引き止める許可を
執務室と化した客間にライアンが戻ると、シルヴァールが一人書類と格闘していた。
「悪い、待たせた」
「いえ。二人は大人しく帰りましたか」
書類に目を走らせながらシルヴァールは訊ねる。
「ああ、ウォルターが少しごねたが二人共帰ったよ」
「そうですか。ではこれを」
後は団長の決裁のみとなった書類を手渡す。
「ああ、済まない」
シルヴァールから手を伸ばして受け取り、席につきながら内容を確認する。ペンを走らせれば、家令が新たな箱を用意して差し出してくる。
「ありがとう」
目を眇めて家令を見遣る。
「……いえ」
慇懃に頭を下げるあたり、とりあえず家令は先程のことは何も言わないことにしたようだ。
息を吐いてライアンは目の前の書類に向き直った。
「アデリシアはどうでした?」
「力を使わせたからな。今は寝ているはずだ」
「そうですか」
団長の決裁を必要としない書類をシルヴァールは机の右角へと重ねる。ライアン行きの書類は左側へ。それを家令が箱へと移動していく。それを何度か繰り返した頃か。シルヴァールは意を決して、ライアンへと尋ねた。
「で、答えは出ましたか?」
「答えって何のだ」
「決まってます。アデリシアの事ですよ」
「………………」
沈黙が正にその答えだった。
はっきりと言い切れないということはまだ曖昧さを持つということだ。
シルヴァールは顔を上げて、書類から目を離した。ライアンを鋭く睨む。
「アデリシアにはもう後がありません。このままではマイカ殿に連れて行かれますよ」
「それは駄目だ」
「ただ駄目だって言われてもね」
「とにかく駄目なものは駄目だ」
駄目だと即断する姿勢ははっきりとしている。それなのに、その駄目な理由がはっきりとしない。
騎士団の決定などには迷いなど持ち込まないというのに。この差は呆れるしかない。色恋沙汰は本当に苦手とみえる。
シルヴァールが首を横に振って、書類とペンを置いた。だが、ライアンの言葉に先に口を開いたのは家令だった。
「坊っちゃま」
嫌味を込めて呼ばれたのだ。ライアンも直ぐにそれを理解した。眉を顰める。
「……そう呼ぶなと言った」
「なんとも情けない限りです。そう呼ばれるのが嫌ならそう呼ばれないような態度をとればよろしい」
ふう、とこれ見よがしに家令はため息をついてみせる。
「他の女性とは違った様子で、アデリシア様を扱っておいででした。だからとも思いましたが、私は間違っておりましたか?」
シルヴァールもライアンを見て軽く頷く。
貴重な天位、唯一の女性団員だから大事にしなければ、と言いながらも彼女に対する態度は他の団員とは大きく違うのは周知の事実だ。彼女に対してつれない態度をとっていてもやはり歴然とした差がある。単に女性だからというだけでは説明はつかない。
「坊ちゃまがこの屋敷に女性をお連れしたのも初めてです。特別な方なのだと使用人一同は皆そう考えて応対もしておりました。認識を、そして扱いを改めるべきでしょうか?」
「いや、それは……」
何かを言いかけ、ライアンは黙ってしまう。
はっきり肯定も否定も出来ないのか。
シルヴァールは煮え切らないライアンを正面から見据えた。
「ライアン。アデリシアを他国に行かせるわけにはいかないのですから、別に引き止めるのは私でもいいですよね?」
「……まあ、引き止めるのは必要、だな」
「ならば、アデリシアを私が貰っていいですか?」
「は?なんでそうなる」
ライアンは目を剥いた。
「ちゃんとフレデリク様の許可も出たことですし。私がアデリシアを手に入れてもいいでしょう?」
「お前……突然何を言い出すんだ」
目に見えてライアンが狼狽える。訝しそうにシルヴァールを見返す。
「だから私が彼女を口説いても構わないですよねって聞いてるんです」
「口説くって……新しいお前の団に必要ってことか?」
「ですからそれも含めてです。上手くアデリシアをこの国に引き留めても、子爵やマイカ殿の手から彼女を守る必要があります」
「そんなことわかってる」
「じゃ、わかるでしょう。自分の庇護下に確実に置くなら、婚姻が一番手っ取り早いですからね。だから口説いていいでしょうか?」
「……シルヴァール、お前、本気か?」
「本気です。いいですか?ライアン」
重ねてシルヴァールが問い掛ける。
「――俺に許可を求めてどうするんだ。所詮はあいつの意思次第だろうが」
ライアンの眉間に深い皺が寄る。
その様子を見ながらシルヴァールはこっそりとほくそ笑んだ。
自分の言葉はライアンに少なからず動揺を与えているらしい。やはり良いとも悪いともはっきりは言わない。だが、認めたくないであろう真意は見え見えだ。伊達に長く共に働いていた訳ではない。
「一応貴方に聞いておきたいんです。良いでしょうか?」
シルヴァールは畳み掛けた。
「……だから俺に聞いてどうするんだ。意味ないだろう。お前はもう求婚したじゃないか」
シルヴァールの顔を見ないようにして吐き出すようにライアンは言った。
ふ、とシルヴァールは笑う。
ライアンの中では自分が求婚した事実が気掛かりなのか。
後先が問題ではないのに。
そんな拗ねたように言われても、ね。
「じゃ、遠慮なく行動させてもらいます」
「俺は知らん。勝手にしろ」
何事もなかったかのようにライアンは書類に視線を落としてペンを走らせる。だが、すぐに書き損じてしまい、舌打ちをした。
動揺し過ぎだ。
シルヴァールは笑みを隠して、家令と視線を交わした。
家令は肩を竦めて両手を上げる。心底呆れたと顔に書いてあった。
「では、早速この仕事が終わったらアデリシアの部屋を訪ねてみますね」
「…………」
「ライアン?いいんですよね?」
「好きにしろ」
「アデリシアが望むならいいんですよね?」
「ああ」
「アデリシア、もう寝ていますかね」
「おそらくな」
「でも起きているかもしれませんよね」
「さあな」
「やはり口説き落とすならすぐ行動すべきですよね」
「……知らん」
会話をすればする程、極力シルヴァールを見ないように書類を睨みつけるライアンの眉根に更に深く皺が寄っていく。
シルヴァールはそれを見逃さない。
「ええと、アデリシアの部屋はどちらでしたっけ?」
「アデリシア様の部屋ですか?二階のーー」
「南の奥の部屋だ。だが、無理矢理踏み込んだりはするなよ。今日は色々あったんだからな。あいつだって一応貴族の淑女だし、お前の婚約者でもないんだ。俺の家で醜聞が広まるようなことは感心しない」
シルヴァールは家令に尋ねたのに、返答はライアンから返ってきた。しかも家令の言葉にわざわざ被せるように強く説明して、更に釘を刺してくる。可笑しすぎる。
シルヴァールはペンを走らせながら静かに微笑む。
「私は紳士ですからね、女性に無理強いはしませんよ」
「どうだかな」
「私は今まで女性に無理強いしたことはありませんよ。むしろあちらから勝手に来るんです」
「自慢か」
「これでも私は割りと女性に人気があるみたいなんで。自分からいくことはあまりないのですが」
「そうだな」
別に知りたくはないが知ってることだな、とライアンも頷く。
「長い付き合いですもんね」
「そうだな」
「自分からいったらどうなりますかね」
「さあな」
「色々と手練手管を尽くしたらアデリシアも堕ちてくれますかね?」
「そんなの知るか」
「気になりませんか?」
「ーーならない。興味ないし聞きたくもない」
「そうですか。興味ないんですか。つまらないですね」
「無駄口はいいから書類を片付けろ」
「はいはい。わかってますよ。後もう少しですもんね」
ライアンは仏頂面で、シルヴァールはにこやかに笑いながらの会話だ。そんな会話をなされながら書類は物凄い速さで片付けられていく。
二人のやり取りに、おやおや、と家令の眉が動いた。
確かにアデリシアに与えられているのは南の部屋だが、先程ライアンが抱き上げて連れて行った部屋は違うはずだ。
返答を遮ったりするあたりもそうだが、この会話は……。
家令がシルヴァールを見ると、意味ありげににやりと笑って見せてきた。
本気か嘘か。
どちらにしろ、ライアンを焚き付けているのは間違いないようだ。
ライアンに視線を投げるが、我関せずの様子を貫いている。痛いほどこちらの視線は感じているだろうが、あえて気づかない振りをしているようだ。
ならば、としたり顔で家令は口元に笑みを這わせる。
ライアンがそうするなら合わせるだけだ。煮え切らない態度はあまり良しとするものではないが、とりあえず坊ちゃま呼ばわりは控えることにした。
家令は終わった決裁を受け取って箱へと収めていく。
「なんだ」
先程までの物言いたげな視線が気になっていたのか、ライアンが書類を渡しながら問うてきた。
「何かございましたか?ライアン様」
書類を受け取って、しれっとして聞き返す。
「……いや、別に」
何でもない、とライアンは僅かに首を傾げながらも再び書類に向かう。
アデリシアの部屋の事を修正もせずに黙っていることが気になるのか。
考え過ぎだ、とライアンを生温い目で家令は見遣る。
わざわざ言葉を遮る程なのだから、ライアンの本意だと悟っている。シルヴァールにはアデリシアの居場所を伝えたくないことくらい理解しているというのに。
時に諌めたりすることはあったとしても、優先順位は決まっている。
出来る使用人はあえて主人の言葉を否定したりはしないのだ。




