4-1.風告げ
新リスフェルド城。
夜風が、バルコニーの旗を静かに揺らしていた。
眼下には、復興祭の灯りが広がっている。
崩壊した王都。
その瓦礫の上へ築かれた、新しい光。
笑い声。
音楽。
屋台の呼び込み。
かつて死の都だった場所とは思えないほど、人々は笑っていた。
カテリーナは、その景色を静かに見つめていた。
「……賑やかですね。」
隣で、クラウスが目を細める。
「ええ。」
カテリーナが微笑む。
「ようやく、祭りを開けるところまで来ました。」
遠くで花火代わりの魔導灯が弾ける。
「皆、頑張ってくれてます。」
「元奴隷の方々も。」
「騎士団も。」
「街の人々も。」
そして。
ほんの少しだけ、声が柔らかくなる。
「……パパタローさん達も。」
クラウスの視線が広場へ向く。
人混みの中心。
屋台の店主と何か話し込んでいる黒髪の男。
その横では、カリンが子ども達へ何かを配っていた。
「あー!パパタローさんだ!」
「復興祭、ありがとうございます!」
「カリン様ー!うちの店にも来てくださいよー!」
「今日はツケ無しだぞー!」
「いや普段ツケあるのかよ!?」
笑い声が上がる。
パパタローが頭を掻きながら手を振った。
カリンは満更でもなさそうに胸を張る。
「当然!スポンサーだからね!」
「いや、お前ほんと金の使い方おかしいからな?」
「経済は回さないと!」
周囲から笑いが起きる。
クラウスは、その光景を静かに見つめていた。
「不思議ですね。」
「何がです?」
「彼の周囲だけ、定着して見える。」
「……定着?」
「あるいは——」
クラウスが続ける。
「居場所を失ったものを、無意識に引き寄せているようにも見える。」
「普通なら交わらないもの同士が、自然に繋がっている。」
「まるで最初から、そこに居場所があったみたいに。」
カテリーナは小さく笑った。
「きっと、あの方は。」
「居場所を作るのが、お上手なんです。」
風が吹く。
城の軒先へ吊るされていた風告げが、からん——と鳴った。
クラウスの視線が、静かに上がる。
「……音が変わった。」
カテリーナも気づく。
先ほどまでの澄んだ音ではない。
少しだけ深く、底へ沈むような音。
ちりん。
りぃん——。
クラウスが、わずかに眉を寄せた。
「嫌な音です。何かを告げているのでしょうか。」
軒先で、からん——と澄んだ音が鳴った。
パパタローは顔を上げる。
吊るされていたのは、ガラスではない。
薄く削られた月晶石だった。
半透明の鉱石は夜になるとわずかに青白く発光し、風を受けるたびに、内部の細かな亀裂が共鳴して音を鳴らす。
ちり、
りぃん——。
金属とも硝子とも違う。
どこか遠くで氷が鳴ったような音。
「綺麗……綺麗な音…」
カリンが思わず呟く。
吊るされた短冊のような布には、小さな魔法文字が刺繍されていた。
「これ、風告げです。」
リディアが答える。
「風鈴……みたいなものかなぁ」
「風鈴?」
カリンの言葉に反応しつつも、リディアは月晶石に指先で触れた。
音が、すうっと静かに消える。
「本来は、結界具です。」
「結界?」
「ええ。昔は夜風に混じって、境界のものが入り込んできたそうで。」
からん、とまた鳴る。
「魔物ですか?」
「もっと曖昧なものです。そうですね…例えば、」
「帰れなくなった旅人とか。名前を失くした亡霊とか。夢の途中だけ残ったもの、居場所を探している者とか。」
パパタローは、わずかに眉を寄せ
「お盆みたいなものかな?」
「さぁ?周りにきゅうりやナスの馬はないけどね…。ご先祖様は、乗って帰ってこれなそうだよ。」
カリンがさらっと流した。
「風告げは、そういうこちら側に馴染めないものが近づくと音が変わるんです。」
ちりん。
今度の音は、少し低い。
カリンが肩を震わせた。
「い、今のなんか怖くなかった!?」
「はい。怖いですよ。」
リディアはあっさり頷いた。
「昔の人は、音で夜を測っていたので。」
人々はその音で、今夜の風がどちら側から吹いているのかを知る。
優しい夜の音なら、旅人が来る。
透き通った高い音なら、星渡りの民が近い。
音が揺れず、沈むように響いた夜は——
決して窓を開けてはいけない。
「……縁起でもないですね。」
パパタローが苦笑する。
すると、リディアは少しだけ笑った。
「でも皆、好きなんですよ。」
「え?」
「怖い話って、誰かと聞くと安心するでしょう?」
からん——。
今度の音は、どこか懐かしかった。
「パパタローさん達はまだ、見てますか?
私は、そろそろお城に戻らないといけませんので。」
「本当は、もう少し一緒に見ていたいんですけどね。」
と、手を振って去っていった。
ゆらゆらと揺れる風告げの下をパパタローとカリンは二人歩く。
そして、一斉になりだす。
ちりん。
ちり、りん。
通りの風告げが、一斉に鳴り始めた。
いや違う。
まるで何かを警告するみたいに。
そして、ぴたりと音がとまった。風がやんだのだ。。
「……なんだ?」
「しらすかしゃちょー」
懐かしい声に呼び止められた気がして、パパタローは振り返った。
石畳の向こう。
人の流れが一瞬だけほどけて——一人、立っていた。
人波の中に、ひとりだけ見覚えのある女がいた。
年の頃は二十代半ばほど。
背は高すぎず、低すぎず——記憶に残りにくい、ちょうどいい高さ。
髪は黒に近い濃い色。
光の当たり方で、わずかに茶が滲む。
顔立ちは整っている。
だが、美人かと問われると答えに困る。
どこにでもいそうな、バランス。
なのに——
一度視界に入ると、なぜかもう一度見てしまう。
表情は柔らかい。
よく笑う人間のそれだ。
目が合った瞬間、距離が、消えた。
驚きでもなく、警戒でもなく。
「やっと見つけた」
そう言いたげな、静かな確信。
見覚えはないはずだった。
その立ち方。
肩の力の抜き方。
息を溜めてから笑う癖。
知っている。
忘れていたわけじゃない。
最初から——
ここに無かっただけだ。
「白洲花社長でしょ」
言われた瞬間、
世界が、ずれた。
「……?」
パパタローの目が広がる。
女は、困ったように眉を下げてから——
ふっと笑った。
「やっと会えた。意外と早かったかなぁ。」
その言葉と同時に、
胸の奥に、何か映像らしき物や、臭い、音、色とか流れ込んできた。
夏。
提灯。
夜風。
笑い声。
知らないはずの記憶が、
思い出ではなく、
現在として流れ込む。
(……なんだ、これ)
女の視線が横に流れる。
「凛ちゃんも、お面つけてくれてるんだ。かわいいかわいい。」
「え!?」
カリンが素っ頓狂な声を上げる。
「な、なんで名前……」
女は答えない。
ただ、少しだけ首を傾げて——
二人を見る。
「うん。見た目はとても変わった!でも、やっぱり同じだ。」
その言葉に、
何かが確定する。
「私は分かったのになぁー」
ぽつりぽつりと特徴的な話し方。
「また、言ってくれないんだ」
その瞬間、胸の奥が、裂けた。
知らないはずなのに。
湧き上がってくる。
何度も。
何度も——
言えなかった。
「お前……」
名前が、出ない。
出てこないのに、形だけが、先に戻ってくる。
手を振る笑顔。
夏の終わり。
遠ざかる背中。
そして——
ついに焦点が、合った。
「せ——」
「当たり!静だよ。」
嬉しそうに笑う。
泣きそうなくせに、無理やり笑っている顔だった。
「やっとだぁ……もう、長かったぁ……!」
二人に抱き着いた!
遠くで鐘が鳴る。
ざわめきが遠のく。
「しまった!あまりにもじれったくて自分で名乗っちゃた!あははは。」
そしてまた迷いなく、飛び込んできた。
「タロー!!」
抱きしめる。
そして、軽い。
ありえないほど、軽い。
腕の中にいるのに、重さが無い。
「……静?」
触れている。
確かに、いる。
体温は、ある。
なのに、
存在だけが、どこか遠かった。
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