4-6.深淵の鐘
旧リスフェルド中央教会。
崩壊した礼拝堂では、復興作業が続いていた。
瓦礫の撤去。
柱の補強。
崩れた祭壇の修復。
かつて祈ることすら許されなかった者たちが、今は王都を再建していた。
「最後に像を設置したら、今日はしまいだ!」
「復興祭いって、たらふく飲むぞー!」
「おおーーっ!!」
疲労混じりの笑い声が広がる。
礼拝堂中央では、崩れた女神像を数人がロープで吊り上げていた。
長年、瓦礫に埋もれていた巨大石像。
新しい台座へ移すだけの、最後の作業だった。
カサッ
石像の影を、小さな灰色の何かが走った。
「……ん?」
作業員の一人が覗き込んだ。
「気のせいか……」
疲れた目を擦りながら、男は笑った。
「もう限界だな。酒が見えてきた。」
「違ぇねぇ!」
周囲から、疲労混じりの笑い声が広がる。
「消灯ー!本日の作業終了だ!」
「おおーっ!!」
「復興祭にいくぞぉー!」
「おおお!!!!」
「パパタローさんに、たらふく奢ってもらうんだ俺は!」
「お前、命知らずだな……。」
「なにいってんすか!俺のあこがれの人っす、パパタローさんは!」
「じゃあ俺は、カリンさんにねだろうかなぁー」
「あはは!そりゃ無理だ!」
「金庫番に投げ飛ばされるぞ!」
「ちげぇねー!!」
どっと笑いが起きる。
その時だった。
「あ。」
一人の作業員が足を止めた。
「どうした?」
「あー。弁当箱、忘れた。」
「おいおい。」
「かみさんにまた無くしたってバレたら、明日の弁当作ってもらえなくなる……。
『あなた!これで何度目なの!?』とか…。」
「ははは、それは死活問題だな。」
「行ってこい行ってこい!鍵閉められる前に行ってこい!」
笑われながら、男は崩れた礼拝堂へ戻っていく。
夜の教会は、昼間と違って妙に静かだった。
吊られたランタンが、かすかに揺れる。
「えっとぉ……どこ置いたっけな…おかしいぃなぁ。確かこの辺りなんだけどなぁ…」
礼拝堂へ足を踏み入れた、その瞬間。
ババッ――!
「うおっ!?」
灰色の小さな影が、足元から飛び出した。
鼠。
一匹ではない。
二匹、三匹。
何匹もの灰色の小獣が、男の足にぶつかりそうな勢いで外へ逃げていく。
「な、なんだぁ!?」
その背中に、白い紋様が見えた。
祈りの文字みたいな模様。
「祈り鼠……?」
人の祈りが残る場所へ棲みつく、小さな獣。
本来なら人を避け、灯りや足音がした時点でどこかへ隠れるはずの臆病な小獣たちが、今はなりふり構わず、人間の足元をすり抜けて駆け去っていく。
異様だった。
「……妙だな。」
戻ってきた作業員の一人が、駆け去る鼠の群れを見つめて眉をひそめた。
「おい。大丈夫か!? 今、大量に鼠が出ていったぞ。」
施錠をしようと待っていた責任者が、鼠の軍勢に驚き、入ってきた。
「……。」
男は返事をしなかった。
青ざめた顔のまま、
鼠たちが逃げていった入口を見ている。
「おい、聞いてんのか?」責任者が男の肩を揺すろうと、一歩踏み出した。――その時だった。
男のガタガタと震える指先が、ゆっくりと「床」を指さした。
「どうした?」
床に黒い影があった。しかし、直ぐに異音に意識が向かう。
――ミシ。
そして。
男は、ようやく気づく。
小さな音。
礼拝堂の中央。吊っていたはずの女神像が、不自然に揺れている。
「もしかして、あの鼠が逃げてたの、俺たちからじゃなかったのか……?」
人間という恐怖の対象へ向かってでも走らざるを得ない、それ以上の「何か」が背後にいる。
男の背筋を、冷たいものが走る。
「……おい。」
誰もいない礼拝堂。
ロープだけが、ぎし、ぎし、と音を立てはじめた。
床下から、生暖かい風が吹き上がった。
――ミシ。
小さな音。
古びたロープが軋んだ。
――ブツン。ビュンッ!
「うわぁぁぁぁっ!?」
巨大な女神像が倒れかかると同時に、千切れたロープが暴れ狂い、周囲の足場や柱を打ち据えた。
石床へ激突し、礼拝堂全体が、大きく揺れた。
――ゴォォォォォン。
低い音。
腹の底へ響くような、巨大な鐘のような振動。
床が割れる。
亀裂。
崩落。
石畳が連鎖的に砕け、中央部が大きく陥没した。
「な、なんだよ……これ。」
土煙が舞う。
礼拝堂の空気が揺れていた。
その時。
「おいっ!?今の音なんだ!!」
「!?」
先に教会を出ていた作業員たちが、慌てて駆け戻ってくる。
酒だ祭りだと騒いでいた顔から、酔い前の浮かれた空気が完全に消えていた。
「お、おい……。」
戻ってきた男の一人が、足を止める。
礼拝堂中央。
そこだけが、巨大な口みたいに陥没していた。
砕けた女神像が、崩れた床へ飲み込まれていった。
「像が……落ちたのか?」
「違う……床ごと、抜けたんだ……。」
誰も近づけない。
本能が、拒絶していた。
ぽっかりと開いた地下。
暗い穴。
地下空洞。
――いや。
それは空洞ではなかった。
黒。
色ではない。
深度。
覗き込んだ瞬間、距離感が壊れる。
底が見えない。
近いのに遠い。
遠いのに、何かがすぐ下にいる。
ぞわり。
生暖かい風が吹き上がった。
耳鳴り。
吐き気。
立っている感覚が揺らぐ。
あるいは。
暗闇の奥で。
何かが、脈打った。
――ゴォォォォォン。
穴の奥で鳴っているはずなのに、音は、頭蓋の内側から響いていた。




