有能すぎる家人
軽くノックがなされ、返事をするとセシリアが侍女を連れて入って来た。
「おはようございます。アデリシア様」
「おはようございます」
「おはようございます……?」
窓を閉めながら、アデリシアは挨拶を返す。
珍しい。
自分の支度の手伝いで二人で来るとは。いつもはセシリア一人なのに。
アデリシアは軽く目を瞠って二人を見た。
「まあ、もう少しゆっくりされても良かったんですのに。お起きになって大丈夫なん……アデリシア様!」
話し掛けながら盥を机に置いたセシリアは絶句した。一緒に来た侍女も息を呑んでいた。
「なんて事!目が腫れているじゃないですか」
セシリアが素早く近寄って来てアデリシアの顔を恐る恐る観察するかのように見た。寝台の方を振り返ってアデリシアと互いに見比べる。
一方の侍女は着替えのドレスと新しいシーツ等を抱えたまま同じように寝台を見ながら少々怪訝そうな顔をしていた。
「きっと隣の部屋よ」
「そうですよね、こちらではなさそうです」
こそこそと二人で話し合って頷きあう。
判然としないが、何らかの解決を得たようだ。
深呼吸をして気合を入れ直してから、セシリアはアデリシアに向き直った。
「あの……酷くされたんですか?大丈夫ですか?」
心配そうに尋ねられる。
「少し泣いちゃいましたけど……そんなに酷いですか?」
アデリシアは首を傾げるしかない。そっと指先で自分の瞼に触れてみる。
声を上げて驚くほど腫れているのだろうか。
「いいえ、初めてならしょうがありませんわ。涙を流す事で堪えられることもありますから」
セシリアが頷きながら、同情するかのようなまさに痛ましいといった笑みを浮かべる。
「お身体は?起き上がって大丈夫ですか?辛いなら、おかけになってくださいな。無体はされていませんか?」
「え?はい、大丈夫です。少し睡眠不足ですけど」
矢継ぎ早に質問をしてくるセシリアに圧され気味にアデリシアは返事を返す。
「眠る時間さえ与えなかったと。なんて事」
眉を顰めるセシリアにそっと促されて、鏡台の前に連れて行かれ、椅子に腰掛ける。
「ああ、お可哀そうに。早く冷やしましょうね」
布を水に浸して顔を拭われる。
甲斐甲斐しいセシリアにアデリシアは少々腰が引ける。いつもなら、自分で顔を洗って拭くだけなのに。
勝手に泣いたのは自分だ。ここまで世話を焼かれるのは少し気恥ずかしい。
「あの、大丈夫ですから」
遠慮気味にアデリシアは言ってみる。
「いいえ、いいえ!」
セシリアは頭を振った。
「遠慮なさらないでくださいませ。私の事はお気にせずにどうか。箍の外すなんて本当に堪え性のない……お優しくあるべきなのに。初めての身ならばどんなにか……。大丈夫ですよ?痛むのは最初のうちだけですから。まさか他に無茶なことや酷い事、怪我はされてませんよね?」
「無茶な事……?」
侍女は二人の会話を聞きながら、アデリシアの長い髪を梳いている。
セシリアの言う事がよく分からず、侍女を鏡越しに縋るように見ると、顔を赤らめて目を逸らされた。
「すみません、聞いたことは全て忘れますから」
侍女に小さく呟かれる。
何故謝るのか、何故顔を赤らめるのか。そして、今の会話を忘れる必要があるのか、全く意味がわからない。
「あの」
「詳しく仰らなくても大丈夫ですよ。特に怪我がないならいいんです。ええ、こちらは勿論わきまえておりますから。お湯も用意しておりますわ。清められてからまたお休みになりますか?」
「せっかく起きたのに?」
清める?休む?
「いいんですよ。お辛ければ無理しなくても。奥様には私から上手くお伝えしますから。まったく!アデリシア様の側にいて差し上げずに剣の稽古なんて!ライアン様にはこのセシリアからきつーく言って叱っておきますからね!」
「は?」
何を言っているのだ。
しかもライアンを叱る必要がとこにあるというのか。
疑問符が脳裏を飛び交う。
「大丈夫ですか?何処かお辛いなら治癒魔法かけますか?」
「いえ、治癒は必要ないですよ?自分で出来ますし?」
魔法なら間に合っている、のだが。
変だ。
「そうでしたわ……天位の方ですものね。ですから、お身体はご無事のように見えるんですわね。では朝食にしますか?この部屋をお気になさるかと思って別にお食事をご用意してます。食べられそうなら、すぐにこちらへお持ちしますわ。食欲はどうですか?」
何かを誤魔化すかのように、更に立て続けに尋ねられてアデリシアは焦る。
「食欲?あの、セシリアさん、さっきから何を言ってるんですか?私、別に病気でも何でもないから食欲も普通にありますけど。心配し過ぎですよ?私なら大丈夫です」
それより何より、会話が噛み合わない理由が知りたい。
「何でもないって……まさか」
今度はセシリアが口籠る。
再び寝台とアデリシアを比べて交互に見る。
はっとしてセシリアは顔を上げた。真剣な表情だ。
侍女と視線を合わせ、セシリアは一つ頷く。
「ちょっと失礼します」
セシリアは素早く移動して、隣へ続く扉へと手を掛けた。そのまま躊躇なく押し開いて隣の部屋へと消えて行く。鍵は使わなかった。
呆気にとられて見送りながらもアデリシアは安堵する。
やはり鍵は掛けられていなかったのだ。扉に触れたり、開けたりしなくて良かった。
「なんてこと……」
小さく呟きながらセシリアが戻って来た。
眉間に手を当てて、首を横に振っている。
そのまま棚へ向かい、例の一番上の引き出しを開けて、中身を確認してやはりセシリアは嘆息した。
確認しているのはあの紫、だ。
「つ、使ってませんよ?」
慌ててアデリシアが両手を上げて振って否定する。
「……わかってます。いいんです。期待した私が愚かだったのですわ」
セシリアは深い溜息を吐いた。
「失礼ながら、夜遅くにライアン様がこのお部屋に入られたのは存じてます。そして、シルヴァール様をこのお部屋から退けられた事も」
「え」
全て知られているのか。
「この際ですから単刀直入にお尋ねします。恐らくは間違ってはいないのでしょうけど……。ライアン様とご一緒に寝台は使われていないのですね?」
「え……一緒?そんな……まさか……そういう意味の一緒……?」
唖然としてアデリシアが呟く。
セシリアが残念そうに頷いた。
涙。睡眠不足。動かない身体の心配。
なによりも男女で寝台を一緒に使う意味。
それは。
アデリシアの顔がみるみるうちに赤くなった。
「有り得ません!」
噛み付くように否定する。
「ええ、そのようですね……」
落胆した様子でセシリアは溜息をついた。
色々な符号が噛み合わさってようやく合点がいった。
セシリアが侍女と二人で来た至れり尽くせりの理由はこれか。回復魔法や替えのシーツ、清めを必要とするか尋ねてきた理由がこれでわかった。
アデリシアは額に手を当てた。
やり切れない、恥ずかしい気持ちで一杯だった。
少なくともライアンが自分の部屋に夜遅くに入ったことを知っている、とセシリアは言っていた。
もしかしなくてもこの邸内の家人達は皆そう考えているのか。
交わした会話までは把握していないようだが、その辺りまで十分過ぎる位に想像して……配慮してシーツや朝食等の準備をして来ているのだ。
今回は宛が外れたようだが、とんでもなく有能だ。だがしかし。それがこんなにも恥ずかしくて恨めしいとは。
穴があったら、入りたかった。
「ーー着替えます」
自分でも抑えた声が出たなとアデリシアは思った。
「え、ええ。そうですね……」
セシリアが戸惑いつつも応じる。
侍女が手早く髪を纏め結い上げる。
立ち上がるよう促されて着替えを進める。コルセットを締めてもらいながら、アデリシアは考えた。
出来るだけ、この家の人達と顔を合わせたくない。
例え良くしてくれているのだとしても、羞恥が先にたった。
ドレスの袖に腕を通して、後ろを止めてもらい、礼を述べる。礼を言う必要はないと言いながらも、セシリアは軽く頭を下げる。
「それと朝食も一人でこちらで頂きます」
「はい。承知しました。ご用意します」
控えていた侍女が頷く。
ライアンと自分が一緒に夜を過ごしたなどと思われている状況で、シルヴァールやマイカの前に顔を出せるものか。
どんな顔で朝食を食べればいいのだ。特にライアンには会いたくない。
「あと、食事の後で、追加で出来上がった書類を届けに王都へ行って来ます」
「アデリシア様?それは」
セシリアは焦った。
アデリシアを一人でこの館から出してはならないとライアンに厳命されているのだ。
「誰がなんと言おうと行きます」
きっぱりとアデリシアは言い切る。
「でも」
「団長には何も言わずに何処かへ行ったりはしないと約束しました。逆に言えば、何処に行くか言っておけば何処へも行って良いはずです」
「それはそうですけど……。でも、あの、従兄弟様はどうなさいます?」
セシリアは食い下がった。
隣国の国王弟のご子息で対応が、とおろおろしてみせる。
「待たせておけばいいんです」
アデリシアはきっぱりと言い切った。
王弟の息子だろうがなんだろうが知ったことか。アデリシアにとっては兄。単なる従兄弟でしかない。
生温い視線をマイカから寄越されるとか、考えたくもない。
しかも事後でもないのに。
堪えられそうにない。どうせ楽しくからかわれるに決まっている。
「それと、この件は私がここを出てからレスティア様に伝えてください。必ず戻りますから」
アデリシアは伝言を伝える先をライアンではなく、レスティアを指定した。
侯爵夫人の計画通りには今日は動かないつもりだ。
それでもライアンに揺さぶりは十分過ぎる位にかけられただろう。
この恥ずかしさはライアンのせいだ。
いなくなって困るなら、最初から首枷を外さなければ良いのだ。
「わかりました。そのように致しますわ」
アデリシアの考えが覆らないと悟ったのだろう。
不安そうな表情を浮かべながらも、渋々セシリアは承服した。
朝食の準備に、と侍女と共に部屋を出ていく。
両目を閉じて考えていたアデリシアはふっと目を開いた。
再びバルコニーに繋がる窓の方へと向かう。
今度は窓越しにも見える位置だ。
朝稽古に、マイカとその護衛達が合流していたからだと悟る。広く場所をとって剣を打ち合っている。
ほら、放っておいても大丈夫ではないか。
アデリシアは遠く見えるマイカを、そしてライアンをじっと見つめたのだった。




