夜の静寂に
陣が消えていくのをアデリシアはじっと見つめていた。
移動設定したのは王都の執務室。施された術に違和感はない。無事に二人を王都へと送り届けられたようだった。
大きく息を吐きだして、杖に縋るようにしてアデリシアはその場に座り込んだ。それにしてもウォルターは何だったのか。いつもと態度が違いすぎて対処に困ってしまった。特に精神面でごりごりと何かを削り取られたような気がする。
それでええと、これからどうするんだっけ。
具合悪そうによろけて倒れる、だったか。
ウォルターの言っていたことを思い出して、アデリシアは半眼になった。思い出すのが遅すぎた。
既に座り込んでしまったではないか。
舌打ちしたい気分でアデリシアは先ほどの事を反芻する。そもそも、ウォルターが耳に執着したりするから悪いのだ。気が散漫になってしまって、つい座ってしまったではないか。
今から、いきなり半身を伏せたり、倒れたりするのは絶対におかしいだろう。
よろけるも無理。倒れるも無理。次はどうしたらいい?
ぐるぐると考えるアデリシアの肩に手が置かれた。
「大丈夫か?」
心配そうな色を湛えた瞳が覗き込んでくる。
「え?あ、はい……」
対するアデリシアは曖昧に返事を返す。苦笑いだ。
ライアンは心配してくれているのに、自分は仮病を使おうとしていたのだ。少し後ろめたい。
真実を言うべきかどうしようか逡巡していると、ライアンは扉へと向かって行った。そのまま開きっぱなしにしてアデリシアの元へ戻ってくる。
「………?」
扉を開けっ放しにするなんてどういうつもりなのだろう。付き添いのない貴族の子女と一緒にいる時は扉を開けておくなんて決まり事に従うのは今更な気がする。しかし扉は全開にされている。
不思議に思っていると、ライアンはアデリシアの元へと片膝をついた。そのまま脇の下へと手が入り、ライアンの胸元へと引き寄せられる。座り込んだ膝が崩れると、そこを掬い上げるようにライアンの手が伸ばされた。
「ちょっ、ええっ?」
「いいから。杖は邪魔にならないよう抱えてろ」
ライアンはアデリシアをそっと抱え上げた。そのまま立ち上がる。
アデリシアは軽く目を瞠った。
これは、魔力を使い果たしたと思われたのだろうか。
体力はまだある。というかむしろ元気過ぎるぐらいにある。魔力も転移魔法を使った後だが、枯渇もしていない。
ウォルターの言っていたことはこれかと思い当たる。耳を食べようとしたりした事は許さないけど、これにはちょっとだけ感謝してあげる。
幾らか戸惑う様子が伝わったのだろう。ライアンは小さく息を吐いた。
「お前は無理して動かなくていい。部屋まで運んでやるから」
優しい声が降ってくる。
ああ、団長はやはり優しい。
アデリシアは泣きそうになりながらライアンを下から見上げた。精悍な顔立ちが目に入る。久々に近くで見た気がする。
ふと侯爵夫人の言いつけが浮かんだが、今だけは考えない事にした。
「悪かった。疲れているのに転移魔法使わせて」
「いえ、そんな事ないです」
「俺の溜めた書類のせいですまない」
ライアンは渋面のまま、アデリシアを抱えたまま二階へと足を運ぶ。
「ごめんなさい……」
アデリシアは小さく呟いた。心の中で再度謝る。
すみません。違うんです、団長。
そもそも自分の行動が原因ですよね。
だから仕事に手を付けられず、師匠の嫌がらせにあってるんですよね。
考え至ってアデリシアは唇を噛みしめた。
自分が想いを寄せたせいでライアンに迷惑をかけている。わかっている。疫病神は自分なのだ。
ライアンの胸に甘えるように頭をそっと預ける。
今だけだから、と自分に言い聞かせる。
ずっと好きな人の側にいたい。その気持ちは変わらない。
しかし、このままライアンの心が手に入らないなら、この想いは消さなくてはならない。もう踏み出してしまった。後戻りは出来ないのだ。
アデリシアはゆっくりと目を閉じた。
***
「アデリシア……眠ったのか?」
自分の胸に凭れて目を瞑るアデリシアを見つめる。返事はないが首を横に振る。
疲れたのだろう。
ライアンはなるべく衝撃を与えないようにしてアデリシアを運んだ。
階段を昇り、廊下を進む。自分の部屋の隣だ。
扉を開き、中へ入って寝台へと寝かせた。手から杖を取り上げようとすると、アデリシアの手がライアンの服を掴んだ。
「アデリシア」
やんわりと嗜めて杖を椅子の横へと立てかける。
それでも服から手は離れない。
「どうした」
アデリシアはライアンの服から手を離さないまま、半身を起こした。
「ねえ、団長。私、このまま団には戻らない方がいいんでしょうか」
「いきなり何を言い出すんだ、お前は」
ライアンは片眉を上げる。
「だって私のせいで迷惑かけてるし……」
「迷惑っていうならちゃんと騎士団に戻れ。それで解消する。皆も待っているって言ってただろう」
皆、という言葉が引っ掛かる。
「それなら、団長は」
「なんだ」
「団長も待っていてくれるんですか?」
「当たり前だ。でなければ、国境までわざわざ追いかけたりしなかった」
「そう、ですよね……」
アデリシアはライアンから手を離して、寝台の上で両膝を立てて手で抱えた。膝の上に頭を埋める。
でも、あの時の言葉が頭にこびりついて離れない。
自分の団からの逃亡者は許さない、というライアンのあの言葉が忘れられない。
ただそれだけの理由で追ったのだとしたら自分は惨めだ。
「でも戻ったら私、父の命令で結婚させられるんです。どちらにしろ騎士団は辞めることになるのは同じ事じゃないですか……」
ライアンには婚約相手の名はまだ知らされていないはずだ。
「大丈夫だって言っただろう」
「でも」
「お前は心配するな。俺がなんとかするから。だからお前はそれまでこの家にいろ」
ライアンは落ち着かせるようにアデリシアの頭を撫でる。
なんとかするってどうするつもりなのだ。
本当にどうにかされたら困るのは自分なのだが。
とても気になるが、聞くに聞けない。
「――私のせいで師匠が迷惑かけてるのにいいんですか?書類だってそうですよね」
皆に、特にライアンに迷惑をかけているはずだ。
「あんなのは……別にどうってことはない。今更だ。あれくらい気にするな」
言い難そうなライアンの様子に、アデリシアはふと疑問を覚えた。まるで今までにも同じ事があったかのような言い草だ。
「今更って、どういう意味ですか?」
問い返す声が思わず低くなる。
「いや、まあその……うん、お前は気にするな」
変だ。
誤魔化すような言い方をする団長だなんて、これは何かあったのだと証明するようなものだ。
「まさか……団長?」
言葉を濁すライアンの様子にアデリシアは疑いの目を向ける。じっと見つめるとライアンには目を逸らされた。
やはり、そうか。そういうことか。
本当にどうしてくれよう。
脳裏では、あの長くて白い髭を引っ張って毟り取っていた。ついでに風で、頭の天辺を完全に剃り上げる。まだまだ足りない。
アデリシアはぎりと歯を噛み締めた。が、決して顔には出さない。
寝台から床に足を降ろして、立て掛けられていた杖を掴む。
「――すいません、ちょっと出掛けて来ます」
「おい待て。何処に行く気だ」
杖を掴んだアデリシアの手首をライアンがすぐに上から押さえる。
「お前、疲れてるんじゃないのか」
「もう疲れなんて吹っ飛びました。離してください。落とし前をつけなければ」
「おい、落ち着けって。今何時だと思ってる」
俄然やる気満々のアデリシアの様子にライアンは焦った。
疲れてぐったりしていたはずなのに、賢者の話が出た途端いやに元気だ。
「大丈夫。まだ寝るには早い時間です。深夜でもないし、あの人なら起きてる時間です」
「いやそういう意味じゃなくて」
「伝言も貰いましたし、私呼ばれているようですから?ならば、こちらから出向いて返礼をしなくては。ね?団長」
うふふ、と笑う顔があまりに凶悪で、思わずライアンは手を離した。
それは騎士団員がよく浮かべる表情で、彼女もやはり団の一員だったのだなと改めて納得する。
「とりあえず落ち着け」
「いやです!」
掌で頭を掴んで押さえ込もうとするが、歯を食いしばってそれに耐えてアデリシアは立ち上がろうとする。
「こら。言うこと聞けって」
しょうがないな、と呟いてライアンは手刀でアデリシアの手から杖を落とした。素早く足を払う。
かくん、と膝が折れてアデリシアは背後のベッドにそのまま後ろに倒れこんだ。アデリシアは杖を左手で取ろうと伸ばす。しかし、起き上がろうとするその肩を腕ごとライアンは体重をかけて押さえた。
「あ……」
一瞬の出来事だった。
ライアンの体さばきについていけなかった。
茫然としながらも、置かれた今の状況にアデリシアの心臓は跳ね上がった。
ここはベッドの上で。
団長に押し倒されているわけで。
婚約者だから何が起きてもまあ許されるわけで。
心臓が高鳴る。
だが、ライアンにそれ以上の動きはない。
婚約者だけれど団長はそれを知らないわけで。
ただ王都に行くのを止めようとしただけなのであって。
手際よく押し倒したのは別な話であって。
ライアンが動かない理由を考え始めると、高揚していた気分が沈んできた。
なんだか逆に苛々としてきた。おそらくこの体勢のせいだ。何故こんなにも手際が良すぎるのか。誰かに試したりしたのだろうか。
「少しは落ち着いたか」
静かになったアデリシアにライアンは問いかける。
「――ひどいです、団長」
アデリシアは大きく息を吐いて横を向いた。
「こんな……押し倒すなんて」
「な……っ!違う!」
指摘された意味に気づき、即座に飛びのく様にしてライアンの手が離される。
そんなに急いで逃げることないのに。
少なからず傷ついて、アデリシアはライアンを仰ぎ見る。飛びのいてはみたものの明らかに動揺した様子で、ライアンは手を宙に浮かせたままだ。
ゆらりとアデリシアは右手を支えに起き上がった。長い髪がほつれて頬にかかる。
「どうしたんです、団長。ほら、止められるなら止めてみてくださいよ」
「い、いや、お前……その、なあ」
動揺しまくりだ。困り果てた、とライアンの顔に書いてある。捨てられた子犬みたいな顔だ。
ああ、もうこんな顔も嫌いじゃないけど、腹が立つ。
素早く女性を押し倒す技術は持っているくせに、何故その先が続かないのだ。それはアデリシア相手だからなのか。そうだとするならば尚の事。本当に腹立たしい。
アデリシアは横を向いた。ライアンを視界に入れたくなかった。
「いいです、もう。仕事あるんでしょう。もう寝ますから出て行ってください」
「あ、ああ……」
アデリシアに扉の方を指さされて、ライアンは何度も振り返りながらも出口へと向かった。
「まあ、その、なんだ、ゆっくり休めよ?」
ライアンは歯切れの悪い言葉を残して扉を閉めた。
「アデリシア……」
扉を静かに締めてライアンは名前を呟いた。
扉へ拳を叩きつけようとしてやめる。そのまま扉にもたれかかるようにしてライアンは大きく息を吐き出した。
「――坊ちゃま」
ライアンはぎくりとして恐る恐る声をかけられた方へ顔を向ける。
家令とセシリアがすぐ側で至極残念そうな顔をして、ライアンを見ていた。
「な、なんだ。お前達」
思わずライアンは後ずさった。
まるで待ち構えていたかのようなタイミングだ。
「いい大人が扉越しに名前を呼ぶだけなんて、情けなさすぎて反吐が出そうですよ」
家令が冷たく言い捨てる。
「本当にそう思うわ。以前のように、坊ちゃまとお呼びしましょうかしらね」
姿形だけ大きくなってもこれじゃあね、とセシリアも首を横に振る。
「なんだそれは!」
「なんだ、ではありませんよ。名を呼ぶなら本人の目の前でお呼びなさい。情けない」
容赦なく切り捨てる。
「そうですよ、ここで呼ぶ意味がないでしょうに」
「本当に駄目駄目ですね」
「ちょっ……お前達、仮にも俺はここの主だぞ!」
あまりの言われようにライアンは声を荒げた。
「本当に仮ですね。侯爵様はお出かけですから」
あげ足をとられて、ライアンはぐうの根も出ない。
「そもそもなんでお前らがここにいるんだ!」
やけになってライアンは問い質した。
「仕事が残ってますので呼びに来ましたが?」
しれっとして家令が答える。
「なんでって……アデリシア様の寝支度を手伝えって坊ちゃまがさっき言ったんでしょうに。自分で呼んでおいてまさか忘れました?」
呆れた顔でセシリアも答える。
ライアンは口をぱくぱくさせてから閉じた。返す言葉はなかった。
「忘れてない。……あと坊ちゃまはやめろ」
低い声で言ってライアンはその場を後にする。
最初から争うだけ無理なのだ。
日常はセシリアに、剣は家令にと、幼少の頃から二人に面倒を見てもらっていたせいで、弱みも数多く握られている。
幼い頃にしでかしたやんちゃなあれこれを引き合いに出されれば、当然勝ち目はない。相手はこちらの数段上を行く。
それにしても坊ちゃま、なんてセシリアに呼ばれるのは何十年ぶりか。久しぶり過ぎて恥ずかしい。決して嬉しくはないが。
「坊ちゃま、客間はこちらではありませんが」
振り返ると付かず離れずといった距離で家令が着いてきていた。
「坊ちゃま言うな!」
憤然として言い返す。そしてライアンは踵を返した。客間へと向かう。
「それでよろしい」
あくまで命令口調の家令に苛つくが、逆らえない弱みもある。ぐうとライアンは怒りを飲み込んだ。
「やはり手ほどきが必要ですかね……」
聞こえてきた不遜な呟きは聞かなかったことにした。
投下遅れてすみません……。
読んでくださってありがとうございます。




