小宴
ライアンの仕事はまだ残されてはいるものの、ようやく全体的な終了の目処は付いたようだ。
厳格な家令の許可も出たので、夕食は皆で無礼講、ということになった。別室に料理と酒がすでに用意されていた。仕事の労を労うために、ライアンの提案によって用意された小宴だ。
堅苦しくないようにとの侯爵夫人からの配慮で、夫人は同席をしないらしい。
宴には騎士団員、そしてマイカとその護衛が一緒に参加することになっていた。両国の友好をはかるためという理由付けもあるらしい。
宴の後で、カルロとウォルターが書類と共に王都へと帰ることになっている。
ライアンがグラスを手に進み出る。
「マイカ殿とその護衛の方々、隣国からうちの領地への訪問を心から歓迎する。それと、騎士団の皆、仕事を手伝ってもらって済まない、ありがとう。ささやかながら、当家自慢の料理人に料理を用意させた。酒もたっぷり用意したから遠慮なくやってほしい。では、乾杯」
「乾杯」
グラスを掲げて、アデリシアは果実酒を口にした。
立つ場所は勿論マイカの側だ。彼たっての望みでもある。
とりあえず、侯爵夫人との約束通り、まだライアンとはまともに口を利かずにいる状態だ。
先程は走って逃げ出してしまったのだが、ライアンは一体どう思っただろう。
マイカがにっこりと笑いながらアデリシアの耳元に囁いた。
「アデリシア、それでは駄目だよ?ライアンを見過ぎだ」
「兄様」
「今のところ計画は順調なんだ。お前が夫人の言いつけを守れないなら今すぐにでも連れて帰るぞ」
マイカはグラスを呷った。
端からは楽しく談笑しているようにしか見えないだろう。
「それは待って、兄様……お願い」
「わかってるならいい。約束は忘れるなよ」
「――わかってます、兄様」
アデリシアはゆっくりと頷いた。
「アディ、何飲んでんの」
声をかけてきたのはウォルターだ。
「ええと、果実酒だよ?」
「ふうん?あっちにもっと美味しいのあったよ、取りに行こうよ」
「うん」
二人の微妙な空気を察したのだろう。ウォルターが連れ出しに来てくれた。アデリシアは内心感謝した。こういうところはウォルターは、よく気がついてくれるので色々と助かる。
マイカに視線を送ると頷いて寄越したので、その場をウォルターと共に離れる。
「ねえ、アディ、もうあのキラキラ従兄弟は放っておいてさあ、僕等とずっと宴を楽しもうよ」
「キラキラ従兄弟……ふふ、そうだね」
カルロだけでなくウォルターの評価もキラキラなのか。
自然と笑みが溢れる。
「うん、アディはさ、やっぱ笑顔でいる方がいいよ」
「そうだぞ。ほら食え」
カルロも近寄ってきて、料理の載った皿を手渡ししてくれる。
「ウォルター、カルロもありがとう」
皿を受け取って、アデリシアは礼を述べた。
至れり尽くせりで頭が下がる。
聞けば、書類整理を今日ずっとやらされてアデリシアの気配りと有り難さが、身に沁みたのだという。
「団長にもそこを強調しといたからね」
「なんで」
「なんでって、アデリシア、今回の件でわかったでしょ。今までさあ、良かれと思って団長のためにこっそり事務仕事をやってあげてたと思うけど、やり過ぎは良くないよ。いなくなった途端、これだもん。団長には自分で仕事を全部片付けるっていう癖を付けさせなきゃ」
山積みの書類処理をやらされて迷惑を被った、とウォルターは口を尖らせる。
まあ、ウォルターは主に担当したのは主に間違えた書類の再作成と散らばった書類の分類だったのだが。
「うーん……一応ね、私はさ、押しかけ魔術師なわけよ」
カルロに取ってもらった皿の上の野菜をフォークで突きながらアデリシアは説明する。
「追い出されないようにとかさ、少しは気を遣ってたわけ。あと団長に私がいないと駄目とか言ってもらいたくてね、それをやってたんだよね」
「一体何年前の話だ?アデリシアを追い出す奴なんてうちの団にいるわけ無い」
カルロは否定した。
「そうだよ。魔術の攻撃も回復も補佐も他に出来る奴いないし。はっきり言ってアディがいなくなって困るの騎士団の皆だからね。自分等の首締めるだけ」
「でも」
「第一、天位持ちが何言ってるのさ。そんな事言ったら他の魔術師泣いちゃうよ」
ウォルターはアデリシアを指さした。
「アデリシアが自分から出て行かない限り、お前を追い出す奴はいない」
カルロもはっきりと断定する。
「でもさ、皆が剣の訓練とかしてても私は一緒には出来ないじゃない。そもそも体力とか技量とか全然違うし。だからその時間の有効利用、的な?」
「だからやり過ぎは良くないって。そうやって団長を甘やかしてたってことだろ」
カルロに指摘される。
アデリシアは、甘やかしていたつもりはないのだが、とぼんやり思った。
むしろ、騎士団で女一人というだけで厚遇されて、何かやらざるを得ない気分だった。書類の山に飛びついたのは渡りに船だったからだ。
「大体、その時間って本来は魔術の研鑽をするはずの時間だろ。なんで魔術塔に行ってなかったのさ?」
ウォルターに聞かれて、アデリシアは仏頂面になる。
「――だって、師匠がいるから行きたくなかったんだもの」
一応、皆が剣の訓練をしている間は、魔術師としては魔術の研鑽をする、という仕事が与えられていた。単なる名目だが一応そういう決まりになっている。
騎士団では魔導書の保有も限られており、出来ることは少ない。専門書を手にするには、やはり魔術塔へ戻らざるを得なくなる。その塔の中で一番魔導書を保有しているのは賢者であるフレデリクなのだ。
そこに戻るということは、アデリシアにとっては、つまるところそれは賢者のお守りをせざるを得なくなる時間を指す。
『アディちゃんは儂を独り占め出来るんじゃぞ。皆に羨ましがれるのう』
よくそう言って師匠は髭を撫でていた。
今では心底思う。
誰にも羨ましがられるはずはない、と。
アデリシアが師事した時には、直弟子は彼女一人だけだった。
老賢者には他にも弟子がいたはずだが、皆すべからく地方へと赴任していたりして既に塔にはいなかった。今ならわかる。それこそ、老賢者の行動のせいである。皆、逃げ出し――否、独立して師とは距離を置いたのだ。
修行をすれば、魔力が完全に切れるまで術を行使させられ、逆らえば子供であろうと女であろうと聞き入れられず崖に吊るされた。ともすれば、森の中や洞窟に置き去りにされた上で魔力を使って脱出しろ、とか無茶な要求もされたものだ。森で熊に襲われたり……本当に血反吐を吐いて苦しかったものだ。
アデリシアは思い出して首を振った。余計なことまで思い出してしまった。
とにもかくにもアデリシアに元々の素質があったのか、そんな無茶苦茶に見えた修行でも効果はあった。アデリシアの魔力保有値は格段に跳ね上がり、天位を取得するまでに至ったのだ。が、師匠のお蔭、と純粋に感謝できない自分がいるのも確かだ。
あの師匠の本性を知らない人には一見まともそうに見えるが、弟子にしてみると、『魔法が人よりちょっと使えるだけの我儘な自由人』というのが正しい評価だ。
あれで、最高位の賢者なのだから頭が痛い。
それはアデリシアも修行中に散々思い知った。
国王から意見を求められて呼ばれているのに知らんぷりをし、かと思うと呼ばれてもいないのに押し掛けて魔術を仕掛けて逃げる。手を変え品を変え、いくらそれらを繰り返されたことだろう。
フレデリクが行先を告げずに逃亡すれば、弟子であるアデリシアに何故行動を管理しないのかと当然問われる。そして、望まれもしない魔術を披露して、周囲に動揺を与えるだけ与えてフレデリクが逃亡すれば、やはりアデリシアが呼び出されて、その償いと後始末を要求されるのだ。
賢者の苦情受付係、と塔内で揶揄されていたことをアデリシアは知っている。各種、些末事の事後処理が望んでいないのに得意になってしまったのは全てフレデリクのお蔭である。
だからこそアデリシアとしては、やはり騎士団に残って事務仕事をしていた方がよっぽど利になると思う。師匠についているわけではなく、アデリシアは第三騎士団に所属しているのだ。
仕事が片付けば団長への売り込みにもなるし、その分それを材料に会話を切り出すことも出来るのだ。一挙両得ではないか。
フレデリクの後始末をしてもライアンに注目してもらえるわけもない。その上に、直接賢者本人へと言えない苦情を持ち込まれて、延々と愚痴を聞かされる確率が高いとわかっている処へわざわざ戻るほど愚かにもなれなかった。
「賢者フレデリク様、か」
カルロが呟く。
「あの人に、様なんてつける必要ないわよ?」
アデリシアは肉へぐさりとフォークを差した。そのまま口へ運ぶ。美味しい。かなり腕を振るったようだ。料理人の顔を思い出して後で礼を言おう、とアデリシアは思った。
もぐもぐと食べているとカルロは不審そうに見てくる。
「仮にも師匠なんだろ?そんな言い方は」
「ええ、師匠よ。逆に師匠だからとも言える。カルロ、あの人に感謝なんてしないことよ?皆、騙されてるんだから。ああ、飲みたくなるっ」
アデリシアは持っていた皿を置いて、果実酒を呷った。
「騙されてるって何?」
空いたグラスをウォルターが引き取り、新たに注がれたグラスが手渡される。
ありがとう、とアデリシアは礼を言ってさらに果実酒を口に含む。
「随分辛辣だな」
カルロも不思議そうに言う。
「だって、書類やらされてたじゃない」
「でもあれは団長のせいだろ」
「それもあるけど、それこそあの人の嫌がらせなんだから!皆なんで気づかないの?」
アデリシアは果実酒を一気に飲み干した。
側にあった側机へ怒り任せにグラスを置く。
「書類をぐちゃぐちゃにして天井から落とされたんでしょう?執務室の書類ってきちんと纏められて机に置かれているはずよね。上下だって裏表だって揃えてあったはず。日付順にだって並んでたかもしれない。下手したら分類だって終わってたんじゃないの?それ全部パアにされてここに送り付けられて感謝出来るの?」
アデリシアは苛々しながら賢者の意地悪を指摘した。
「あ………」
思い当たることがあったらしい。カルロの眉間に一気に皺が寄る。
「屋敷の守護魔法を破って、わざわざ天井に魔法陣描いたんでしょう?平行移動なんて楽にできる癖に、そういうところは手をかけるんだから本当に嫌になるわ」
図らずもライアン邸でも賢者の事後処理、だ。
「なんてこった……賢者って……」
額に手を当ててカルロが呟く。
ごにょごにょと口の中で言う言葉は声にならない。
「ひどいよ。それじゃ、賢者の爺ちゃんのせいで、俺ら必要以上に仕事をやらされてたってこと?」
嫌そうにウォルターが確認する。
「その通り」
アデリシアは頷いた。
そして、ライアンはまだ終了していないので、再びそれに取り組まねばならないのだ。
「ほら、飲みたくもなるでしょう?」
アデリシアが目を眇めてカルロとウォルターを見遣ると、二人とも深く頷いた。
ウォルターが側に果実酒のボトルを引き寄せて、空いたグラスに並々と注ぐ。
三人は持ち上げたグラスを掲げて、やりきれない思いで果実酒を呷ったのだった。
爺ちゃん……。




