はっきりと言って
アデリシアはゆっくりと目を開いた。
寝台に倒れ伏して考え事をしたまま、寝てしまっていたようだ。半身を起こすと肩に掛けられただろう掛布がずり下がる。
「………?」
アデリシアは掛布を掴んだ。
この部屋の掛布は自分が下敷きにしているのだが、新たに掛けてあるということだ。
誰かが掛けてくれた……セシリアだろうか?
ふと窓の外で音がした気がして、アデリシアは起き上がった。
外……バルコニーか。
この部屋には確か隣と繋がったバルコニーがあったはずだ。セシリアが確かそう話していた。
部屋履きを履いて、アデリシアは窓際に歩み寄る。窓越しに外を覗き見ると、長身の姿があった。
見慣れた姿だ。間違いない。
見ると、窓の掛け金は外れていた。
掛布を掛けてくれたのはおそらくライアンなのだろう。アデリシアは窓を押し開いて、バルコニーへと迷う事なく一歩歩み出た。
「ライアン、団長……?」
窓枠に手を掛けながらそっと声をかければ、ゆっくりとこちらを振り返る気配があった。
月光のせいで彼の表情は良く見えないが、手にはグラスが握られているようだった。側の机には酒らしきボトルが置かれている。月見酒という言葉が浮かぶ。飲んでいたのか。
「悪い、起こしたか」
「いえ……」
しんとした空気が重い。
「書類は終わったんですか?」
「ああ、目処はついた」
「そうですか……」
そのまま何も言えず、部屋にも戻らないままでアデリシアはライアンを見つめ続けた。
ほの暗い月光を背に、ライアンが立っている。
追加で掛けられる言葉もなく、アデリシアは動けずに立ち尽くしていた。お互いに無言だ。
本当は話したい事もたくさんある。聞きたい事だってたくさんある。それより何より何でもいいからライアンの声が聞きたかった。
だが、すぐ傍にいるのに近寄れない。彼との距離はこんなにも遠いのだ。アデリシアは唇を噛み締めた。
しばらくそうして二人で立っていたが、膠着状態を先に解いたのはライアンだった。
「その……なんだ、悪かったな」
ライアンはそっと息を吐いて、傍らのテーブルにグラスを置いた。からりと氷が音を立てる。
「お前の力を封じたのは少しやり過ぎたと考えている。済まなかった」
ライアンは手摺に手を付いて凭れた。
「いえ……私が悪いんです」
アデリシアは首を横に振った。
元はといえば勝手に出奔しようとしたアデリシアを止めるべくの所業だったのだから、しょうがないだろう。そう理解しているだけにライアンに謝られると困ってしまう。
「それと、何も説明せずにずっと屋敷に留まらせて悪かった」
「…………」
どういう意味なのだろうか。
言葉の真意を測りかねて、アデリシアは眉根を寄せる。不安を隠そうと、自分の右手で左腕を掴んだ。ぎゅっと強く握りしめる。
留まらせて悪い、ということは自分をもうここから解放するということだろうか。
自分を預かると言ったくせに。
それとも、もうここへ留まらせる必要がなくなった……?
まさか迎えが来たのだから、マイカと共にさっさと隣国へ行け、とでも言う気なのだろうか。
どちらにしろ自分にとっては都合の良いことはない。
陰鬱な気分でアデリシアはライアンの次の言葉を待った。
「アデリシア」
「……はい」
ライアンはアデリシアの元へゆっくりと歩み寄った。
側に立って小さな姿を見下ろす。アデリシアは窓とライアンの間に挟まれた形だ。
ぽんと頭に手を置かれてアデリシアは目を軽く見開く。
「こうしていると……最初に会った頃のお前はとても小さかったのを思い出すよ。マイカ殿もそうだったが、あの時のお前は守られるべき存在だった」
「団長……?」
アデリシアは傍らの長身を見上げた。
ライアンは頭上から手を下ろし、片手で掬うようにして、柔らかな白い頬にそっと触れる。
「覚えているか?あの頃の俺は未熟で、小さなお前を怯えさせてしまった」
「そんなことないです。怯えるなんて……。私も兄様も団長に助けられました。命の恩人です」
アデリシアは首を横に振る。
「はは……俺はそんな大したもんじゃないよ」
ライアンは自嘲した。
「あの時だって運が良かっただけだ。恥ずかしい話だが、撃退出来たのもぎりぎりだった。だから、俺は必死であれから剣技を磨いたんだ。だからこそ誇りを持って今俺は第三の団長でもいられる」
アデリシアは瞳を瞬かせる。
初めて聞く話だ。
「お前が騎士団に来た時、俺の団に置けば、今度こそきちんとお前を守れると思ってたんだ。いや、正しくはそうじゃなくて……違うな。いつからかお前はもう守られるだけの存在じゃなくなっていた」
「ライアン、団長……?」
アデリシアは戸惑いを隠せない。
ライアンの強い視線は自分を射抜くかのようだ。
「戦の時はこんな小さな身体で戦って、皆を助けてくれたんだよな……」
ライアンは親指の腹で愛おしそうにアデリシアの頬を撫でた。眩いものを見るかのように目を細める。
「ライアン団長……私……」
じわ、と熱いものが胸にこみ上げる。
アデリシアは頬に置かれたライアンの手に自分の手を添えた。
「いつからだろうな。お前がずっと傍にいて、それが当たり前になってたんだ。だから俺はお前が騎士団を……いや、俺の傍を離れるのは許せなかった」
視界が涙で歪む。
「アデリシア」
「はい……」
「うん、お前は共に戦場に立てるだけの信頼を置ける仲間だ。俺はお前になら背中を、命を預けられる。それぐらいに信頼している。替え難い存在だ」
アデリシアは急激に目の前が真っ暗になるのを感じた。
ああ、惨めだ。
信頼。仲間。
嬉しいはずの言葉が胸に突き刺さる。
アデリシアはライアンに添えた自らの手を下ろした。落胆の色を隠せなかった。
替え難いと言われても、ライアンにとってはやはり単なる仲間でしかないのだろう。命を預けられる、信頼に足ると言われてもそこに愛情はないのだ。側にいられるだけでも、と思っていたが本当にそれだけとは。
どう転んでも、やはり女としては見てもらえないのだ。
既にわかりきっていたことだが、改めてはっきりとライアンに言葉に出されると心が痛い。
「お前が大事なんだ」
付け加えられたライアンの言葉が余計に心を抉る。
人の気持ちを再びどん底に落としておきながらも、こんなにも頬に触れるこの手は優しく温かい。いっそのこと嫌いだと言ってくれた方が余程諦めもつくのに。
嫌だ、諦めたくない。でも。
視線を落として、手摺を見つめる。アデリシアは唇を噛みしめた。我慢しようとしても肩が震える。言葉を無くしたアデリシアの目から涙が次々に溢れ出た。
「泣くなよ」
「だって……」
困ったようにライアンはアデリシアの顔を覗き込み、その涙を指で掬った。
「頼むから泣いてくれるな。お前に泣かれるとどうしていいかわからなくなる」
そう言われても絶望の涙は止まらない。
ライアンは肩を震わせるアデリシアを引き寄せて抱きしめた。宥めるように頭に手を置いて撫ぜる。
本当に残酷な人だ。
アデリシアはライアンの胸に縋るように服を握り締めた。嗚咽が漏れる。
「……っ…………くっ」
アデリシアはしゃくりあげた。
頭を撫ぜるなんて、またしても妹扱い。私は妹なんかじゃないのに。
大好きなのに大嫌い。
貴方に必要なのは騎士団の戦力としての自分。大事なのは天位の力だけなのでしょう?
女としては必要ないのでしょう?
親にも逆らってまでも貴方の傍にいた。いつか報われるならばと思っていたのに、それらは全部無駄だったのでしょう?
何度も過去にそう問い掛けそうになった。問わずとも今わかってしまったけれど。
いつまでも報われない想いを抱き続けるのはもう嫌だ。
だから、嫌いになって貴方の傍を離れるの。
だから黙ってマイカの元へ行こうとしたのに、わざわざ引き止めて期待させたりしておいて、こんな言葉を投げかけてくるなんて本当に残酷過ぎる。
婚約者の事だってそうだ。最初に聞かされた時には落胆した。後からレスティアから自分が婚約者だと聞かされて少しは浮かれたけれど、ライアンの心が伴わないなら意味がない。
マイカの言う通りだった。こんなにも心が通わない事が辛いとは。
ライアンなど嫌いなのだと、ライアンの言う事にはもう従わないのだと手を振り払って言ってしまえばいい。
マイカと共にここを去ると。今しかない、言ってしまえと思うのに喉はひりつく。
「泣くなよ。今回のことで……俺だって色々と考えたんだ。お前を手放すことも含めて深く考えた」
ライアンは小さく息を吐いた。
「でも手放せなかった。そんなの考えられなかったんだ。だから、首枷をしてでも俺はお前をずっと傍に置いておきたかったんだ。もしまた逃げられたら、また嵌めてしまいそうなくらいだ」
首枷。
ライアンの言葉にアデリシアの肩がびくりと震える。
その様子にライアンは目を細めて、アデリシアの柔らかな髪をそっと払い除けた。
首枷の嵌められていた細い首元を手の平でさらりと撫で上げる。首枷の痕跡はもう欠片も残っていない。
「お前が何処かへ行ってしまうと考えるだけで、俺は平常ではいられなくなる。だが、首枷があればお前は何処にも行けないだろう?やはりまた嵌めてしまおうか」
頭上に落とされる自嘲には、何処か艶めいた響きがあってアデリシアは目を瞠る。
確かに首枷をされてしまえば、能力は使えない。頼るべき所もなくなる。無力化され、一介の単なる子女に成り果てる。
天位の力が必要なのに、首枷で力を封じてしまうなんて意味がないのではないだろうか。
それって……それって?
でも勘違いしてはいけないのだ。それは自分にとってのみ都合の良い解釈かもしれないのだ。もう散々自分は思い知ったはずだ。でも。
アデリシアはぐるぐると迷ってライアンを凝視した。
「なあ、アデリシア。頼むからもう俺に黙って何処かへ行ってしまったりしないでくれ。傍を離れないとそう約束してくれないか?そうじゃないと俺は安心出来ないんだ。首枷でもしない限り安心出来そうもない」
アデリシアの首元をライアンの手が彷徨う。
優しく触れるその手が憎たらしい。
アデリシアの沈黙をどう考えあぐねたのか、ライアンは眉を顰めた。
「お前が迷うのはシルヴァールの事か?」
「痛……っ」
肩を強く掴まれて、アデリシアは声を上げる。
「ああ、すまない。もしかしてお前はシルヴァールが求婚した事を気にしているのか?だから応えられないのか」
「は、ええ……っ?」
思わずアデリシアは聞き返した。
突然の話の転換についていけない。
「いや、ウォルターもだったか。優しいお前のことだ、それらを気にしてるのか」
今度は何。
一体どういうことなのだろう。
尋ねるように濡れた目で見上げると、ライアンの視線があからさまに泳いだ。
「団長……?」
あーうーと口籠り、戸惑った挙句、ライアンは意を決して口を開いた。
「お願いだ。頼むから、どうかあいつの求婚は受け入れないで欲しい」
アデリシアは耳を疑った。
ライアンがお願いをしてくるなんてあり得ない。
「勿論、新しい団に行くのもナシにしてくれ。断って欲しい」
「そ、そんなの団長に関係ないでしょう……っ?」
せめてもの去勢を張って、アデリシアは言い返す。
「いや、駄目だ。関係ないがある」
「矛盾してます!」
一体どちらなのだ。
「勝手な事を言っているのはわかってる。受ける受けないは本来お前の自由だ。あいつにもそう言ってしまった。だが、俺としては出来れば受けないで欲しい」
「は……?」
目に見えてアデリシアは固まった。
本気で言っているのだろうか。
「子爵……父君の方は俺がなんとかする。俺が守ってやる。だからシルヴァールやマイカの元へも行かないでここにいてくれ。俺がこれからも全て面倒見てやるから」
ライアンが真剣な目で告げる。
まるで夢のようだ。
夢ではないがしかし。
「なんで今更……そんな事を言えるんですか。団長は私の事、妹のようなものだって言ってたじゃないですか!私は貴方の妹なんかじゃないのに!」
「妹?何を言ってる。全然違う。あいつらには俺はこんなに構ったりしない」
「はあ!?」
アデリシアは問い返した。
妹のようなものだから、自分は恋愛相手には見れないって言ってたくせに!
言っていた事が変わっているではないか。
便利な仲間が自分の元を離れそうになって、駄々をこねているようにしか聞こえない。
「もう、一体団長は何が言いたいんですか。私の事どう思っているんですかっ!?」
きっとライアンを睨みつける。
既に涙は止まっていた。
人を散々振り回して……返答次第ではただでは置かない。
「ーーお前の事か。大事って言ってるじゃないか」
「それだけじゃわかりません。この際だからはっきり聞かせてくださいっ」
はっきり言われても、もう傷ついたりしない。
嫌いと言われるのならば、すっぱり諦めてどんな事をしてでも当初の計画通り他国に飛んでやる!
ライアンは深く息をついた。アデリシアの肩を掴む手に力が込められる。
「じゃあはっきりと言おう。俺はお前が気になってしょうがない。お前を放っておけないんだ。そういう大事な存在、だ。
だから何処にも行かないで欲しい」
今度こそアデリシアは声を失った。




