宴の始末
「珍しい。皆、荒れてますね」
果実酒の瓶が空いたのを見計らってか、シルヴァールが新しい酒を手に近づいてきた。
「シルヴァール副団長。聞いてくださいよ、賢者の嫌がらせ酷いんですよ」
カルロがシルヴァールへと詰め寄る。
普段、動揺することの少ないカルロが荒れている図はある意味貴重だ。
「何が酷いんですか?」
「だから書類ですよ!きちんと並べてたのにぐちゃぐちゃにされたって」
「ああ、その事ですか」
わかっている、とあっさりと告げたシルヴァールの様子に府が落ちないのか、カルロは聞き返した。
「最初から気付いてたんですか?」
シルヴァールは首肯する。
「カルロ、団長が書類をやらない時は誰が執務室を取り仕切っていると思ってるんですか」
「……副団長です」
「ええ、その通りです。私が王都を出る直前まで仕上げていた書類も一番下から出てきましたからね。大体予想はつく」
決裁済のものと未決裁のものと分けて置いていたものも纏めて天井から降ってきたのだ。嫌でも気付く。
その事に誰よりも早く気づいたのはシルヴァール、そしてアデリシアだったのだろう。だが、皆の士気が落ちることを気にしてか何も言わなかったのだ。
シルヴァールはグラスの中身をゆらゆらと揺らした。うっすらと笑っているのに、もはや諦めの境地といった雰囲気を漂わせている。そこに見え隠れするのは疲労の色だ。
「ほらほら、あの人が絡むと飲みたくなるでしょ~」
アデリシアは色々と溜め込んでいることがあるようで、酒が入った途端にそれを解放するかのように陽気だ。
ウォルターにしては珍しく黙ったまま、シルヴァールから新しい酒瓶を受け取って開栓した。空いた二人のグラスに中身を注ぐ。そして、自分のものへも注ぐ。
あえて何も言うまい、と男達は視線のみで会話する。
大きくため息をついた後で三人はグラスを掲げてから、中身を飲み干した。
第三騎士団にアデリシアは所属している。
アデリシアには縁の切れない賢者がついてまわる。
そして、それはつまり第三騎士団に賢者がついてまわるということなのだ……度の過ぎた悪戯と共に。
愛弟子を奪われたことを恨む賢者の小さな嫌がらせは、実はアデリシアの預かり知らぬ所でも仕掛けられていた。
団員も巻き添えで被害を被っていたが、1番の矛先はライアンだった。厩舎で桶に入っていた水が突然吹き上がったり、練習場で突風や雷が襲ったりしていたのである。咄嗟の際の訓練じゃーと嘯いて、追おうとする者へは落とし穴を仕掛けて賢者は逃げる。しかも逃げ足は異様に早い。そしてその苦情の行き先はアデリシアへ、という訳にもいかず何処にもない。
天位を得た代償、と団員には説明がなされ、アデリシアには何も言わないでおこうという協定が暗に結ばれていたのである。
「ねえ、もしかして団長がアディに必要以上に関わらないようにしてたのってさ」
ウォルターがぽつりと呟く。
「実は賢者の爺ちゃんのせいなんじゃね?これ以上酷くならないようにって」
「余計な事言うな、ウォルター」
カルロが素早く咎める。
「そうですよ、何処で聞いているかわからないですからね」
首を降るシルヴァールの様子に不安を覚えて、ウォルターは辺りを見回す。
「なんだ、俺がどうかしたか?」
声が聞こえていたのか、ライアンが近付いて来た。
「いや、爺ちゃんのことでちょっと」
カルロはウォルターから瓶を奪い取って、ライアンの杯へ追加分を注ぐ。
「色々と……お疲れ様です」
「うん?」
「今日は水流に襲われなくて良かったですね」
カルロが呟けば、即座に思い当たったのだろう。ライアンのこめかみにびきりと筋が浮き上がる。
「滅多な事は言うもんじゃないぞ」
心無しか頬が引き攣るのは、これからまだ片付けなければならない書類があるからか。
それとも噂話を賢者に聞かれて報復でも受けた事があるのだろうか。
ライアンは深々と溜息を吐く。
「既に諦めてる。これも修行だ」
「いや、仕事でしょ」
すぱりとシルヴァールが切り捨てる。
「そもそも溜めなければいいだけの話です」
苦手な事務仕事を溜めなければ、賢者に目を付けられて送り付けられはしなかっただろう。
至極当然のシルヴァールの意見にカルロは苦笑いを浮かべる。
対するライアンは撃沈だ。
杯を呷るだけで言葉もない。
「まあ、団長、飲みなよ」
ウォルターはライアンの肩をぽんぽんと叩いて、グラスに酒を追加してやった。
「あの」
マイカの護衛の一人が声をかけてくる。ライアンは振り返った。
「今日はありがとうございます。我々まで呼ばれてしまいましてすみません」
サルエルと名乗った護衛は礼を述べた。
「いや、護衛の任は気にせずに楽しんで貰えたらと思う。この館で滅多な事はないと約束する」
サルエルの手のグラスが酒ではないことに目を留めて、ライアンは言う。
「そう仰って頂けるのは嬉しいのですが、仕事ですし。それに朝の事もありますしね」
なかなか気が抜けない、とサルエルは続ける。
朝の事は直接は見ていないが報告を受けている。ジョルジュがマイカと護衛に挑みかかろうとしたというのだ。
アデリシアが直ぐに制止したとのことで、一触即発の事態は免れたと聞いている。
「朝の武人はそれなりの方ですか?あの大剣の持ち主は。気迫が凄かった」
「ああ、あれは騎士団団長の一人だ」
「それは残念。マイカ様の許しがあったなら、是非手合わせをお願いしたかった」
なかなかあんな好機はないだろうに、とサルエルは残念そうだ。国を跨いで剣を交えることは滅多にない。それこそ戦でもない限り。
ライアンは片眉をあげてサルエルを観察する。
サルエルとて、王族の護衛の任に就くくらいだ。隣国ではそれなりの地位、技量であるはずだ。
「是非ともそれ、譲りたかったですけど……?」
無理矢理対峙させられたアデリシアが小さく呟く。
誰ともなく苦笑が漏れた。
アデリシアは俯き加減だった顔をがばりとあげた。
「手合わせといえば、そういえば私も聞いてみたかったんです。イルトさん、魔術師同士語りませんか」
「アデリシア殿。是非」
イルトが頷く。側のマイカが微笑んだ。
「イルトは優秀だぞ」
「そうですよね!兄様が一緒に連れるくらいだもの」
「連れるというか何というか。腐れ縁なのですよ。よくこうやって無理矢理呼び出されてますね」
「イルト?」
やんわりとマイカは窘める。
「こんな感じにですよ。強引なんです」
イルトは肩を竦めてみせる。
「兄様が手放さないとは……イルトさん、いえ、イルト様はなかなかの魔術師であるとお見受けします!。転移術も素早く陣を描いててとても綺麗でした!」
アデリシアは力説する。
この邸宅から逃げ出した時に受けた術は距離も正確だった。
魔術師の技量は描く陣の緻密さ、迅速さが問われるのだ。転移術のように高位であるほど編まれる術式は複雑になる。
「いやいや、様付けは止してください」
参ったな、とイルトが頭を掻く。照れているのかほんのり頬が赤い。
「ご謙遜を。あれは素晴らしかったと思います。差し支えなければ教えてください。イルト様の得意な系統は?」
「ああ、私は土と風ですよ。確か貴女は風でしたね?半分はアデリシア殿と同じですね」
「二つ?」
「ええ、そうです」
「二つも……凄いです」
アデリシアは感心した。
得意分野を聞かれて答えるのは普通は一つだ。それを簡単に二つであるとイルトは簡単に言う。
風は自由。奔放に切り裂き巻き上げるもの。
土は堅牢。重厚にして押し固め守るもの。
風は攻撃や補助もあるが、土は防御に関する魔術が多い。どちらにも特化するならば、攻守共に優れた人ということだ。
順当に考えても、両方を使いこなすならば天位クラス同等、もしかしたらその上の可能性もある。
馬がないことから、マイカ達四人が魔術によって此方へ来たのは明らかだ。四人同時に隣国から運べるほどの魔力保有量。それにアデリシアを加えた五人でもファランドールへ跳べると踏んでマイカが連れてきたのならば、賢者にも届くかもしれない。
マイカの護衛の剣士が二人で前衛と後衛ならば、残る魔術師が守護に当たると考えてまず間違いない。
イルトが防御を行う時には、風と土の複合魔術でもって守護陣を組んだりするのだろうか。魔術師としては興味が尽きない。純粋に他の術を見て見たい、とアデリシアは思った。
「いいなぁ。機会があったら両方を是非見せてくださいね」
「機会があればね。しかし、私からすれば風を極めた上での天位でしょう。アデリシア殿の方が凄いと思いますけどね。しかもあの賢者フレデリクの直弟子だとか」
「あはは……私はともかく師匠は有名ですから」
アデリシアは笑って誤魔化す。
何と言っても国一番の賢者だ。名だけは他国にも轟く。
老賢者の正体を知らない人には、どんな人か詳しく教えて欲しいとか、是非とも会いたいとか良く言われる事が多いのだが、いつも返答に困る。
「あの人、変な噂話をすると呼んでないのに来ちゃったり悪戯したりする困った人なんです。だから、あの人の事はあまり話さない方が……ね?」
此処にも書類送り付けたりしてますし、とアデリシアは説明して興味を逸らそうとした。
「へえ……もしかしたらお会い出来たりします?」
イルトの目が異様に輝いた。
しまった。案外この人も怖いもの知らずなのか。
アデリシアは内心焦った。
魔術師には探究心が並外れた者が多い。だからこそ、魔術が発展するのだが。
イルトには、制止は逆効果だったようだ。
逆に興味を持ってしまったようである。
アデリシアは身の安全を図るため、イルトを徹底的にもてなすことにした。つまり、余計な事を考えないよう強制的に潰すことに決定したのである。
「ささ、あの人の事なんかより、こちらの美味しいお酒を一緒に飲みましょう?私、お近づきの印にお注ぎします」
側にあった酒瓶を引っ掴み、アデリシアは艶然と笑みかける。
今持っている杯を空けろ、と目で語る。
雰囲気を読んだのか、マイカがグラスを空にする。イルトも主に習った。
「さ、どうぞ」
マイカ、イルトの順に並々と酒を杯へ注ぎ入れる。
二人が口を付けても瓶は握ったまま心持ち傾けて、次はまだ?と悲しそうに目で問いかける。
仕方なく再び空けると、間髪置かずにアデリシアは再び注ぐ。
それを何度か繰り返した頃か。
「ーーおい、誰か止めてこい」
ライアンが溜息を付いて団員を見回した。
宴の主催者として放置するわけにもいくまい。
アデリシアが、あの状態になっていると周りは確実に潰される。注ぎ上手、潰し上手なのだ。にっこりと笑って相手の退路を断ち、断ろうとすると悲しそうな顔をする。相手が気を遣ってグラスを傾けたら容赦なく酒を注ぎ続け、相手を酔い潰すことに専念する。
宴席で、アデリシアを潰して良からぬ事をしようと考える輩にはよく発動する技だ。
賢者相手に鍛えられた技だと言うが、効果は抜群だ。
「団長が行けばいいじゃん?」
ウォルターは口を尖らせる。カルロも頷く。
「面倒だから俺も嫌だ」
「俺が行きたいのは山々だが……俺はなんか避けられてるんだよ」
ライアンは浮かぬ顔だ。
「確かにそうですね」
シルヴァールが同意すると、ライアンの眉間にぎゅっと皺が寄った。
本当、自分から地雷踏みたがるよね、団長は。
他人に言われたくないのならば自分から言わなきゃいいのに、とウォルターはライアンを呆れながら見遣る。
「では、私が行きましょう」
すっと歩み出ながら、シルヴァールは手の平に僅かな氷の結晶を精製した。幾つかの結晶をアデリシアの首元に背後から押し当てる。
「ひゃんっ!」
あまりの冷たさにびくりとして、アデリシアの身体が跳ね上がった。
「やんっ、な、何をするんですか!副団長!」
思わず驚いた拍子に、アデリシアは瓶を落としそうになって慌てて抱え直した。落とす前にと自ら机に置く。
瓶を置くために身を屈めたせいで、アデリシアの体温に触れて溶けた氷は水滴となって、背筋を伝った。一筋はそのまま背に消える。もう一筋は鎖骨を伝って胸元へと吸い込まれて行った。
水の跡が蝋燭の明かりに淡く燦めいて、どことなくしどけない様子だ。それを目撃した男達は知らず息を飲んだ。
「も、もう……やだ……」
アデリシアは冷たくなって濡れた首元から胸元をゆっくりと指で撫でて拭った。結晶もすでに溶けて存在しないが、コルセットの間に入っていった雫にはもう手は届かない。襟足の部分の後れ毛が僅かに湿っていて、アデリシアはそれも手で撫でて拭った。
男達の視線は首元に釘付けだ。
「すみません、アディ。ちょっと貴女が酔っているみたいだったので……酔いざましです」
シルヴァールはしれっとして笑みかける。
言われてアデリシアは真顔になった。
こんな時に愛称呼びとか、何。
意味もなくこのような事をする人ではない。
「ええと、副団長、その心は?」
「気付きませんか?相手はもう限界間近なので、貴女が止めを刺す前に気付いて貰おうかと思って」
言われて見遣れば、酒を供していた二人の顔がかなり赤い。何故かこちらを凝視している。
マイカはまだまだ余裕がありそうだが、イルトがかなりの危険域の赤さだ。
「やだ私ったら。すみません!」
アデリシアは慌てて頭を下げた。
そのやり取りの最中、ライアンはメイドへ水を持ってくるように指示した。侍従に寝室の用意が整っているかを手早く確認する。
「駄目、です……。まだマイカ様の側を離れるわけにはい……いかな、い……」
イルトは畏まったが語尾は少し怪しい。
メイドから渡されたコップの中の水を一気に飲み干したが、足元はふらついている状態だ。
「すみません、兄様、私のせいです」
アデリシアは恐縮して頭を下げる。
「いや、お前が気にすることではないよ。勧められるまま飲んだのは私達だからね。私もそろそろお暇しよう。イルト、だからお前ももう休め」
マイカは護衛達に目配せした。
直ぐに頷いて近寄って来る。サルエルがイルトの腕を取って支える。
「中座して済まない。色々と楽しませて貰った。ありがとう、ライアン殿」
「それならいいが。別に礼には及ばない」
ライアンは侍従を呼んだ。部屋へ先導するように伝える。
そのまま去りかけて、マイカは振り返った。
「アデリシア、朝倒れたんだからね。お前も早くお休み」
「はい、兄様」
アデリシアは申し訳なさそうに俯いた。
部屋から四人の姿が消えると、部屋は静まり返っていた。
「アディー?潰すのこれで何人目?ねえ、反省してる?」
ウォルターがじと目で睨んでくる。
「ごめんなさい。つい。許して?」
アデリシアは苦笑いして上目遣いに謝罪する。
「つい、じゃないよ」
「だって、イルト様、無謀にも師匠を呼びたがってたから、それを阻止しようと思って」
アデリシアが言い訳をする。
「確かに関わり合いは出来るだけ避けたいがな。限度ってものがあるだろうに。うちの騎士団のノリをそのまま客人に持ち込んでどうする」
ライアンが指摘する。
「そうですよ。流石にやり過ぎはよくないですよ」
シルヴァールが続けて叱責する。
「はい。すみません……」
言われたアデリシアは身体を縮こまらせた。
「まあ、マイカ殿のいうように少し酔っていたんだろう。今日は早目に休むといい」
ライアンは目を眇めた。
「でもカルロとウォルターを送り届けなきゃ」
ライアンの言葉にアデリシアは反発する。
「お前酔っているのに、大丈夫なのか。別に明日でもいいんだぞ。二人の部屋なら用意させる。余ってるしな」
これには逆にカルロとウォルターが慌てた。
「団長、これ以上、此方にご迷惑をかけられません」
「そうだよ。ちゃんと帰るよ俺達」
半分惜しい気もするが、残る半分は書類から解放されたいという気もあった。
おそらくライアンはこの後書類と再格闘のはずだからだ。何が何でもあの家令の指示による再戦は避けたい。
「それに、そんなに騎士団も空けられないでしょう?」
カルロがシルヴァールを見遣って言うと、彼も頷く。
「確かに。だが」
「二人を送るのは問題ありません。私は注いだだけでそんなに飲んでいませんから」
注いだだけとアデリシアは簡単に言うが、潰した、の間違いだ。言葉が間違っていると内心思うが懸命な団員達は口にしない。自分も潰されたくないからである。
「それならいい。じゃ二人の用意が出来次第、送り届けてやってくれ。俺はマイカ殿達の様子を見てくる」
「はい、分かりました」
ライアンの姿を見送りながら、アデリシアはほっと息をついた。
自然に話してしまった。
これも侯爵夫人に叱られるのだろうか。
肩を竦めながら、これくらいは大丈夫よね、とアデリシアは呟いたのだった。
遅くなってすみません。
中学時代の友人が病で亡くなりまして、色々と忙しくしてました。
冥福を、祈ります。




