4-2.星渡りの民
――ちりん。
りぃん。
ちり、ちりりん。
風告げが、また鳴った。
今度は一つではない。
通りの軒先。
露店。
酒場の入口。
市場の街灯。
吊るされた月晶石たちが、一斉に震え始める。
ちりん。
ちりん。
ちりりりりりん——。
その音には、恐怖さえ混じっていた。
「なに、これ……!」
カリンが耳を押さえる。
さっきまで優しかった音が違う。
まるで街全体が、誰かを警戒しているみたいだった。
静が、はっと顔を上げた。
「ああ……来ちゃったかぁ。」
「来た?」
パパタローが問うより早く、風が吹き抜けた。
その瞬間。
静の輪郭が、ぶれた。
「っ……!?」
カリンが息を呑む。
透けた。
提灯の灯りが、静の肩越しに見えた。
肌の内側には、夜空みたいな光が流れている。
星屑のような粒子が、ふわりと浮かんでは消えた。
「お、おい……!」
パパタローが静の腕を掴む。
冷たくはない。
ちゃんと温かい。
なのに——
掴んだ感触だけが、時々薄れる。
現実と幻の間で揺れているみたいだった。
「やだ、パパタロー、痛いって。それとも私に触れていたいのかなぁー。」
静が少し真顔で言い、はっとしたように困った顔で笑う。
「ばっ、馬鹿言ってんな。大丈夫なのか!?」
パパタローの真顔に、静は答えた。
「えへへ。ちょっとだけ、向こう側に引っ張られてるだけ。」
「ちょっとだけ、引っ張られる?」
「大丈夫、大丈夫。慣れてるから。」
「慣れてる!?」
パパタローは溜息をつき、静の肩を掴んだ。
「まぁいい。……よく俺達だって分かったな。」
静がきょとんとした。
「え?」
パパタローは自分たちの姿が変わっていることを指して言っていた。
静は、不思議そうに瞬きをした。
「なに言ってるの?」
そして当然みたいに笑う。
「変わってないじゃない。」
「……は?」
静は昔みたいに指を差した。
「タローはタローだし、カリンちゃんは高校生のまんまだよ?」
カリンが固まる。
「えっ。」
静の瞳には、本当にそう見えていた。
「強いて言えば、パパタローの前髪が後退した!」
「うるさいわっ」
その時。
通りの奥の人混みが、ざわりと割れた。
黒い外套を纏った三人組。
旅装をしている。
砂埃を被った長靴。
胸元には、見たことのない星型の紋章。
風告げが、狂ったように鳴る。
ちりりりりりりりりりん——!!
通行人たちが怯えたように逃げ始めた。
「星渡り……!」
「連れ去られるぞ!!」
「逃げろ!!!!」
誰かが叫ぶ。
周囲は一気に騒然となった。
先頭の青年は、眠たそうな目を細める。
「あー、周りがうるさいなぁ……。
団長~。勝手にどっか行くの、やめてくださいよぉ。
どやされるの、俺らなんすから。」
黒い外套をだらしなく羽織った青年だった。
年齢はまだ若いはずなのに、どこか生気が薄い。
無造作に跳ねた髪は風に揺れても整える気配すらなく、半分閉じかけた眠たそうな目だけが、周囲を気怠げに眺めている。
立ち姿にも緊張感がない。
壁にもたれれば、そのまま寝そうなくらい力が抜けていた。
だが――妙に目を引く。
怠そうにしているだけなのに、空気の奥で何かが軋む。
静が眉を下げた。
「ノクトぉ……空気読んでよぉ……」
パパタローとカリンを視線でアピールしたつもりだったが、ノクトには通じなかったようだ。
「いつもそれ言いますけど。空気は吸うもんでしょ。文字書けないし。」
ノクトは呆れたように静に言った。
「…まぁ、そうなんだけどね……。」
「それに、そろそろ限界ですよ。これ以上こちら側に留まると、輪郭が剥離します。」
「ユーノ、言い方こわいわー。」
黒衣の少年は、驚くほど細身だった。
白というより、光の薄い部屋に長く閉じ込められていたような青白い肌。
中性的な顔立ちは整っているのに、不思議と柔らかさはない。
感情より先に、思考がこちらを観察している。
そんな印象だった。
鋭い目だけが静かに細められる。
眠たげな気配は一切なく、むしろ常に何かを測定しているみたいに冷えていた。
視線が合った瞬間、心臓の奥を冷たい指で撫でられたみたいだった。
「団長、戻りますよ」
黒衣の女がいった。
「セレナまで…。」
黒衣の女は、音もなくそこに立っていた。
長い外套の下に隠された身体はしなやかで、戦うためだけに研ぎ澄まされたみたいに無駄がない。
だが、その均整の中でひときわ目を引くのは胸元だった。
外套越しでも分かるほど大きい。
押さえ込まれてなお存在感を隠しきれず、動くたび重たげに揺れる。
それなのに、不思議と色気より先に威圧感が来る。
本人がまるで気にしていないからだ。
青白い指先。
艶を抑えた黒髪。
感情を削ぎ落としたみたいな瞳。
視線は鋭く、周囲を観察するというより排除対象を選別しているようだった。
彼女が一歩踏み出すだけで、空気が静かに張り詰める。
まるで、人間ではなく任務そのものが歩いているみたいだった。
静の足元が、ふっと浮いた。
「……っ!?」
パパタローが慌てて引き寄せる。
軽い。
本当に軽すぎる。
まるで重力そのものが薄い。
パパタローの行動にイラついたノクトが、顔を突き合わせて言った。
「あんた、誰。」
「誰って言われてもなぁ。」
聞いておきながら、パパタローの返答を無視し、ノクトは静へ淡々と告げた。
「迎えに来ました、団長。」
「やだ。」
「駄目です。」
「今、再会イベント中なんだけど。」
「世界法則が崩れます。」
「私の主張も無視すんのぉー。」
その瞬間。
静の身体が、また透けた。
今度は半身近く。
向こう側に、星空みたいなものが見える。
カリンが青ざめた。
「う、うわぁ!? 消えてる!!」
「静!」
パパタローが抱き寄せる。
静は苦笑した。苦しそうだ。
「大丈夫、大丈夫。慣れてるから。」
「だから慣れるって?」
ノクトが一歩前に出る。
「あー……位相視覚ズレてますね。団長、まだあっち側基準で人を認識してるんですね。」
「日本にいたころの基準で、物をみてるの。」
「そうなんだ…。」
「パパタローさん、私たちの団長を離してください。」
「はぁ!? 断る。」
「その人は既に星間漂流体です。」
「星間漂流体?」
「本来いるべき世界座標から外れ、複数世界の狭間を漂流している生命体のことですよ。」
風が吹き荒れる。
風告げが狂ったように鳴った。
ちりんちりんちりんちりん!!
パパタローは静の腕を掴んだまま睨み返す。
「せっかく会えたんだぞ。」
喉が熱い。
「また勝手にどっか行かせるかよ!!」
「勝手にどっかいったのはパパタローでしょ!」
静が弱弱しく突っ込んだと同時に懐かしさのあまりに
静の瞳が揺れた。
泣きそうに。
嬉しそうに。
ぐしゃぐしゃに。
「タロー……」
だが次の瞬間。
黒衣の女セレナが、音もなく動いた。
静の身体を奪うように抱え上げる。
「団長、帰還優先。」
「うわっ!?」
「静!!」
パパタローが飛び込む。
だが、その前に。
「うりゃああああ!!」
カリンの飛び蹴りが炸裂した。
黒衣の女が吹き飛ぶ。
「人さらいかあああ!!」
「凛ちゃん強っ!?」
さらに。
風が裂けた。
「——おや。」
聞き慣れた声。
嵐みたいな風圧が石畳を走る。
リディアだった。
銀髪を揺らし、メイスを肩に担いでいる。
「屋敷に戻る途中、街中の風告げがやたらと鳴り始めまして。」
にこり、と笑った。
「もしかしたら、これは面倒事だな、と。」
ノクトが小さく舌打ちする。
「メイダ……」
「少し見ていましたが、人の再会を邪魔するのは感心しませんね。」
風が渦を巻く。
黒衣たちが距離を取った。
静が慌てて叫ぶ。
「ち、違うの! この人たち悪い人じゃ——」
「団長、こいつらやっちまってもいいですかい。」
ノクトが静かに言った。
「ダメに決まっているでしょ!」
「輪郭維持、限界まで残り七分です。
魔素中毒で崩壊したら、それこそもう会えませんよ。」
静の笑顔が止まる。
「分かったよぉ……。」
空気が変わった。
パパタローは静を見る。
静は昔のままだった。
笑い方も。
声も。
泣きそうな顔も。
「魔素……? まさか……。」
本来なら、転移前そのままの肉体では、この世界の魔素に耐えられない。
それでも存在している。
いや——時折透けるのは。
「……まさか。」
ノクトが低く告げる。
「団長、帰りますよ。」
「えーん。わかったぁ……。」
ちりん——。
風告げが、沈むように鳴った。
「静!」
パパタローが、静をノクトから奪うように抱きさらう。
「カリン!」
「パパタロー、待ってました!」
「町のど真ん中でやりますか。」
リディアがメイスを抜いた。
ノクトの瞳が細くなる。
「……面倒なことになりましたねぇ。」
その声と同時。
黒衣たちの足元に、星形の魔法陣が展開した。
石畳へ刻まれる、蒼白い幾何学。
空間そのものが軋む。
びき、びきびき——。
周囲の空気が、硝子みたいにひび割れ始めた。
通行人たちが悲鳴を上げる。
「きゃああああ!!」
「空間魔術!?」
リディアの目が鋭くなる。
「カリン様! 下がってください!」
「やだ! 静ちゃん置いてかない!」
「だと思いました!」
ノクトが片手を振る。
「《星路・切断》」
空間が裂けた。
見えない刃。
石畳が音もなく斬り飛ぶ。
「っ!」
リディアのメイスが唸る。
――ガァン!!
――ガァン!!
――ガァン!!
――ガァン!!
――ガァン!!
――ガァン!!
――ガァン!!
暴風が炸裂した。
風圧だけで屋台が吹き飛び、酒瓶が砕け散る。
空間の裂断と風が激突し、火花みたいに星光が弾けた。
「はぁっ……!」
リディアが踏み込む。
メイド服の裾を翻し、石畳を砕く速度で肉薄。
重い。
速い。
巨大なメイスが暴風を纏い、ノクトへ叩き込まれる。
「《嵐影の舞踏》」
キィーーーーーン。
だが——
ノクトの身体が、ぶれた。
まるで映像の残像。
メイスが、すり抜ける。
「うわ、危な。」
「なっ……!?」
「位相ずらしです。物理法則への接地率を下げてるんですよ。」
「さらっと訳分からないこと言わないでくださいません!?」
リディアが吠えた。
その横を、黒衣の女セレナが滑るように通過する。
狙いは静。
「団長、確保します。」
「させるかぁ!!」
カリンが飛び込む。
回し蹴り。
さらに低空からの掌底。
完全に喧嘩殺法だった。
だが速い。
黒衣の女が腕で受ける。
――ドゴォッ!!
衝撃で石畳が陥没した。
「すごい!女子高生の蹴りじゃないっ!?」
静が叫ぶ。
「カリンちゃん強すぎない!?」
「えっへん、合気道師範代の娘(正確には姪)をなめるなー!!」
さらにカリンが突撃する。
だが次の瞬間。
黒衣のもう一人ユーノが指を鳴らした。
ぱちん。
空中に、星屑みたいな光球が無数に出現する。
「散開。」
光が降った。
――ズガガガガガ!!
石畳が爆ぜる。
露店が吹き飛び、壁が抉れ、悲鳴が連鎖した。
爆音の中。
静だけが、泣きそうな顔でパパタローを見ていた。
「ちぃっ!」
パパタローは静を抱えたまま跳ぶ。
軽い。
静の身体は、本当に羽みたいだった。
「タロー……」
「喋るな!」
着地した瞬間。
静の指先が、また透ける。
さらさらと星光になって零れた。
「っ……」
パパタローの顔が歪む。
ノクトが静かに言った。
「だから言ったでしょう。
もう限界なんですよ。
早く帰りましょう!!」
「その人は、こちら側に存在できない。」
「早く、渡しなさい!団長が消えてしまう!!!!」
ノクトがパパタローに殴りかかった。
「うるせぇっ!!こっちにも考えがあるんだ!」
怒声が響く。
パパタローの右目。
眼帯の奥から、金色が漏れる。
風告げが、一斉に鳴いた。
ちりりりりりりりりりん——!!
ノクトの表情が変わる。
「……まさか。」
パパタローは、静を抱いたまま、ゆっくり眼帯へ手をかけた。
「タロー……?」
静の声が震える。
外される黒い布。
露わになる右目。
そこに刻まれていたのは——
肉球。
狐の肉球を模した、金色の神獣刻印。
瞬間。
世界が、鳴いた。キューーーン
金色の魔力が爆発する。
暖かい。
優しい。
なのに圧倒的だった。
空間魔術の亀裂が、音を立てて閉じていく。
星光が逆流する。
静の輪郭が固定される。
透けていた身体が、ゆっくり実体を取り戻していった。
「……あ。」
静の身体が、初めて重力を思い出したみたいに、小さく沈む。
パパタローの胸へ、確かな重みが戻った。
星屑みたいに零れていた光が、パパタローの魔力へ吸い寄せられていく。
まるで——
帰る場所を見つけたみたいに。
ノクトが、呆然と呟いた。
「……神獣が。星渡りを、定着させた……?」
静の瞳から、涙が零れる。
ぽたり、と。
「タロー……。私、まだ……ここに、いられる……?」
パパタローは答えなかった。
ただ。静を抱く腕に、力を込めた。
その瞬間だった。
ぱき——……。
静の黒髪が、淡く光る。
「……え?」
毛先から、色が抜けていく。
夜みたいだった黒が、月光みたいな銀へ変わる。
さらさらと。
星屑を零しながら。
静の瞳が見開かれた。
「うそ……。」
身体が、縮む。
骨格が。
輪郭が。
服の袖が余る。
抱きかかえた重みが、さらに軽くなる。
「うわっ!?」
カリンが叫ぶ。
「静ちゃん小っちゃくなった!?」
十歳ほど。
いや、もっと幼い。
銀髪の少女が、パパタローの腕の中で呆然としていた。
耳元で、風告げが静かに鳴る。
ちりん——。
ノクトが目を細めた。
「……適応できる者」
「適応?」
「神獣刻印が、この世界側の存在情報で上書きしてるんですよ。」
(神獣刻印?…ああ、右目の肉球か…たいそうな名前がついてるなぁ)
だが、ノクトの声は真面目で悲しそうだった。
「団長。もう今までのの団長ではいられない。」
静が、自分の銀髪へ触れる。
指先が震えていた。
「……私。」
パパタローは、その小さな身体を抱き直した。
銀色の髪が、腕へ零れる。
温かい。
ちゃんと、生きている。
だからパパタローは、静かに言った。
「それでも静だろ。」
静の瞳が揺れた。
泣きそうに。
壊れそうに。
嬉しそうに。
「……それでも、私でいていいの?」
静は世界に居場所を得た瞬間だった。
カリンが、じとーっと半目になった。
「……ねぇパパタロー。」
「なんだよ。」
「嫁、集めてんの?」
「は?」
「狐嫁だけで飽き足らず、メイダの元姫でしょ。今度は星渡り幼女銀髪美少女?」
「語彙が忙しいな!?」
「いやだって増えてんじゃん!」
「星渡り幼女銀髪美少女ってあの静だろ。」
静がじっとパパタローを見ていた。
「えへへ……。」
なぜか、否定はしなかった。
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