06
門の上では弓をつがえた兵たちが黙り込んでいる。誰もがわかっているのだ。ここから先は、ただの小競り合いじゃない。
命を賭けるしかない、本当の戦だ。
「隊長……俺は残ります」
若い兵士が口を開いた。まだ少年の面影を残す顔だが、その瞳は揺らいでいなかった。
「俺もだ」
「最後まで付き合います」
次々に声が上がる。仲間たちはすでに覚悟を決めていた。
……ありがたい。こいつらがいるから、俺はまだ立てる。
外では魔王軍の太鼓の音が鳴り響いていた。
地鳴りのようなリズムが徐々に早くなり、巨人たちが全員前に出てくるのが見える。
その影が、門を覆い隠すように広がった。
「……来るぞ」
俺は剣を抜き、深く息を吸った。
逃げられない。俺たちが立ち塞がることでしか、市民を逃がす時間は稼げないのだ。
「いいか、恐れるな!
俺たちは死ぬために戦うんじゃない。生きて、明日を繋ぐために戦うんだ!」
声を張り上げた瞬間、兵たちの顔に炎が宿る。弓兵が弦を引き絞り、魔術師が詠唱を始める。鼓動が太鼓のように早くなる。
そして……巨人の咆哮と共に、魔王軍の突撃が始まった。
俺は再び、門を出る。
剣を握りながらふと上を見上げると、門の上に小さな金色の毛玉が見えた。
「……猫ちゃん?」
猫ちゃんだ。じっと俺の方を見て、まるで「行け」と言っているように尻尾を揺らしている。
こんな状況なのに、たか?」
「いや……猫がな」不思議と心が和んだ。
「隊長、どうかしまし
「ね、猫……ですか?」
「そうだ。俺は猫が好きなんだ。媚びない生き方、気まぐれな姿……いいだろう?」
部下がぽかんとした顔で俺を見る。
そりゃそうだ。今にも戦場に飛び込む直前だというのに猫談義。でも、だからこそ言っておきたかった。俺が夢見ているのは、でかい武勲でもなく、名誉でもなく……ただ小さな家で猫を飼うことなんだと。
猫ちゃんは壁の上からひらりと飛び降りた。
俺は思わず「危ない!」と声をあげたが、猫ちゃんはくるりと身をひねって美しく着地する。
そして、何事もなかったようにちょこんと座り、毛づくろいを始めた。
「……ほらな。猫ってのは強いんだ」
「隊長……」
「最後に猫を見れたんだ。俺は運がいい。きっとまだ戦える」
胸の奥がすこし軽くなる。死地に赴く覚悟が、妙に穏やかな決意に変わった。
正面を見る。敵も本気を出してきた。
中央には巨人が五人。まわりをオーガと獣人が固め、後ろには魔法を構える魔族たち。さっきみたいに奇襲でかき乱すことはできない。真正面からぶつかるしかない。
「隊長、どうしますか?」
「……やるしかない」
「逃げろとは言わないんですか?」
「俺ひとりなら、そうしたかもしれん。だが、お前らはどうだ?」
部下のひとりが口を開く。
「俺は残ります。隊長と一緒に戦いたい」
別の兵士が笑った。
「ええ、どうせ生き延びても、この国じゃ俺たち平民の扱いは変わりません。だったらここで、剣を振るって終わったほうがましです」
「俺もだ。隊長、あんたの背中を追ってきて後悔したことなんて一度もない」
「最後まで付き合います」
次々と声が上がる。俺は喉の奥が熱くなるのを感じた。
言い返せない……この国が腐っていることを、俺自身が一番わかっているからだ。
「……悪いな。本当は『そんなことはない』って言ってやるべきなんだろうが、俺には言えん」
「それでいいんです。隊長が嘘をつく人じゃないってことは、俺たちが一番知ってますから」
みんな、笑った。死地に向かうのに、なぜか笑える。その笑顔に力をもらう。
「よし……最後にもうひと暴れしてやるか」
「おう!」
俺たちは顔を見合わせ、そして一斉に駆けだした。巨人たちの影に向かって。
運命に挑むように。
巨人が大木を振り下ろす。
いや、あれはこん棒なんてものじゃない。まさに一本の大木だ。
俺は必死にかわす。だが、回避した先には槍を構えるオークの軍団。
さらに前方から飛来する火球。なんだこれは。地獄の無理ゲーかよ。
後ろを振り返ると、部下たちが次々と倒れていく。
すまない……俺がもっと強ければ。俺がもっと頼りになれば。
そのとき、俺の愛馬に火の玉が直撃した。
悲鳴をあげて、馬は前足を高く上げる。
俺はその背から身を跳ね飛ばした。
……わざとだ。
罪なき馬に俺の運命を背負わせる必要はない。せめて逃げろ。生き延びてくれ。
馬は森のほうへ駆け出していった。
「さて……もう俺たちだけですね」
「五人ですか」
「はは、まあ……こんなものですかね」
生き残った部下たちが俺のそばに集まる。その顔には諦めではなく、不思議な覚悟が宿っていた。
「隊長。俺たち、レオン隊長の部下で本当によかったと思います」
「俺もです。ここまで来れたのは隊長のおかげでした。本当に……ありがとうございました」
胸が締めつけられる。
俺なんかに感謝するな。まだ終わりじゃないんだ。
「まだ、死ぬと決まったわけじゃない!」
俺はそう叫んで鼓舞するが、その瞬間また巨人の棍棒が振り下ろされ、一人が逃げ遅れ潰された。
……何もできない。
くそ、俺にもっと力があれば。仲間を守れる力が、この腐った世界をぶち壊せる力が。
「……強さが欲しいにゃん?」
……え?今、声が……。
俺は足元を見下ろす。
そこには、あの金色の猫ちゃん。
丸い目でじっと俺を見上げ、ふわふわの尻尾を揺らしていた。
「……お前、今しゃべったか?」
「欲しいんでしょ? 強さ。みんなを守れる力。この世界を救う力。ぜ~んぶ、欲しいにゃん」
幻聴か? いや、目の前で確かに口が動いている。猫ちゃんが……しゃべってる。
「ああ、欲しい。欲しいさ!だが、どうせ無理なんだろう。お前は猫だからな」
「じゃあ、ぼくの下僕になるにゃん」
「え?」
猫ちゃんがにっこり笑った瞬間、俺の目の前に光の剣が浮かび上がった。
黄金に輝き、震えるほどの力を宿した剣。
「下僕になれば、その力を貸してあげるにゃん。どうするにゃん?」
……俺は死んだのか?
これは走馬灯か?
最後の幻にしては……出来すぎだ。
でも、いいじゃないか。
仲間を守れずに死ぬよりは。夢の中でも、力を掴んで戦いたい。
「……ああ、なってやるよ。下僕にでも、なんでもな」
俺は光の剣の柄を力いっぱい掴んだ。
その瞬間、熱と光が俺の身体を包み込み、何かが根本から書き換わっていく……。
「これで……勝てるのか?」
「わからないにゃん。でも、ぼくは下僕に力を与えたにゃん。そしてもうひとつ……勇者魔法、《がんばれ》発動にゃん!」
猫ちゃんがふわりと光を放ち、その輝きが俺の体へと流れ込んでくる。胸の奥から熱が広がり、手足の先まで駆け抜ける。
まるで全身が羽根のように軽い。……これはエンチャントか?
「おまえら、俺の後ろに隠れろ!」
俺は残った四人の部下に叫ぶ。
「わかりました!」
二人は迷いなく背中に身を寄せた。
直後、巨人の大木のようなこん棒が唸りを上げて振り下ろされる。
本来なら受け止めることなど不可能。
だが、俺にはもう退けない理由がある。部下がいる。猫ちゃんがいる。
「うおおおおっ!」
剣を構え、全力で受け止める……が、衝撃は来なかった。
代わりに、砕けたのは巨人のこん棒のほうだった。
「な、なんだと……?」
あまりの光景に言葉を失う。
そのまま剣を振り下ろすと、刃から光の斬撃が走り、目の前の魔族たちをまとめて両断した。
次々と剣を振るうたび、光刃が飛び、巨人も、オークも、獣人も、抵抗する暇すらなく倒れていく。
気がつけば、巨人はすでに二人倒れ、周囲には百体近い魔族の屍が横たわっていた。
俺に近づこうとした魔族たちは、一斉に足を止めた。恐怖に怯えた獣のような瞳で、じりじりと距離を取っていく。
「……やっぱり、人を殺すのはいい気分じゃないな。だから、逃げてくれるなら助かる」
そう言って睨み据えると、魔王軍は動きを止め、息を潜める。
互いに睨み合い、緊張が張り詰めた時間が流れる。
やがて、後方から何か命令が下ったのか、魔王軍は一斉に動きを変えた。統率の取れた動きで隊列を整え、静かに後退していく。
撤退……。
俺は剣を握りしめたまま、深く息を吐いた。少なくとも、これで市民を逃がす時間は稼げる。
それだけで上出来だ。
肩の上で、猫ちゃんが小さくあくびをした。




