1.今の星(邂逅)
「ん?」
呼び止められた気がして、パパタローは振り返った。
石畳の向こう。
人の流れが一瞬だけほどけて——
一人、立っている。
人波の中に、ひとりだけ輪郭が合っている女がいた。
年の頃は二十代半ばほど。
背は高すぎず、低すぎず——記憶に残りにくい、ちょうどいい高さ。
髪は黒に近い濃い色。
光の当たり方で、わずかに茶が滲む。
顔立ちは整っている。
だが、美人かと問われると答えに困る。
どこにでもいそうな、バランス。
なのに——
一度視界に入ると、なぜかもう一度見てしまう。
表情は柔らかい。
よく笑う人間のそれだ。
ただし——
笑う直前、ほんの一瞬だけ、何かを諦めたような間がある。
その“間”だけが、妙に引っかかった。
目が合った瞬間、距離が、消えた。
驚きでもなく、警戒でもなく。
「やっと見つけた」
そう言いたげな、静かな確信。
見覚えは、ない。
はずだった。
なのに。
その立ち方。
肩の力の抜き方。
息を溜めてから笑う癖。
知っている。
いや、違う。
戻ってくる。
忘れていたわけじゃない。
最初から——
“ここに無かっただけだ”。
「白洲花社長でしょ」
言われた瞬間、
世界が、ずれた。
「……?」
パパタローの目が少し広がる。
女は、困ったように眉を下げてから——
ふっと笑った。
「やっと会えた。意外と早かったかなぁ。」
その言葉と同時に、
胸の奥に、何かが流れ込んできた。
夏。
提灯。
夜風。
笑い声。
知らないはずの記憶が、
“思い出”ではなく、
“現在”として流れ込む。
(……なんだ、これ)
女の視線が横に流れる。
「凛ちゃんも、お面つけてくれてるんだ。かわいいかわいい。」
「え!?」
カリンが素っ頓狂な声を上げる。
「な、なんで名前……」
女は答えない。
ただ、少しだけ首を傾げて——
二人を見る。
「うん。見た目は変わったけど、やっぱり同じだ」
その言葉に、
“何かが確定する”。
「私は分かったのになぁー」
ぽつりと落ちる。
「また、言ってくれないんだ」
その瞬間、
胸の奥が、裂けた。
知らないはずなのに。
知っている。
何度も。
何度も——
言えなかった。
「お前……」
名前が、出ない。
出ないのに、
“形だけがある”。
「せ——」
言いかけた瞬間、
女が小さく首を振る。
「…違うよ」
やわらかく、でもはっきりと。
遠くで鐘が鳴る。
ざわめきが遠のく。
「でも、大丈夫」
一歩、近づく。
「今回も、ちゃんと会えたから」
その顔を見て——
全部、戻った。
「……待ってたのに」
誰の声か分からない。
気づけば、
女はもう一歩引いていた。
「じゃあね」
背を向ける。
人の流れに溶けていく。
「待て!」
声が出た。
女は振り返らない。
ただ、
手だけを軽く上げて——
「次は、ちゃんと言ってよ」
消える。
ざわめきが戻る。
何も変わっていない。
なのに、
パパタローの中だけが——
決定的に変わっていた。
「……誰、あれ」
カリンの声が震える。
「……わからない」
即答した。
けれど——
“もう分かっている”。
「まさか……」
輪郭が、崩れる。
いや、
“完成する”。
「待て——!!」
走る。
息が焼ける。
喉が裂ける。
それでも、
「――静ッ!!」
その瞬間、
女が振り返った。
迷いなく、
飛び込んでくる。
「タロー!!」
抱きしめる。
そして、軽い。
ありえないほど、軽い。
腕の中にいるのに、
“重さが無い”。
「……静?」
触れている。
確かに、いる。
なのに——“掴めていない”。
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