夜の支度
ライアンが部屋から飛び出すように出て行ってからすぐに、セシリアがノックと共に入って来た。
雰囲気から察するに何故か上機嫌な様子だ。
着替えを手伝うと言われて、毎度のことながらアデリシアは恐縮する。
子爵の娘とはいえ、塔に入った時から自分で気替えを行っていたのだ。騎士団でも同じだった。一人で脱ぎ着が出来る衣服もある。フレデリクに師事してからはずっとそのタイプを選んできた。そのタイプに変えてもらえないかと尋ねてみたが、やはりやんわりと否定された。
「何度も申し上げてますが、お手伝いが必要なドレスをお召しになるべきです。ちゃんと見せるところは見せつけなくては」
美しく装うことも女性の武器。
着替えに手がかかるドレスにもそれなりの意味はある。コルセットで胸を大きく魅力的にみせる必要は絶対にあるのだ、とセシリアは力説する。
「見せたい相手は振り向いてくれないのに?」
意味がないのに、とアデリシアが小さく愚痴れば、そんなことありません、とセシリアに諭された。
「自分でドレスを脱がせたいと仰る殿方もいますからね?だからこそ、その機会を少なくしてはいけません。まあ、今は私が脱がせてしまいますけど」
笑いながらセシリアはドレスの紐を緩めていく。
「いつでも対応できるように準備万端でいるべきですわ。それにこのデザインの方が、アデリシア様を一番綺麗に見せるのですから」
促されるまま、セシリアにコルセットの紐を外すのを手伝ってもらう。
言われてみれば、与えられたドレスのほとんどが一人では着られないデザインである。これは作為的に用意されたものだからなのか。
長く側にいてライアンを落とせないくらいだ。元々の素材は自分で理解している。今更着るもので綺麗に見せてもあまり意味がない気がするのだが、ドレスを買い与えられている立場では強く文句は言えなかった。しかもライアンの財布から提供されているものである。尚の事恐縮するしかない。
新しい寝着を頭から被らされて腕を通しながら、アデリシアは自分の見栄えを良くするというドレスの活躍の場面はあるかを考えて、天井を睨んだ。
だが、ついぞそんな機会は今までにもなかった。考える限り、今後もあまり訪れなさそうでアデリシアは小さく首を横に振ったのだった。
湯浴みを終えて髪を整えてもらいながら、目の前の鏡台に置かれた香油をアデリシアは横目で観察していた。
いつも使用しているものとは違っているようだ。何の気なしに眺めていると、セシリアはそれを手に取ってアデリシアの肌へ塗り込もうとしてくる。
訳が分からず首を傾げると、セシリアは意味ありげに微笑んだ。
「今日はここでお休みになる、という事でよろしいんですわよね?でしたら必要ですから」
必要とする意味がわからなかった。
そういえば、とアデリシアは思い起こす。
すでに与えられている部屋があるのに、この部屋に留まって着替えてしまっている。
「つい着替えちゃいましたけど、私、自分の部屋に戻るべきでした?」
「いえ、そんな。戻る必要なんてないです。むしろ戻っちゃ駄目ですよ?他の荷物は明日にでも移動しますから。今日からこちらがアデリシア様のお部屋になりますから」
「………?どうして」
「ですから、もう。気づいていらっしゃいます?この部屋」
「部屋?ここ、確かライアン団長の隣の部屋ですよね」
アデリシアはぐるりと見回す。
何かまずいのだろうか。
「ええ、ライアン様はまっすぐにこの部屋にアデリシア様をお連れになりましたので、このままお使いいだくのは全く構わないのです。いえ、むしろそうするべきかと。でも、その裏の意味に本人が気づいていたかどうかが怪しいのですけども」
くすくすとセシリアは笑う。
アデリシアは訳が分からず首を傾げる。
「いえね、ライアン様には昔から大事なものは自分の側に置いておきたいという癖がありましてね。小さな頃はいつも自分の近くに隠していたんです。ベッド下だったり、机だったり……その癖が抜けないようで可笑しくて可笑しくて」
「え………?」
「アデリシア様のお部屋は別に用意されてますのに、ねえ?」
確かにアデリシアには別の一室が与えられている。
具合が悪そうに見えたとしても、わざわざ自分の側――自らの隣の部屋に抱えて連れてくる必要はまったくないのだ、と言われてアデリシアは目を丸くした。
「逃亡しようとしたから……監視のための部屋じゃなくて?」
ライアンのことである。
念には念を入れそうだ。
「まさか。ありえませんわ。いつもお使いいただいている部屋だってライアン様の命でご用意した部屋ですし。それに特別な言いつけでもない限り、客人には客室を用意するのが当たり前です。そうしなかったら我々の職務怠慢になりますわ」
確かにセシリアの言う通りである。
ちなみにここはライアンの幼い頃は乳母の控える部屋だったらしいが、今は模様替えがなされ、ライアンの妻である未来の侯爵夫人のための部屋となっているらしい。中扉とバルコニーとがそれぞれの部屋で繋がっており、廊下を通らずに隣と行き来が可能なのだという。家の者に知らせずに部屋に通えるという夫婦の部屋だというのだ。
そう聞かされて少なからずアデリシアは動揺する。
「しかもですよ?ライアン様はわざわざ私を呼ばれて、アデリシア様の着替えを手伝うよう言われました。この意味がお解りに?」
「ええと……単なる着替え、ですよね?」
いつもセシリアに着替えを手伝ってもらっているのだが、平常と何か違うことでもあるのだろうか。
返答を求められても分からず、アデリシアは首を傾げる。
アデリシアが脱いだ衣服をまとめながら、セシリアは人差し指を立てて横に振った。
「違います。夜の支度をしろ、とライアン様にそう言われているのかと思ったんです。勿論、夜のための特別な準備ですわ。とても親密な意味での」
「は……!?」
アデリシアは思ってもみなかった言葉に目を剥いた。
親密な意味での着替え。それはつまり夜を共に過ごすための身支度である。
しかも、この部屋は家人に知られずに、ライアンの元へ行き来が可能な部屋なのである。ただし、今回の場合、セシリアの手を借りて身支度を整える時点でバレバレだ。
それらの意味を正しく理解してアデリシアは真っ赤になった。ごくりと唾を飲みこむ。
「あら……アデリシア様は考えてもみなかったようですわね。まあ、ライアン様も何故か仕事を理由に部屋からは逃げ出したようですけど」
苦笑するセシリアの言葉に、アデリシアは曖昧な笑みを浮かべる。
それは逃げ出したのではなく、自分が追い出したからだろう。
「まあ、ライアン様はアデリシア様の事を婚約者とはご存知ではないですから、どうかなとは思いましたけど……大丈夫ですよ?本来ならば貞淑を求められますが、一応婚約者であれば甘く見られる事ではあります」
十分過ぎる程わかっていながら、アデリシアは口に出して確認をしてみる。
「そ、それって、やっぱり、夜って、そのままそういう意味なんですよね……?」
アデリシアの戸惑いを見て、セシリアは苦笑した。
「まあ、推奨することでもないですけれど……。一応お持ちしてます。今度は紫の、試してみます?」
ライアンが好むはず、と太鼓判を押しながら、ひらりとセシリアは手に取って広げた。
見覚えのある薄い透け透け素材だ。
前は桃色。今度は色が異なり、明るい紫色で少し襞が多い。
続けざまにライアンの腕に自分の胸を押し付けたことを思い出して、アデリシアは今更ながら顔を覆った。あからさまに相手からお薦めされると気恥ずかしいものがある。
「あの、その……同じ邸内に従兄弟もいますし……遠慮させてください」
しどろもどろで答えると、セシリアは残念そうに柳眉を顰める。
何を今更、という感情がセシリアの目にありありと浮かんでいる。
そんな期待に応えたいような応えたくないような。
アデリシアは苦笑いしながらも遠慮するしかない。
「必要になりそうなら、他にも用意しますから呼んでくださいね。もし間に合わなかったらここですからね?」
何度も強く念を押して、セシリアは化粧棚の一番上の引き出しにそれを仕舞った。
香油もこちらからすぐ取り出せますよと言われて、アデリシアはぶんぶんと首を横に振る。
間に合わない状況ってどんな状況だ。
考えるだけで身体が震える。
「いいです、絶対に必要ないですってば」
セシリアを部屋から追い出すべく背を押す。
「そうですかねえ……」
残念そうにセシリアはアデリシアの脱いだドレスを手に部屋を後にしていった。
部屋にようやく一人になって、アデリシアは深く溜息をついた。
覚束ない足取りで寝台に向かい、そのまま倒れ込む。
「なんてことを推奨するのよ……」
頬を染めながら、アデリシアは横目で引き出しを見た。
あの中に魅惑的な紫の夜着や香油があると思うと気になってしょうがない。
いや、自分から進んで引き出しを開けて活用したりするつもりはないけれど。
「……紫……」
恥ずかしいこと極まりない意匠だったのだが、ライアンの好む色、か。
ひとまず心に留め置くことにして、アデリシアは寝台の上に両手を横に広げて仰向けになった。
天蓋を見上げながらライアンの顔を思い浮かべる。
右手をそっと天蓋へと差し伸べる。
優しくて頼りがいがあって、真面目な団長。
命の恩人。
大好きな人だ。だからずっと側で見つめてきた。
アデリシアは手を握りしめた。
ごろりと寝台の上を転がって横向きになる。
でも、堅物。女心なんか少しも理解してくれない朴念仁。
のらりくらりと躱して自分の気持ちを少しも受け取ってくれない。
つれなくて大嫌いな人、だ。
拳を固めて、そのままシーツに落とす。
今更だ。
ライアンの心を手に入れようとしたが、自分には無理だった。自分の切れる手札はもうない。だからこそ、騎士団の元を、ライアンの元を自ら去ろうとしたのだから。
レスティアの言うことには従っているものの、アデリシアは自分ではもうどう行動していいのかわからなかった。
なのに、ライアンからこの部屋に入れられるとはどういうことなのだろう。ライアンは少しでも自分を想ってくれているのだろうか。
ーーわからない。
これがレスティアの書いた筋書きなのだろうか。
「ライアン、団長……」
微かな呟きは静かに空気に溶けて消えた。
ようやく再開の目処がつきました。
お読みいただけると嬉しいです。




