話にならない相手と話をする理由は無い
閑話ではないですが、視点は赤の他人です。
朝から屋敷が騒々しくて目が覚めた。
昨日も随分遅くまで研究に没頭していて睡眠が足りていないのだろう、頭がまともに働かない。
使用人に何事かと問い詰めれば、屋敷の防衛機構が停止しているのだという。
この屋敷はヒムニトリアの異端研究の為に用意された機密施設。
魔法という力の研究の為に用意された研究所で、不用意に生物が近づいたりしない様に知らせたり攻撃したりする罠が仕掛けてある。
それには当然、研究成果の実証という面で魔法を用いている物が多いが、物理的にも罠を仕掛けてある。
罠の方は実際に確認しに行かなければならないが、魔法の方は確認するまでもなく消滅しているらしい。
罠の確認に出た狩人達も戻ってこないらしい。
魔法はまだまだ研究不足が目立つので、いくつも張り巡らせてある一つか二つが消えている事は今までもあった。
だが今はただの一つと残らず消滅している。
昔から魔法を使うと祟りに遭うと言われている、今回のこれもきっとそうだ。
魔法などという外法に関わるから神の怒りに触れてしまったのだろう。
いや、現実逃避は止そう。
この国にも昔は魔法を扱う事に長けた者達も居たし、実際にこの国で起きた魔法絡みの祟りも基本的には国の上層部がでっち上げた印象操作で。
実際には祟りなどではなく、人の手によって起こされた警告や暗殺だった物ばかりだ。
しかしこの研究所は国の全面協力で存在していて、そういった対象にならない様に十分に気を付けられていた筈だ。
つまりこれは国の上層部と関係のない信者が偶然この屋敷を見つけて暴走しているのか、あるいはこの国とは関係のない者が襲撃してきたのかの筈だ。
まさか本当に祟りなど起きる筈がない、そんな事は起きる筈がないのだ。
ようやく回り始めた頭で思考をする。
現状一番考えられるのはこの国の信者だ。
教義上、魔法に関わる物は全て問答無用で破壊すべしとされているのだから、国内を歩き回る修行僧辺りなら有り得るだろう。
そうでないなら、例えば西の国家群の間者だろうか。
西方の国境からそれらしい情報は来ていないが、間者ならばそれも仕方がないかもしれない。
だが果たして間者が他国で破壊工作等出来るものだろうか?
苦労して他国に忍び込ませる間者と言えば情報収集が基本だろう。
それを破壊工作で使ってしまえば、例えその間者が特定出来なかろうと怪しい人物として警戒されてしまいかねない。
間者を入れ替えるのも警戒されて難しくなるだろう、それでは労力に見合わない筈だ。
そもそもこの研究所は森の中に隠され、国内でも知る物は上層部のみ。
それも実際の場所を知る物はごく限られた者だけだ、食料や材料の補充に来る者も決められた者が最低限の人数だけでだ。
彼らも偽装は万全にしているらしい、いったい何処からこの場所が漏れたのか。
こういう時の対応は確か屋敷に待機している狩人に偽装した軍の暗殺者が目標の排除……は、もう既に出ているな。
彼らが戻らない場合は研究資料の隠蔽か焼却だっただろうか。
『研究成果を届けろ』
あぁ、そうだったまず現在の研究成果等を纏めた重要資料の移送だった。
とにかくまず資料を集めないと。
そこで気が付いた。
先程まで騒がしかった屋敷が静まり返っている事に。
屋敷内の資料を集める為に使用人を呼び出すための合図に使っている鈴を鳴らすが誰も来ない。
物音すら聞こえない。
何時でも誰か一人は待機している使用人部屋を覗くが誰も居ない。
部屋の中に持ち込んでいた資料を纏める。
重要な資料は後は資料室と地下実験室にある、ひとまず部屋の資料を資料室に運び地下実験室に移動する。
地下実験室への入り口には常に二人の警備が立っている筈だ、実験室内部にも警備が交代でいる。
まず彼らに状況を確認しよう、そう思ったのに彼らも見つからない。
灯りの一つすら点いていない。
まるで疾うの昔に誰も居なくなってしまったかのような錯覚を覚える。
いやそもそも……
いくら灯りが消えているとはいえ、まだ昼前の筈だというのに随分と暗い。
森の中に隠されているとはいっても、森に日の光が遮られる様な隠され方はされていない。
ただ森を抜けないと見つからない様にされているだけで、窓から外を見上げればそこには空が……見えない。
見えない?
窓の外には屋敷の直ぐ側まで木々が生えている。
いや待ってくれ、昨日まで屋敷のすぐ側に木なんて生えていなかった。
なのに今は窓を開ければ手が届きそうな程近くに木々が生い茂っている。
一体何が起きているのかまるで状況が呑み込めない。
寝不足なのもあるがそれ以上にありえない事態に頭が真っ白になりそうだ。
暗いのが良くないのだ、手近な蝋燭に火を付けようと手を伸ばした。
暗闇は人を不安にさせる、明るくなればと思ったのに蝋燭に火が付かない。
魔法で火を起こして蝋燭に移してやるだけの簡単な事なのに、蝋燭に火が付かないのだ。
仕方がない、少し疲れるが魔法の火を灯りとして使おう。
普段は警備が立っていて、いつも彼らが開けてくれる地下実験室の重い扉を開ける。
想像より重くて全身の力でようやく開いた、研究ばかりで体を鍛えていなかった所為かもしれない。
扉の向うは直ぐに地下に降りる階段になっている。
階段は材料の逃走防止で一歩踏むたびに音が鳴り響いてやや五月蠅い。
何時もは他にも音がしているのでそこまで気にならないのだが、静まり返った屋敷に鳴り響く音がどうしても耳に障る。
地下実験室にも誰も居ない。
材料すら残っていない、つい先日補充が来たばかりでまだ大量に残っている筈なのだが何処に行ったのだろうか。
まぁ材料はまた手に入る、今は資料を持ち出す事を優先しないと。
此処での研究で得られた貴重な実験情報さえあれば何処でも研究は続けられるのだから。
実験室に残してあった資料を回収して資料室に戻る。
足が震えそうで思わず早足になり、その所為で少し呼吸が荒くなってしまった。
少し体温が上がったと思うがそれでも体が震えている。
寒くは無い、なぜ体が震えているのだろうか。
資料室でとにかく今一人で持ちだせるだけの資料を重要な物から選んで袋に詰める。
他に誰も居ない所為で持ちだせる資料の数に限りが有るが致し方ない。
後で誰か戻ってきた時に直ぐに持ち出せるようにして、屋敷の玄関から外に。
外は今直ぐにでも屋敷が丸ごと森に呑み込まれそうな程に木々が迫っていた。
そして、馬車が通れるように整備された道の真ん中には一匹の黒い……何だあれは。
狼の類かと一瞬思ったがあんな生き物を私は知らない。
全身が一切の日の光を吸い込むような黒で覆われていてまるで遠近感がつかめない。
足元に生えている草花が無ければ、整備された道を覆いつくす木々が無ければ、其れが何処に座っているのかもわからなかっただろう。
その光を呑み込む黒色の上に僅かに浮く様に隈取られた深紅の線と、そして目。
其れと目が合った。
直感的に目を合わせてはいけないと思ったがもう既に遅い。
其れから目が離せない。
間違いなく此方を見ている。
一歩ずつゆっくりと此方に近寄ってくる。
逃げ出したい衝動に駆られるが身体は全く動かなくなってしまった。
呼吸だけは出来ているのが幸いだろうか?しかし声の一つ上げる事も出来ないのでは呼吸をする意味は果たしてあったのだろうか。
一歩ずつ近づいてくる、わざわざ一歩の感覚を小さくして此方に来る時間を伸ばしている。
体高は……3メートルを超えているだろう、4足の狼に近い輪郭をした……何か。
異常な程辺りが静まり返っている、まるで世界から音が消えてしまったかのようだ。
その一歩を踏む音が聞こえない、足元には草が生い茂っているにもかかわらず。
呼吸をする音も聞こえない、この大きさの生物の呼吸が起こすだろう空気の流れも感じない。
ただ威圧感だけが其処にある。
其れが目の前まで来て、動けない私を前足で押し倒す。
持ち出した資料を落としてしまったが拾う事も出来ない。
落とした資料を見せつける様に丸呑みして、満足したのか其れは去っていった。
呑み込んだ音も、去っていく音も、その巨体がもたらす空気の流れも無い。
あれは一体何だったのだろうか、分からないが身体が動くようになった。
重要な資料を丸ごと紛失してしまったが、まだ資料は残っている。
せめてそれだけでもと屋敷に戻ろうとした瞬間に屋敷の玄関口に火が点いて弾け飛んできた。
ちょっと最後気に入らなかったので修正しました。




