逃げるが勝ち
夕刻、アデリシア達が屋敷に戻り、客間の扉を開くと書類を片付ける作業は未だ続けられていた。部屋の許容量のせいか、戻すべき書類は隣室へと積み直されていた。
それでも大分数は減ってきていた。三人の手による成果か。
代わりに、ライアンがやるべき仕事は通告通り積まれて増えていた。色々と疲弊した様子でライアンは席につく。
「アデリシア」
名残惜しそうにマイカが手を掴む。
「兄様?」
「私の相手をしてくれないのかい」
「駄目よ。仕事を手伝わなきゃ」
「私を放っておくなんて、酷いな」
マイカはアデリシアを抱き締めた。
抱き締めながら、視線をくれてやれば射殺しそうな勢いでライアンはこちらを見ている。街中やその道中、散々煽ったから尚更だ。しかし、ライアンは何か言いたそうにしてはいたものの、何も言っては来なかった。
アデリシアはマイカの腕をとんとんと叩きながら、腕を外そうとする。
「兄様、聞き分けて?お願い」
「仕事なんてなければいいのにな」
「しょうがないもの。ね、お願いだから」
「寂しいな」
ぎゅっと抱き締めて、アデリシアに頬を寄せる。髪へと口付けを落とせば、それを見ていたのだろう。さらにライアンの眉間に強く皺が寄った。憮然とした表情ながらもライアンはペンを手に取って走らせ始めた。
気になるなら言えばいいのに。何故言わない。言えばその先を問うのに。
下を向いてしまった様子を見て、マイカはこれ以上は無理だと判断した。
ふ、と笑ってマイカはアデリシアを解放する。
「じゃまた後でね」
「はい」
苦笑して見送ると、アデリシアは買ってきた差し入れを机に置いて、未決裁のものへと手を伸ばした。
しばらく作業を続けた頃合いか。
ちょっと休憩、とカルロが席を立つ。
その際、カルロは周りに気づかれないようにアデリシアへと目配せをしてきた。
平静を装って目を伏せて応じる。書類を手に抱えながら、アデリシアは追加の分を床から拾いあげる。
それを机に置いて、アデリシアはふうと息をついた。
「何か飲み物でも持って来るわね」
「アデリシア様、それはメイドが」
家令が引き留める。
いいの、とアデリシアは制止した。
「ずっと休ませてもらっていたもの。私が行って皆の分もお願いしてくるわ」
そこまで言われては引き下がらざるを得ない。黙って家令は頷いた。
静かに扉を閉めて、アデリシアは客間を後にする。
廊下を進んだ先に、背の高い橙色の短髪が目に入った。
「カルロ」
「ああ、呼び出してすまない」
「ううん、いいの。何かあった?」
「いや、今回の事、俺は碌に知らないなって思ってさ。人から聞いた話ばっかりだから、帰る前にアデリシアからも直接話を聞きたくて」
首の後ろを掻きながらカルロは話す。
先入観は持ちたくないのだ、とカルロは言う。公平性を大事にするカルロらしい意見だ。
「そうなんだ……うん、いいよ。何でも聞いて」
「お前、あのマイカって従兄弟のとこに行くつもりだったんだよな」
あのキラキラしい奴、と言われ、アデリシアは首を傾げる。
カルロからするとキラキラしいのだろうか?
「うん、他に頼れる所もなかったからね」
他家へ嫁いだ姉達に頼ることもできず、かといって親元には帰れないし、とアデリシアは口元を歪める。
「お前さあ、そういう時はまず俺等を頼れよ。なんの為の仲間だよ」
カルロは嘆息する。
「だって……お父様に退団届をもう出しといたって言われて、もう縁が切れたと思ったの。それに、この国にいる限りお父様の手はかかるのはわかってたし、すぐに嫁にとか花嫁修業だとかに行けって言われたから、もういいやって思ったの」
「だから、ファランドールに、か」
アデリシアは頷いた。
「まあ、団長があれじゃあなあ」
カルロは気持ちはわかる、と頷く。
絵に描いたような堅物。
恐らく、団員を頼ったとしても、仲間思いの団長なら横から口を出してくるに決まっている。だから、皆にはあえて相談はしなかったのだ。
ライアンの事だ。直接救いを求めたならば、上司としての立場で手は貸してくれたはずだ。あくまで部下に対する手助けとして。しかし、それでは足りない。それではアデリシアの望みは決して叶わない。それ故の国外逃亡計画だった。
「そういやお前、まだあっちに行こうとか考えてるのか?賢者殿も気にしていたし……なんだか気になってな」
既にライアンの許嫁であると自分は知らされている。そのままでいるなら、国を出る必要自体ないだろう。アデリシアの望みそのままなのだから。しかし、あえてそこを聞いてくる辺りカルロは鋭い。
「今はちょっと……まだわからない。団長次第かな。特に兄様が拘っててね……」
アデリシアはマイカの母の事を思い出しながらカルロに説明した。
幼いながらも覚えているのは、とても綺麗な人だったということだ。ただ、叔母は国王弟の側室として迎えられたとはいえ、マイカ共々、常に命の危険に晒されていた。護衛がついていなかったわけではない。だが、その目を掻い潜って、父の正妻から幾度となく命を狙われていた。世継問題の渦中にあった幼いマイカは尚更だった。必死に剣の腕や身体を鍛えていたのは命を守るため、知識を詰め込んだのは盛られる毒薬や悪意に素早く気づいて逃れるため。ずっとマイカは怯える日々を過ごしていた。
そんな幼少期を送ったお蔭か、マイカは人に二心あること自体をいたく嫌っている。マイカは二人の妻を持つ父の存在も側室という母の立場も良くは思っていないことをアデリシアは知っている。それ故に、愛ある結婚に拘るのだ。
気持ちはわからなくもない。
アデリシアとて、愛する人を誰かと共有するのは心情的に無理だ。たからこそ、ライアンに国王承認済みの婚約者がいると聞いて、もう側には居られない、と思ったのだ。
「この策略だって効果があるかどうかなんてわからない。けど……団長が私を気に掛けてくれているのは凄く嬉しくて、でも慣れなくて少し戸惑っちゃうの」
レスティア様には頭が上がらないね、と寂しそうにアデリシアは笑った。
今までは自分が何をしようとライアンには完全に流されていて関心すら持ってもらえなかった。せいぜい妹扱い止まり。それが今や射殺しそうな目で追われるとは思わなかった。想像すら出来なかった事だ。
「アデリシア……あんまり無理すんなよな」
カルロはアデリシアの頭をぽんぽんと叩いて慰める。
「うん……ありがと、カルロ。優しすぎて泣いちゃいそう」
アデリシアが涙を滲ませてしまい、目元を拭う。
カルロは腕を伸ばして、アデリシアを肩へと寄り掛からせる。そっと気遣うように側にいてくれる。
手馴れている、とアデリシアは思った。
流石に六人兄弟の三番目ともなれば、弟妹の面倒をよく見ているからだろう。
「俺の胸で良ければいつでも貸してやるんだがな」
「そこはやっぱり団長じゃないと」
「ふん、言ってろ」
くすくすと笑うアデリシアに、カルロはそっと額を小突く。
「ところで全然気付いてないと思うから言うが」
カルロは声を潜めた。
「団長が見てるぞ」
「え」
「馬鹿、いきなり動くな。曲がり角の向こうにチラッと団長の服が見えたんだ。たぶん間違いない。気配もするし」
カルロに言われてアデリシアは動揺する。
「な、なんで?」
「お前を追って来たんだろ。さっきも凄い見てたしな」
「どうしよう。どうしたら良い?レスティア様には口聞いちゃダメって言われてるのに」
「というか、団長が隠れてるのがそもそもおかしい。普通に出てくりゃいいのに、何故隠れる。お前、なんかしたか?」
「ええと、隣国に逃げ出そうとしたことかな」
「それは今更だろ。他になんかないか?直近で」
「えー、今日一度もまともに団長と話してないことかな。街でも馬車の中でも団長が話そうとする度に兄様が口出してきて、腕を組んだりしてきて、全然話さなかったんだよね」
「正にそれだろうが」
カルロは深々と溜息をついた。
街中と行き帰りとすべて合わせて何刻あったと思っているのだ。焦れて当然だ。
「どうしよう、カルロ。ダメだった?全部レスティア様の指示なんだけど」
アデリシアは困り果ててカルロに縋り付いた。
だから、それもだろうが。
カルロは額に手を当てて天井を仰ぎ見た。
団長が焦れる気持ちもわかる。話したいのに話せない状況。自分と口を利かずに長時間目の前で男といちゃつかれたら、自分の彼女ではなくても苛々するだろう。従兄弟とはいえども男だ。しかもアデリシアを連れ去ろうとした前科があるのだから。
「ん?それって……」
そこで、カルロはたと気付いてしまった。頬が引き攣る。
やばい。俺もかよ。
ライアンの目には自分以外の男と親しく話すアデリシア、の構図が出来上がっているのだろうか。今、現在進行形で。
参加しないと言ったはずなのに、茶番に巻き込まれているのはどうした事か。
「アデリシア、お前さ、ここに来てから団長とまともに話してないんだよな」
「うん。そう」
「俺は何もしないと言ったはずなんだがな……。しょうがない。アデリシアちょっと我慢してろよ」
「え」
言ったが早いか、カルロはアデリシアを腕の中に閉じ込めた。
「ちょっと、カルロ」
アデリシアが慌てる。
身を屈めて、彼女の肩に頭を預けるようにしてカルロは囁く。
「大人しくしてろ、多分これで出てくる」
「って、団長が?」
「そう」
王族だと気が引けても、部下の団員相手ならそりゃもう遠慮なく牽制出来るはずだ。
「ええっ、ちょっと困るんだけど!今出て来られても何話していいかわからないのに!」
アデリシアは必死に小さな声でカルロに救いを求める。が、時は既に遅かった。
「ーーカルロ、アデリシア」
低い声が通路に響いた。
ライアンだった。声が硬い。
わかってはいても、アデリシアがびくりとしてしまうのは後ろめたいという気持ちがあるからか。
「ここで何をしてる」
ゆらり、とライアンの姿が現れる。
殺気まではいかなくても剣呑な雰囲気を纏っている。
「カルロ、どうしよう」
小さな声で言いながら、アデリシアはカルロに縋り付く。
だからそれは逆効果だ、アデリシア。更に煽ってどうする。
必死なアデリシアは気付かない。半ば呆れながら、カルロはアデリシアの肩口から顔をあげた。すぐに睨むようなライアンの目と合い、これは説得は無理だなと悟る。
何事も全力で取り組め。
第三騎士団のモットーだ。こうなったならば、全力で楽しんで取り組むしかない。
「団長、今いい所だから邪魔しないでくれ」
「カルロ!?」
「おい」
驚いたアデリシアとライアンの声が重なる。
「ちょっとカルロ」
「隣国にやってしまうのはやはり惜しいからな。今じっくり話していたところだ」
なんてことを言い出すのか、とアデリシアは気が気ではない。
「わ、私、飲み物の手配に行くんだったわ!早くいかなきゃ!カルロ、ほらどいて!」
引き攣る顔に笑みを貼り付かせながら、全力でアデリシアはカルロを押しやる。が、びくともしない。
「こ、この!離しなさいってば!」
何故無駄に怪力なのか。
アデリシアはドレスの下で秘かにカルロの足を踏みつける。ぎろりと睨まれたが、ライアンに比べればまったく恐くない。
「カルロ?」
藻掻くアデリシアの様子をみかねたのか、ライアンがカルロの腕を取って捻り上げた。
瞬時に解放されて、アデリシアは腕の中から逃れる。ライアンと目が合った。何かを言いたげなライアンの表情にアデリシアは戸惑う。
このまま留まれば、会話せざるを得ないだろう。
ライアンと話したい気持ちはあるが、侯爵夫人との約束が脳裏に蘇る。
喋ったら駄目、なのだ。
「あ……の……」
一歩二歩と後退る。
ここは逃げるが勝ち、だ。
アデリシアは踵を返して一目散に駆け出した。
「アデリシア!」
ライアンの呼ぶ声が背後から投げ掛けられたが、勿論止まることなく無視してアデリシアは走った。
「……団長、痛いんで離してくれます?」
言いながら腕に力を込めると、案外簡単に外れたのでカルロは首を傾げる。
「団長?」
「また、逃げられた……」
小さな呟きがライアンから漏れる。
アデリシアに逃げられたことが思いの外ショックだったらしい。
無理もない、とカルロは苦笑する。
今までのアデリシアなら、団長に呼ばれる前に側にいた。ライアンが声をかけたなら、何はさておき直ぐに駆けつけていた。
ところが今は、顔を見た途端猛然と逃げ出す始末。
カルロは肩を落としたライアンを見遣った。しかし、団長にかける言葉は最早もたない。
『だって、団長、こういうの苦手でしょう?』
そう言いながら、アデリシアは団長が最低限の決裁で済むようにシルヴァールと共に騎士団の書類を捌いていた。
ライアンに気付かれずともアデリシアは自ら進んで手伝っていたので、今まではあそこまで溜まったりする事がなかったのだ。シルヴァールが忙しくてなかなか手を着けられなかったこともあるが、それがアデリシアが居なくなった途端にあの山だ。
騎士団本部へ事務員の派遣を要請することも出来るだろうが、毎度呼んでいたら流石に呆れられるだろう。見放されたら最後だ。書類の受理すらして貰えなくなるだろう。
アデリシアが居なくなったら、うちの騎士団は別の意味で危ないかもしれない。
カルロは嘆息した。
今回ライアンは思い知っただろうが、知らない所でアデリシアに助けられていたことにきちんと気付いてそれに感謝すべきである。団員の一人として、書類捌きを手伝った自分も今回心底思い知った。
「あーあ、行っちゃったか。しょうがないから部屋に戻って団長が溜めた書類を片付けるとしますか」
カルロがわざとらしく言うと、ライアンの眉間に皺が寄った。しかも深い。
今まで黙って享受出来ていた幸運に、多大なる感謝と反省をライアンはすべきである。
そして、我々団員の苦労も思い知るべきだとカルロは思った。
これくらいの意趣返しは許されるだろう。
ライアンを残したまま、カルロはその場を立ち去ったのだった。
お読みいただきましてありがとうございます。
遅れてすみません。
書いてたらキリが悪く量が増えました。
切らずにこのまま投下します。




