25.王と死神
戦場にはまだ砂煙が漂っていた。崩れ落ちていくアンデッドたちの骸。その中心に、かつてのメイダの主、ノアス王が孤高に立っている。
カテリーナは、掌に馴染んだ重厚なハルバード・カスタムの柄を握り締め、王を見つめていた。
「……剣を取れ、カテリーナ」
静かな、だが心に直接響く声。
「私はまだ王だ。……そしてお前は、メイダの戦士。ならば、言葉は不要だろう」
風が吹き、王の纏うボロボロの外套が翻る。
カテリーナは、込み上げる感情を死神の冷徹な理で抑え込み、静かに、だがはっきりと告げた。
「……陛下。……私は、あなた様をお救いしに来たのではございません。……あなたを、自由にしに来たのですわ」
「哀れむな、カテリーナ!」
王の大剣が、凄まじい威圧感と共に持ち上がる。アンデッド特有の腐敗臭など微塵も感じさせない、全盛期の覇気。
「王を救う方法は一つ。……戦うことのみ。……来い! 私を倒せ! それが、私を王として死なせる唯一の慈悲だ!」
王の咆哮が戦場を震わせた。カテリーナは深く、深く一歩を踏み込む。
死神の鎌が、漆黒の閃光となって虚空を薙いだ。
ハルバード・カスタムの斧刃が王の大剣を正面から受け止め、金属の火花が夜の闇を白く染める。数万の同胞の魂が、カテリーナの腕を通じて王の剣圧を押し戻した。
「……はぁっ!!」
カテリーナが吠える。ハルバードの石突きで地を叩き、その反動を利用して、王の懐へ『螺旋の一撃』を叩き込む。
だが王は、一歩も引かない。大剣の腹でその剛力を受け流し、火花を散らしながら、カテリーナの喉元を鋭い突きで狙う。
「そうだ……それでいい、カテリーナ! その『重さ』だ!」
王の瞳に、かつての戦場を駆けた戦士の熱が灯る。
カテリーナはハルバードの柄を中段で握り、死神の鎌の刃で突きを絡め取る。そのまま強引に王を投げ飛ばそうとするが、王は巨体に似合わぬ身軽さで宙を舞い、着地の衝撃を爆発的な踏み込みに変えた。
「――受けてみよ! これぞ我が魂!」
大剣が虚空を裂き、圧縮された空気が衝撃波となってカテリーナを襲う。
カテリーナは一瞬、深紅の瞳を細めた。
(……視えますわ。王の剣筋、そして……魂の叫びが!)
彼女は避けない。ハルバード・カスタムの斧面を正面に構え、数万の同胞たちの魂と共にその衝撃を『正面突破』する。
ドォォォォン! と戦場が震え、カテリーナの足元の地面が蜘蛛の巣状に砕ける。
「……陛下。……今の私は、一人ではございません。……かつてあなたに仕えた、すべての戦士の誇りを背負っておりますの!」
カテリーナの全身から、漆黒の魔力と黄金の闘気が混ざり合い、巨大な翼のような残像を描く。
彼女はハルバードを頭上で旋回させ、遠心力と魂の質量を一点に集中させた。
「これが……私たちの、最後の奉公ですわ!!」
漆黒の閃光が、王の防御を粉砕し、大剣を跳ね飛ばす。
無防備になった王の胸元。しかし、カテリーナの刃は肉を裂く直前で、その角度をわずかに変えた。
――パチンッ。
パパタローの『狐の目』ですら捉えきれぬ速さ。
槍の穂先が、王のうなじに癒着していた『白い呪縛の糸』を、吸い込まれるように正確に、冷徹に断ち切った。
「…………っ!」
王の動きが止まる。
大剣が泥の中に落ち、ガランと乾いた音が響く。
先ほどまでの狂気的な覇気は消え、そこには、ただ全力で愛弟子と語り合った後のような、満足げな男の顔があった。
ノアス王がゆっくりと膝をつく。光の粒子へと変わり始めた王の瞳は、穏やかにカテリーナを見つめていた。
「……ふっ……ははは。……見事だ、カテリーナ」
カテリーナはハルバードを下ろし、最高級のカーテシーを捧げた。顔を上げた彼女の瞳には、大粒の涙が溜まっている。
「……陛下。最後のご報告を。……エリス様は、あなた様の実の娘、エリス様は、今も健やかにお過ごしですわ。戦火を生き延び、今もその高潔な魂を――」
「……分かっている、カテリーナ」
王の掠れた声が、彼女の言葉を遮った。消えゆく身体の奥底から、慈しむような熱い響きが漏れ出す。
「……見ておったぞ。……エリスは、よく戦っておった。……あの娘が、あのような……立派な戦士に……なるとはな……」
王の視線は、カテリーナの背後に佇む一団へと向けられた。
そこには、ボロボロになりながらも武器を杖代わりに立ち尽くす、メイダ12人衆の面々。そして、その中心で息を呑み、震える唇を噛み締めているエリスの姿があった。
「お父様……っ!」
エリスがたまらず一歩踏み出す。その後ろで、パパタローが静かに、だが力強く彼女の肩に手を置いた。
「……そうか。今は、そこのパパタローという男の下にいるのだな。……お前が……エリスを、守ってくれたのだな……感謝する」
その時、遠く城門の外から地を揺らすような歓声が聞こえた。
王はふっと目を細め、消えゆく手で自らの顔を拭う。
「そうか。まだ……王としての仕事が、残っておったか……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
城門の前に、人の波が押し寄せていた。
奴隷として囚われていたメイダの民。そして、共に苦難を舐めた他民族の姿もあった。
解放された者たちが、再興の光を求めて城へとぞくぞくと集まってくる。
そして――。
民衆は、その姿を見つけた。
瓦礫の王道を歩む、一人の王を。
「陛下……!」
一人が叫ぶ。それが合図だった。
「ノアス王だ!!」
「王は生きておられた!!」
「陛下!!」
歓声が一斉に上がる。涙を流す者、その場に膝をつく者、拳を天に掲げる者。
城門の前は、王の名を呼ぶ熱狂で満たされた。
アンデッドとなったノアス王は、その民を見渡した。
長く守り続けた民。そして、守れなかった民。
王は一歩前に出る。風が外套を激しく揺らした。
王は、最後の力を振り絞り、声を張り上げた。
「国民よ!!」
怒濤の歓声がぴたりと止む。すべての視線が、光り輝きながら立つ王に集まる。
王はゆっくりと振り返った。そこには一人の戦士――メイダの魂を背負い、泥に汚れながらも凛と立つカテリーナがいた。
「……私は長く、民を守り、戦い続けてきた……。だが、もう責任を次の世代に託す時が来たようだ……」
どよめく…
しかしそんなどよめきはお構いなく、王は高らかに宣言する。
「聞け!リスフェルドの王は……カテリーナだ!!」
短い沈黙。万感の想いを込めて、王は告げた。
「‥‥」
「カテリーナ?」
「カテリーナ」
「カテリーナ!!!!」
民衆がどよめき、地が鳴る。
その瞬間、戦場の空気が震え、歓声が爆発する。民衆は手を取り合い、涙を流し、土と砂煙の中で新たな希望を見出した。
王はそれ以上、何も語らなかった。静かに背を向け、城へと歩き出す。
誰も止めない。誰も声をかけない。
ただ、その神々しい背中を、民は祈るように見送った。
王は城門をくぐり、玉座の間へと辿り着く。
そこには、エリス、パパタロー、そしてメイドたちが待ち受けていた。
誰も言葉を発さない。ただ、帰還した王の最期を見守る。
王はゆっくりと王座へ向かい、腰を下ろした。
王として、最後に。
王はエリスを見た。それは戦士の鋭さを削ぎ落とした、父としての穏やかな目だった。
「ああ。……短い夢だったな。カテリーナ、お前に……メイダの未来を託す」
「エリス、すまなかったな。不甲斐ない父を許してくれ。……愛している」
「お父様!!」
エリスの叫びが響く中、王の身体が足元からさらさらと砂のように崩れ始める。
呪縛を失った骸は、ようやく本来あるべき安息へと還っていく。
「……御意に。……おやすみなさいませ、ノアス陛下」
カテリーナが深く、深く頭を垂れた。
その言葉を最期に、王の身体は音もなく、光の粒子となって玉座の上から消えていった。
外ではまだ、止まぬ歓声が続いている。
「ノアス王!!」
「陛下!!」
「王よ!!」
民の愛した王は、その歓声に抱かれながら、静かにこの世を去った。




