいっそすがすがしい。橘さんを人間として扱っている。黒瀬君は橘さんを人間としてあつかっている・・・?のか。 なんか至上の存…
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