師匠という存在
結界が張られている。
アデリシアはフレデリクの部屋の扉を睨みつけた。杖の先で何度か結界をつついてみる。ぱりぱりっと光が杖に纏わりついた。杖を左右に振って纏わり付く残滓を振り払う。
来る事を見越して張られた結界か。
しかもこの結界は天位以上でないと破れない強度に設定されているようだ。まさに自分の為に用意されたものだととわかる。
本当に行動を把握しているようで、腹が立つ。
アデリシアは見知った扉を力任せに開いた。勿論、張られていた結界をぶち破りながら、である。
「フレデリク師匠!一体何してくれてんですか!」
開口一番にアデリシアは怒鳴った。
中に入って姿を探すと奥の部屋にいた。
見れば、フレデリクはソファに腰掛けて紅茶を飲んでいた。カップを持つ手の小指がぴんと立っていて気持ちが悪い。
優雅に一口飲んでから笑いかけられる。
「おや、アディちゃんじゃないかぃ。おはようさん」
「おはようございます。って、おはようじゃないですよ!」
アデリシアは近寄って、賢者から手に持つカップを取り上げて、ソーサーへと置いた。
がしゃんと音を立ててしまったが、中身が溢れていないから良しとする。
腕組みをして、正面に立って賢者を見下ろす。
「師匠、貴方一体、うちの騎士団の皆に何してくれてんですか!」
「なんの事かのう」
首を傾げて問い掛けてくる。
無邪気に見えるが、全て装われたものだ。騙されない。
「しらばっくれないで下さい。未決裁の書類の事ですよ!」
「ん……そっちの方か」
ふひひ、と不気味にフレデリクは笑う。
「そっちって……何の事です。他にもまだ何かやらかしてるんですか?」
アデリシアが目を細める。
対するフレデリクはにこにことして上機嫌だ。
「いやあ、書類の事なら礼はいいぞ?わざわざ届けてあげるなんて、儂、とっても親切じゃろ?」
「大迷惑ですっ」
「せっかく届けてやったに。酷い言われようじゃ」
眉を下げて、フレデリクは悲しそうに呟く。
勿論、コレも振りだとアデリシアはわかっている。
何度も何度もやられたからだ。
「感謝してしかるべきなのに。礼もなしとは冷たいのう」
「誰が礼なんて!」
アデリシアはフレデリクの胸倉を掴もうとした。しかし、見えない壁に指は弾かれた。それならば、と少し離れてから杖を床に突き立て、すい、と右手の指を横に動かす。
鎌鼬のように鋭い風がフレデリクに向かって飛ぶ。
白く長い髭に当たる寸前で、瞬時にかき消える。
にやりと笑って、フレデリクは再びカップを手にして、再び優雅に紅茶を啜ってみせる。小指が誘うようにくねくね動いていた。
おちょくられている。
アデリシアは渋面で、続けて手を何度も動かした。
空間を切り裂いて何度も風が飛ぶが、やはり賢者には当たらない。
「もうっ!」
言いながら鎌鼬を続け様に繰り出す。避けられた風が、師匠を避けて背後の棚や壁に当たる。
師匠であるフレデリク相手だ。
半分は当たらないと分かっていてやっているが、手は止まらない。
「またまだじゃのう」
にまにまと笑われる。
フレデリクの目がふと細められた。
「あっ!」
瞬時に、背を逸らすように空中に貼り付けられてアデリシアは呻いた。指が無理矢理開かれて、天位の杖が音を立てて床に転がる。
空中に吊り上げられた身体は硬直したかのように身動きが出来ない。
フレデリクに捕縛の術をかけられたのだと、動けなくなってから気づく。
「し…師匠……」
ぎりと歯を食いしばる。術は解けない。
「ほお、まだ喋るか」
きゅ、と更に締め付けがキツくなる。
やはり賢者には敵わない。
術の発動までは気付いたが、種類の判別は出来ず制止には間に合わなかった。
「アデリシア、儂の言いたい事はわかっているな?」
巫山戯た口調が消えている。
あの師匠が珍しく本気だ。
アデリシアは視線を彷徨わせた。
フレデリクは傍らに置いた杖を手に立ち上がった。
「儂に黙って国を出ようとするとは何事か」
低く抑えられた声にアデリシアは唇を噛んだ。
これはまずい。師匠が本気だ。
好々爺を思わせる口調が消えている。
「この国に籍を置く以上は、儂もこの国を守らねばならん。それが手間でもな。それが国王との約定だ。そして、隣国に力を与えるためにお前に天位を与えたわけではないぞ」
アデリシアは目を伏せた。
そういうつもりではなかったと言っても信じないだろう。
だが、あえてこれだけは否定したかった。
国を守るとフレデリクは言うが、常に自由に日々を謳歌しているだけではないか!
「日々見たくないほどに炎のあ奴を厭うならば、騎士団など父親の言うように辞めてしまえばよいのだ」
「…………」
「まあ、お前が逃げようとしたのは親が定めた婚姻からだったか?それほど厭か」
ぎくりとしてアデリシアは目を開いた。縋るようにフレデリクを見る。その間術に抗うのをやめないままだ。
目があって、フレデリクはやれやれと肩を竦めた。
「まったく、くだらんな。今更色気づきおって。魔術師として生きるならば他人と血縁を結ぶ事など必要ないだろうが。魔道を修めれば年月という枠にも捕らわれる事はないのだから」
アデリシアはゆっくりと首を振った。かなりぎこちないものだったが、師匠には伝わったはずだ。
フレデリクの正しい年齢をアデリシアは知らない。
今は齢90歳を超える老人の姿だが、時には少年や青年の姿をとっているのを見た事がある。自由自在に時を操るのだ。
先々代の王から仕えていると聞くから、有に三桁をくだらない。実際の年齢はかなり上のはずだ。
「お前ならそれが叶う可能性も素質もあるというのに、何故だ。なんなら儂から国王に言っとくぞ。そうすれば父親は口を出せなくなるだろう」
「…………!!!」
嫌々となんとか首を横に振る。
国王に進言されてしまえば、逃げ道はなくなる。
家族からは切り離され、魔道を極めなくてはならなくなる。騎士団にいるどころの話ではない。
「ふん、お前の原動力は昔から変わらんか」
「…………」
「以前からそうであったな。あ奴が絡めば絡むほど魔力を上げるなど愚か極まりない」
自分を愚かというが、それを逆手に取ってアデリシアの修行は続けられた。
課題を与えられ、時間内に終わらせなければライアンに罠を仕掛けると言われれば、俄然張り切らざるを得ない。ライアンへ迷惑をかける訳にはいかなかった。
悪戯を喜々として仕掛けようとする師匠を何度制止した事だろうか。その度に課題を片付け、仕掛けられた罠をくぐり抜け、阻止してきたのだ。
魔力を底上げ出来た一因になったのは、情けないが事実だ。言うまでもない。それ程に必死だった。
アデリシアとしてはライアンと同じ時を過ごせないのであれば、これ以上魔道を極める意味も必要もない。ライアンの側にいられるならば天位で十分だ。だからこそ、師匠に泣き付き、脅し、宥めすかして第三騎士団へと入団を果たした。
そうすれば、ずっとライアンの側にいられると思っていたのだ。
いつか、きっと。
それだけを信じていたから。
「第一、儂の弟子でありながら、炎の糞ガキごときにやすやすと罪人の首輪を着けられるなど……不愉快極まりない」
フレデリクは自らの杖の先で、吊り上げられたアデリシアの顎を押し上げた。細いその首元を睨みつける。
魔力を封じる金の首枷はもう嵌められてはいない。が、まるでそこに嵌められているかのようにも思えるような視線が投げかけられる。師匠の静かな怒りが伝わってきて、アデリシアは知らず身を震わせた。
「魔術師が力を封じられるなど、屈辱の極み」
返す言葉もない。
他人の手を借りたという点でマイナスだが、ライアンが枷を外す前に無効化できたことだけは評価する。なればこそあの程度で済ませたのだとフレデリクは言ってのけた。
「力を奪われて良しとするのはあってならない事。それを甘んじて受けるなど……この未熟者め。儂の元でもう一度修行し直せ」
嫌々とアデリシアは再び首を横に振る。
「腹立たしい。ならば、あ奴を永久に黙らせるか」
アデリシアは目を見開いた。
本気を出した師の相手を出来る者などこの国にいない気がする。
だが、ダメだ。
ライアンに危害を加えさせはしない。
「天……天位を……」
「ん?」
「天位を返上、します。剥奪でも構いません……。だから、ライアン、団長だけは……!」
手を出さないで欲しいと訴えると睨まれた。
「ようやく一つ術を破って言うことはそれか」
ふん、とフレデリクは鼻を鳴らす。
喋れる状態になったとは言え、首から上しか自由になっていない。身体の拘束はまだ有効であった。
「いっそのこと、あれはやめて氷の奴にしてはどうだ。まだマシではないか」
アデリシアは何も言わずに首を横に振った。
「愚かだな、本当に」
フレデリクは深いため息をついた。
「望めば他にも道はあろうに、の。まあ、レスティアとの約束もある。お前が国を出ない限りは滅多なことはせんよ」
その言葉と共に拘束が解かれる。
「!」
アデリシアはその場に崩れ落ちるように、両手両膝をついた。そのまま師を見上げる。
今、師匠はレスティアと言ったか。
侯爵夫人と知り合いなのか。約束とは一体何なのだ。
フレデリクは疑念を浮かべるアデリシアの頬に触れた。
僅かに解けた髪を拾って耳にかけてやる。
「可愛くて愚かな儂の弟子。だからこそ協力は惜しまんよ」
にやりとフレデリクは笑った。
アデリシアは目を剥いた。即座に言い放つ。
「その協力はいりません!!!」
だって、碌な事がないから!
「なんじゃ、慎み深いのう。遠慮しなくともよいぞ?儂ゃ弟子思いのいい師匠なんじゃからの」
髭を扱きながら、我ながらいい事を思いついたとフレデリクは笑う。
一体何を思いついたのか、聞くのも恐ろしい。
聞く耳を持たない師匠へは何を言っても通じない。
アデリシアは深く項垂れたのだった。




