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黒瀬によれば、これは純愛らしい。  作者: 柊ナツキ
第2章『君に届く、その前に』

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第3話 その音、少し嫌いになった

 佐伯は唐揚げを一つ口に入れ、ようやく本来の目的を思い出したように身を乗り出した。


「で、結局さ。猫男って、橘さんとどういう関係なの?」


「飯のネタにするために来たんだから、まあ話すか。一言で言うと顔のいい事故物件」


「説明が雑すぎる」


「詳しく言うと、勝手に人の発言を契約にして、猫に私の代わりを背負わせて、ラブホ前で宇宙ポエム読んで、晒されたのに記念日だと思ってる男」


「詳しく言っても事故物件じゃん」


「だから言ったでしょ」


 佐伯は笑いながらスマホを持ち上げた。


「やば。これ友達に送っていい? 『猫男、本人解説つき』って」


 その瞬間、斜め後ろの空気が少しだけ冷えた。

 黒瀬が、佐伯のスマホを見ていた。


「……送る?」


「え、だめ?」


「僕の話を、めるの口から聞いて、それを君の外側へ流すの?」


「いや、そんな重い話じゃなくて」


「重いかどうかは、君が決めることじゃない」


 佐伯の笑いが止まった。

 橘はポテトをつまみながら、雑に口を挟む。


「じぇに、ネタにされるの今さらじゃん。もう掲示板で万単位に消費されてるよ」


「だから嫌なんだよ。僕を通して、君が外へ持っていかれる。僕の異常を入口にして、知らない誰かが君に近づく。君はそれを飯代に変えて笑う」


「だいぶ正確で草」


「笑わないで」


 ピコン。

 橘のスマホが鳴った。


『今日どうなった?』

『飲み終わったら合流しよ』


 黒瀬の視線が、音のした場所へ落ちる。


 さっき佐伯が持ち上げたスマホ。

 今鳴った橘のスマホ。

 唐揚げの皿に置かれたレモン。


 黒瀬の中で、本来つながってはいけないものが、静かに一本の線になった。


「……その音、少し嫌いになった」


「通知に嫉妬すんな」


「嫉妬じゃない。処理対象として認識しただけ」


「言い換えで怖さ増してるぞ」


「鳴るたびに、君が外を見る。僕じゃない音に首を向ける」


 黒瀬は、唐揚げの横に残ったレモンを見た。


「一度かかったレモンは、もう取り除けない。一度届いた通知も、なかったことにはできない」


「唐揚げから通信に思想飛ばすな」


「本人が選ぶ前に、外側が君へ届くのは不可逆だ」


 橘はポテトを持ったまま固まった。


「ちょっと待て。今なんか嫌な本題入ったな」


「まだ、何もしてないよ」


「してからじゃ遅いんだよ」


 橘はそれ以上踏み込まないという意思表示みたいに、ポテトをつまんだ。

 黒瀬はそれ以上何も言わなかった。


 佐伯は黙って水を飲む。もう笑いは出てこなかった。


 さっきまでなら、黒瀬の一言一言を「あとで誰かに話せるネタ」として拾えていた。


 でも今は違う。


 普通なら引くところで、橘は雑に返す。

 黒瀬は、その雑さを当たり前みたいに受け取る。


 その呼吸が、近すぎる。


「……橘さん」


 佐伯の顔から、さっきまでの見物人の余裕が消えていた。


「俺、今日ここまでで十分かも」


「はやっ。なんで?」


「これ以上いると、軽い話として持ち帰れなくなる。講義3コマ分くらいの情報を一気に浴びたわ」


 佐伯はテーブルに視線を落とした。


「猫男の話聞きに来たつもりだったけど、なんか……同じ卓で見るもんじゃないなこれ」


 佐伯は財布を出し、自分の分くらいの金をテーブルに置いた。


「奢るって言ったけど、ごめん。これ、俺の分と唐揚げ代ちょい。あとは……」


 佐伯の視線が黒瀬へ流れる。


「そっちの管理者に請求して」


「管理者じゃない。僕は支払い能力のある関係者だよ」


「もっと嫌な自己紹介になったな」


 佐伯は立ち上がった。


「じゃ、また大学で。次は普通に、普通の飯で」


「普通って言うとまた分解されるよ」


「あ、じゃあ……軽めの飯で」


「それも危ない」


「もう何も言えないじゃん」


 佐伯はそれだけ言い残して、店を出ていった。

 暖簾が揺れ、軽い男の軽い気配が店の外へ消えていく。


 残ったのは唐揚げと、橘と、黒瀬。それから店内の喧騒。


「……マジで追い払ったな」


 橘が言うと、黒瀬は首を傾げた。


「結果としては」


「自覚ありかよ」


「彼は、めるの食事相手として適切ではなかった」


「誰なら適切なんだよ」


「僕」


「聞いた私に落ち度がある」


 橘は唐揚げをもう一つ取り、口にほおり込む。

 やはり美味しい。冷めかけていても、揚げた肉はまだ裏切らない。


「……じぇに、奢れ」


 黒瀬は目を瞬かせた。


「僕が?」


「飯代浮かす予定だったのに、あんたが邪魔してまさきが消えたんだから。責任取れよ」


「……めるが僕に請求した」


「金をな」


「僕に役割を与えた」


「財布としてな」


「これで今夜の君の食事に、正式に関与できる」


「レシートを契約書みたいに扱うな」


 黒瀬は当然のように、佐伯が去った席へ移動してきた。

 距離の詰め方はとても自然だった。なぜこういうときだけはスマートなのか。


「いつ座る許可出した?」


「支払いの当事者が同席するのは当然だと思うけど」


「当事者に着席権は付属しません」


「近い方が君の追加注文にも対応できる。ラストオーダーも聞き逃さない」


「財布のくせに居酒屋適性だけ高いな」


 黒瀬は橘の目の前に座ったまま黙り込み、橘が食べるのを見ていた。

 沈黙しても存在が静かにならない。黙ればマシ、という評価は今すぐ撤回した方がよさそうだ。


 黒瀬の前の皿は、ほとんど減っていない。

 水だけがきれいに置かれていて、店の客というより食事記録アプリの人型端末だった。


 ずっと口を出して、観測して、勝手に守った気になっているくせに、自分の腹には何も入れていない。

 そういうところまで変に極端で、見ているだけでこっちまで満腹になる。


 目の前で何も食べずにじっとされるよりは、唐揚げでも食べて黙っていてくれた方がまだマシだった。その判断がかなり終わっている気もしたが、今さらである。


「食え、二個処理して」


 橘は三つだけ残った唐揚げの皿を黒瀬の方へ押した。


「……え?」


「食いもせずに見てるだけだと店の怪談になる。あと、支払い担当が倒れたら会計が詰むんだよ」


 黒瀬は皿を見て、それから橘を見た。


「めるが、僕に食べろって言った」


「また変な解釈するなら撤回する」


「食べるよ」


 黒瀬は唐揚げを一つ取った。箸の持ち方まで綺麗で、中身以外は本当に無駄がない。

 一口食べて、目を伏せる。


「君が食べていたものは、本当に美味しい」


「唐揚げを通して私を摂取すんな」


「そういう意味じゃない」


「そういう意味にしか聞こえねぇんだよ」


 黒瀬は何か言いたげだったが、橘が睨むと、黙って二つ目の唐揚げを食べた。

 唐揚げ二個で静かになる。最低の攻略情報だった。


 やっと、卓のジャンルが怪談から食事に戻った。


「める。今日は君の周り、音が多かったね」


 戻っていなかった。

 橘はポテトを持ったまま固まった。


「待て。やめろ、すんな」


「今のはただの感想だよ」


「その声で言う感想はだいたい災害予告だろ」


「駅前も、店も、通知も、全部うるさかった」


「金曜夜の居酒屋レビューとしては最低だな」


「でも、君は慣れてる。僕は、めるに届く音が多いことに慣れたくない」


 橘は嫌でも感じ取ってしまう。

 黒瀬が今、また余計な方向へ思考を伸ばしていること。彼の中で「通知音」と「佐伯」と「店のざわめき」が同じ箱に入れられ始めていること。


 分かった上で、橘は拾わなかった。

 拾うと長い。重い。そしてたぶん、何かが育つ。


 だから橘は無視して雑に水を飲んだ。


「まあ、あんたも相当うるさいけどな」


「僕は必要な音だよ。少なくとも、君が僕を見る理由にはなる」


「自己評価だけ無線で飛ばすな。呼ぶな。勝手に来るな。あと払え」


「うん」


 黒瀬は財布を出した。本当に払う気でいるらしい。


 橘は残った最後の一つを口に入れた。冷めかけているのに、まだ美味い。

 しかし、最初に黒瀬が選んだ一個が一番当たりだった気がする。


「……ムカつくけど有能」


 本人には聞こえない声で呟いて、橘は水を飲んだ。


 ◇◇


 会計を済ませて外へ出ると、夜の空気が冷たく頬を撫でた。

 駅前よりは人が少ない。それでも、車の音も、店先から漏れる音楽も、どこかの誰かの笑い声も、遠くの電子音も、途切れることなく夜の中に混ざっている。


「あー、食った。じぇに、財布として30点な」


「低いね」


「唐揚げ選びで20点足して50点。本人が黙ってれば60点」


「じゃあ、60点」


「今喋ったから55点。あんたは発話で減点されるタイプだわ」


 黒瀬は少しだけ笑った。笑ったように見えた、が正しいかもしれない。


 橘のスマホが鳴る。

 ピコン。

 黒瀬の目が、そちらへ動く。


「いい加減その顔やめろ。通知音に親でも殺された?」


「親ではないよ」


「親以外なら何かあるみたいな返しだな」


 黒瀬は答えなかった。ただ、夜の駅前を見ていた。


 看板の光。人の声。通知音。笑い声。橘の周りにある黒瀬以外のものが、今日も勝手に鳴っている。


 橘にとっては、ただの夜だった。

 うるさくて、軽くて、明日にはほとんど残らない夜。


 けれど黒瀬だけは、それをただの夜として聞いてはいなかった。


 鳴っただけで、橘の目を外へ向けるもの。

 軽いくせに、橘を簡単に動かすもの。

 本人が選ぶ前に、勝手に橘へ届いてしまうもの。


 黒瀬は、さっきの唐揚げ皿を思い出していた。


 勝手にかけられたレモンは、もう戻せない。

 勝手に届いた通知も、なかったことにはできない。


「……不可逆だね」


「何が」


「いや。まだ、何でもない」


 黒瀬は静かに笑った。


 その音を、橘は聞こえなかったことにした。

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― 新着の感想 ―
黒瀬君は今度は音に執着かあ・・・ 佐伯君は黒瀬君と対になる存在で、空気を読んでさっと消えた。 黒瀬君の思考、まあ、なんとはいわないけど、なんとなくわかるんだよなあ。
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