06
猫ちゃんよ。魔王は仲間になったんじゃなかったのかよ。あの黒い王冠……おれの剣みたいなもんだろ。たぶん、猫ちゃんの「下僕」になったことで、魔王の力はさらに高まっている。そんなやつと戦うのかよ。
魔王の掲げた手に、闇が集まって巨大な球体を作り出す。ベルダンとかいう魔族を一撃で地に沈めた魔法だ。おれたちは指一本触れられなかったのに。やばい。あれが直撃したら、絶対に生き残れない。
でも……なんとかしないと。
おれはシャーリーを庇って前に出る。魔王が手を振り下ろした瞬間、黒い球体が飛び出す。轟音と共に迫りくる死の塊。おれは渾身の力で剣を振り抜いた。絶対に斬る!そう思いながら。猫ちゃんにもらった剣を信じて。
球体は真っ二つに割れて、爆ぜながら後方の壁を吹き飛ばす。石片が飛び散る中、足は止まらない。おれは王座を目指して走り出した。
そのときだった。
猫ちゃんが後ろ脚で立ち上がり、ピンと背を伸ばした。丸い目をギラリと光らせる。
「勇者魔法、『伏せ』にゃん!」
どごんっ!天地がひっくり返ったみたいに、魔王が床に叩きつけられる。
いや、それだけじゃない。おれも、シャーリーも、王女も、じじいも、みんなまとめて床にはいつくばった。な、なんだこれ!?
床に顔を押しつけながら必死に考える。
『伏せ』……?あれって犬に芸を仕込むときのやつじゃねえか。
「伏せ」って言われた犬は従順に床に這いつくばる。
まさか、猫ちゃんはそれを「勇者魔法」だと勘違いして……!?
猫ちゃんらしい……いや、猫ちゃんにしかできない最強魔法だ。
「勝ったとか負けたとか、どうでもいいにゃん!」
猫ちゃんの背中の毛が逆立つ。小さな身体から、雷のような声が響いた。
「大切なのは……みんなが幸せになることにゃん!」
シャーッ、と威嚇するように叫ぶ猫ちゃん。その姿に、胸が熱くなる。
勇者も魔王も、結局は猫に諭されるのかよ……!
「……そうね」
セレス王女の声が震える。
「わかったわ。私たちの負けでいい。だから……これからのことを、みんなで話し合いましょう」
その瞬間、「伏せ」の力が解ける。おれたちはようやく身を起こした。
「そうだな。猫ちゃんの言うとおりだ……」
おれは思わず笑っていた。魔王を前に、まだ生きてることが奇跡みたいだ。
「そうじゃそうじゃ!」
瓦礫の影から、妖怪じじいがいつの間にか復活していた。髭をぶるんと振り回して叫ぶ。
「みんなが腹いっぱい、美味しいものを食える世の中こそ最高じゃろ!」
魔王も一度、深く目を閉じる。そして、猫ちゃんに向かって微笑んだ。
「わかった。猫ちゃんのいうとおりだ」
魔王がそう言ったとき、ようやく本当の意味で……戦いは終わった。
◇
なんとか、あのあと、俺たちは魔王を連れて王都に入った。
狙いはひとつ、戦争を終わらせることだ。アルゴス王の前で、俺たちは事実を淡々と伝えた。
「勇者は魔王に敗れた」と。
しかし同時に、今ここで降伏の道を探ること、魔族との和平を模索することを訴えた。
議題は生臭く、重かった。だが決断は思ったよりも早く進んだ。
まず、魔族の奴隷の全面解放。次に、被害に対する賠償の仕組み。貴族からの没収金を賠償へ回し、社会保障と復興の財源とする。そうした案が次々採用されていった。王国は公式に、魔王の支配下へと入る道を選んだのだ。
アルゴス王は退位し、セレス王女が即位する。王位継承順位は高くなかった彼女だが、魔王ミレーネの指名によって、国の舵を取る存在として認められた。戦争には負けたが、王城に戻った民の顔はどこか安堵に満ちていた。
驚くべきことに、王都の被害は想像よりも少なかった。魔王軍が徹底的な殺戮や略奪を避けたこと、そして市民たち自身の逞しさが復興を早めたのだ。市場は間もなく開かれ、鍋の湯気が戻ってきた。人間は本当にたくましい。俺はそう思わずにいられなかった。
もちろん、セレスは非難も受けた。
「魔王に国を売った王女」噂と罵声が巷に渦巻いた。だが彼女は覚悟を持って、悪名を引き受けた。質素に暮らし、政策を実行することで信用を積み上げていった。王族の財宝は賠償に回され、減税が実施され、議会には市民代表が加わった。王国は急速に近代化へと舵を切っていく。
腐敗は許さなかった。貴族の不正は公にさらされ、改革の手が入る。
その監査と実行に、セレスが信頼を置いたのは……審問官、ベルアだった。入れ墨だらけの禿頭の男は容赦なく腐敗を暴き、古い慣習を切り崩していった。人々は最初は恐れたが、次第に「判定者」として受け入れていった。夜、子供が悪さをしそうになると「ベルアが来るぞ」とからかわれるほど、彼は民の生活に根を下ろした。
俺とシャーリーは軍の中枢に残ることになった。もともとカナンに戻って穏やかな生活を考えていた俺だが、王女が直々に頼まれた。シャーリーは魔法部隊の再編と教育を任され、俺は騎士団の整備と治安維持に加わる。戦の傷は消えないが、与えられた役割に意味を見出していた。
じじいはと言えば──あの「炎の料理人」は、王都の路地に小さな店を構えていた。王宮の厨房復帰の誘いもあったが、彼はそれを断り続ける。店は隠れた名店となり、客は噂を頼りにやって来たという。三つ星の噂が囁かれた時、じじいはふうっと笑って店先で言ったらしい。
「うまいもんに星なんかいらんのじゃ!」
どうやら、舌も心も元通りのようだ。
世界はゆっくりだが確かに変わった。
魔族も人間も、最初は距離を取りながら共に暮らし始めた。憎しみはすぐに消えるわけではないが、生活が戻ると人の心は働く。誰かがパンを分ければ、また誰かが返す。日常の小さな善意が、大きな信頼へと育っていった。
それもこれも猫ちゃんのおかげだな。猫ちゃんが勇者だったから、この世界は救われたのだ。もし、勇者が人間だったらこうはなっていなかっただろう。神はそういうところもわかって猫ちゃんを勇者にしたんだろう。この世界の神に感謝しよう。
そして、今日俺はじじいの店の前に立っていた。扉には乱暴な字で「本日貸し切り」と貼られている。中へ入ると、笑い声があふれていた。じじい、シャーリー、セレス、そしてあの日の面々。魔王ミレーネもいる。敵だった四天王たちも、向こうでにやりと笑っている。あのベルアも紛れていた。みんな丸く、無邪気に笑っている。
「ねえ、レオン。 またぼくと戦おうよ」
アルビレラ……四天王のひとりが、俺のところへやってきた。子供っぽい好戦心が残る男だ。この前、模擬戦で戦ったのだが、妙に気に入られたようだ。俺は笑って彼が差し出すジョッキを受け取った。
「まずは乾杯だ」
ジョッキが手渡される。湯気の立つ料理の香りと、酒の匂いが混ざる暖かい空気。みんなの顔に、戦いの痛みではない穏やかさが戻っている。
「では、魔族に。そして人間に。世界の平和に、乾杯!」
ミレーネが立ち上がり、静かながら確かな声で宣言する。皆がジョッキを合わせ、金属音が幸せそうに鳴った。
足元で、猫ちゃんが大きく伸びをしてから、ゆっくりと大きなあくびをした。




