一対多数
午餐と言う名の作戦会議を終えて扉を開けた途端、アデリシアに一斉に視線が集中した。
恐らくは妬み半分、羨ましいという気持ち半分の視線だ。
強い視線に一瞬たじろいたが、そのまま中に入り書類を手に集め出すとすぐに自分への関心は散らばっていった。
しかし、その中でもまだじっくりと見ているという気配が伝わってくる。ライアンだ。
……もう、いい加減見ないで欲しいんだけど。
内心冷や汗だ。
引き攣りそうになる口元に笑みを這わせながら、気付かない振りで集めた書類を積み上げていく。
『いいこと、アデリシア。声をかけられても絶対にライアンと話しちゃ駄目よ。はいかいいえくらいならいいけど、会話はしちゃ駄目』
扇子をくゆらせながら語るレスティアの顔が脳裏に浮かぶ。笑っているのに目が真剣だった。
『これはお願いじゃなくてお義母様からの命令。聞いてくれるわね?』
あの、お義母様、貴方の息子さんのせいでもう挫けそうです。
絶対に駄目、と言われているのに、ライアンから突き刺さる視線が痛すぎて無視し辛い。居た堪れない。
アデリシアが困り果てて家令を見ると、状況をすぐに理解したようだ。小さく嘆息する。
「まだ余裕があるようですね」
家令は従僕に命じて、ライアンの前に書類をさらに積み上げさせた。机に肘をついて額に手を当てるライアンから呻き声が漏れる。
視線が強制的に外れる。
良かったとアデリシアは胸を撫で下ろした。
その時、ばん、と勢い良く扉が開いた。
「アデリシア、街に行こう!」
入ってきたのはマイカだ。
「兄様?」
「アデリシア、外に遊びに行こう!何でも買ってあげるよ!だってせっかくこの国に来たのに、何も見ていないんだよ!勿体無いじゃないか」
「ちょっと兄様」
アデリシアは非難の色を滲ませた。
この書類を放り出して外に行けと?無理だ。午餐でさえ、睨まれたのに。
さあ行こう、すぐ行こう!と言うマイカの後ろでは、護衛がこれでもかというほど眉間に皺を寄せて首を横に振っている。
確かに昨夜遅くに着いたのだから、街を見る暇などなかったのは当然だ。というか、こちらに来たついでに、思い切り羽根を伸ばそうという動機が透けて見える。
「ーーそれには承服しかねる」
ライアンが重々しく告げた。
確かにそうくるだろうなとアデリシアは思った。
ライアンは侯爵夫人からの指令を知らない。ここで、アデリシアとマイカが二人で出掛けて、そのまま隣国へ去ってしまってもおかしくないと考えるのが普通だ。
「なんで駄目なんだい?気になるなら、ライアン殿も一緒に来ればいいじゃないか」
「しかし」
「っと、無理か、その様子では。大変そうだねぇ」
わざとらしい。わかっていて言うとは意地が悪い。
アデリシアはマイカを睨んだ。面白がっているのが丸わかりだ。
「僕行っても」
いい、と言いかけたウォルターはライアンに鋭く睨まれて口を閉ざした。
団長怖え、と小さく聞こえたのは気のせいではないはずだ。
「今はどれくらい進んだ?」
ライアンは家令に尋ねる。
「ざっくりと判断して、3分の1程度でしょうか」
まだ、半分に届かないのかと周囲の騎士達は肩を落とす。
ライアンは思案した。
家令に付いて行かせるか。しかし、厳しいとはいえここまで効率よく書類を片付けられているのは彼の采配のお蔭だ。出来れば陣頭指揮を続けて欲しい。
では、他の団員では?
カルロ、ウォルターではマイカとその護衛達を抑えられるか不安が残る。シルヴァールならばと思うが、自分より早く緊急の知らせに気付いていたのだ。その分、あまり寝ていられなかっただろう。体調に不安が残る。
「この領地に一番詳しいのは俺だ。俺が案内するのがいいだろう」
しょうがない、とライアンは立ち上がった。
「団長」
「ライアン」
口々に咎める声が上がる。
「どうせもう皆飽きてきた頃だろう。仮眠でも休憩でもしていたらいい」
溜息にも似た歓声が上がる。
「しかし、このまま完全放置も困りますね」
家令の言葉に、湧いた雰囲気が瞬時に凍りつく。
「ではこうしたら如何でしょうか。皆様は少し休憩を致しましょう。それから、ライアン様の手を必要としない部分のみを無理をしない程度で片付けるというのはどうです?ライアン様は勿論帰ってから再開という事で」
至極当然の提案に皆否やはなかった。
ライアンの分はしっかりと残しておくから行ってよし、と言ったのと同義だ。
僅かにライアンの眉根がひくついたのをアデリシアは見逃さなかった。
「まあ、大半が団長の決裁だしな」
カルロが書類を見遣って呟く。それならば、とシルヴァールも頷いた。
「俺は付いて行きたいけど……」
ウォルターは上目遣いでライアンを見るが、一瞥されただけで意見は封じられたようだ。
「では失礼して、馬車の用意をして参ります」
家令が優雅に一礼して去って行った。
扉が閉じられて家令の姿が見えなくなった後、残る皆が何故か安堵の息を漏らしたのは言うまでもなかった。
***
街に着いた一向は注目の的だった。
2日続けて紋章付きの馬車で乗り付けたせいだろうか。
宿屋での一件も広まっていたらしい。遠巻きにこちらを伺っているのがわかった。マイカが微笑んで手を振れば、周囲の女性から歓声が上がる。女性受けのいい顔をしている上に、あの振る舞いだ。周りも放っておかないのだろう。
しかし、微かに聞こえてくる声の内容が解せない。
「せっかく婚約者の方にドレスを贈ったのに」
「ライアン様、お労しい」
「あの綺麗な男の人は誰?あの人に盗られたの?」
「婚約者の方は昨日街に来た人だろう」
「どうして見ているだけなの」
「頑張って、ライアン様」
「隣の人にライアン様は負けちゃったの?」
「彼女を取り返して!」
決して負けてはいない。
……勝ってもいないが。
そして、取られてもいないのに取り返せるものか。
疑問、叱咤、激励その他様々な反応だ。特に情けない、という声が聞こえてくるのはなんとも言い難い。
皆、存外勝手に物をいうものだとライアンは歯噛みした。
ライアンや周りの様子に頓着せずに、マイカはアデリシアの手を引いて店へと入っては出るを繰り返していく。その度に買われたものと外野が増えている……ような気がする。
王族は噂されることに慣れているのか?
皮肉にもライアンを揶揄する言葉が多いからこそ、マイカには気にはならないのか。
ああ、くそ、また腕を組んだりして。
時折、耳元に囁くようにマイカがアデリシアに顔を近付けるものだから、引き剥がしたくなる。また唇が触れそうで、少なからず苛つきを覚える。
いや、あれは従兄弟なのだ、と自分に言い聞かせてライアンは深呼吸する。
なのに、どうも気になってしょうがない。
早く逃げろよ、とライアンは思う。
過去男に言い寄られた時、アデリシアは嫌がって逃げるか風で脅すかしていたのに、従兄弟ならば何もしないのだ。むしろ、気恥ずかしそうに微笑んでみせるのだ。
男相手で、アデリシアはあんな表情をしていた事があっただろうか。最早思い出せない。
それに、とライアンは思う。
馬車の中でもアデリシアとは何も話せなかった。
マイカがひっきりなしにアデリシアに話しかけており、自分が話す隙を与えなかったのだ。おまけに、ライアンには二人は仲良く話す恋人達、という雰囲気そのままの印象を受けた。
甘過ぎる雰囲気に耐え兼ねて、ライアンは馬車の中で仮眠を取ると宣言して目を閉じたのだ。ただし、目は瞑ってはいたものの、耳は研ぎ澄ましていた。
視界を閉ざした後でも、やはり雰囲気は甘かった。
目を閉じた分、声を潜めて話したり、くすくすと笑う声が耳についてしょうがなかった。
「おい、ライアン」
不意に背後から声をかけられる。殺気がないから気にはしていなかったのだが、先程までの強い視線は彼のものか。
「なんだ、お前か」
緊急の連絡を寄越した本屋の主、ハイドである。
「なんだじゃないぞ。せっかく俺が連絡してやったのに、未来の侯爵夫人がばっちり盗られてるじゃないか。何やってるんだ」
大きめの声でハイドが叫んだせいか、周囲も非難の目でこちらを見てくる。うんうんと一緒に頷かれても困るのだが。
敵が一気に増えた。味方は何処だ。
「なあ、ハイド?色々と否定したいことがあるんだが」
ライアンは眉間を押さえる。
「はあ?お前、余裕かましてる場合かよ。なんで離れたところで見ているだけなんだよ。とっとと行って取り返して来い」
「ちょっと待て。お前言いたい放題だな」
「だってそうだろうが」
「いや、だからあれは騎士団の団員なんだ。俺の部下で、隣はその従兄弟」
「はあ!?」
なんだそれは、とハイドが口を開ける。
「あの騎士団で、お前……部下に手を付けたのか?」
「全然違う!」
人聞きの悪い事を言わないで欲しい。
手を付けたわけではない。手で……少し肌に触れただけだ。
「だって、騎士団は女が少ないじゃないか」
「それはそうだが」
「じゃ、日がな一緒にいて手を付けた相手を従兄弟に盗られたのか」
「いやいやいや。ちょっと待て。だから全然違うぞ?」
話を聞け、とライアンはハイドの肩を掴む。
「どう違うんだ?だってあれはなあ。単なる従兄弟って感じにはまったく見えないぞ?」
男女の仲を疑うべきだ、とハイドは手で指し示す。
示された先には、恋人同士にも見紛う程仲良く腕組みをした男女がいる。
「皆もそう言ってるし。な?」
ハイドの呼びかけに周囲が強く頷いてみせる。一対多数。多数決では、決を取る前に既に完全に負けている。
まったく聞きたいのはこちらの方だ。
街中に一体どんな噂が飛び交っているのだ。
「……訳あって家で面倒見てるだけだ。余計な噂はするな」
「訳ねえ。どんな理由なんだか。ま、ライアンがそう言うならそういうことにしといてやってもいいが。従兄弟でも婚姻は可能なんだぞ?わかってるよな」
「知ってる」
「それならいいが。なんか手が必要なら連絡寄越せよ」
ハイドはライアンの背中をばしんと叩いて笑った。
「……ああ。ありがとう」
アデリシアの姿を見つめながらライアンは頷いた。
確かに、皆の言うように単なる従兄弟にしては仲が良すぎる気がする。二人がこのまま逃亡しないようにしなくては。
ライアンは気を引き締め直すのだった。
更新遅れてすみません……!
お読みいただきましてありがとうございますm(_ _)m
コメ、激励、心に響きます。泣きそうになりました。
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、頭痛にはちょっと負けそうになりましたがお届けします。




