アルゴス王ランメル2世
「ねえねえ、おじさんって王様でしょ。人間で一番偉いんだよね。強いんだよね。ぼくの魔王さまはすごく強いんだよ。ぼくなんか指一本で吹っ飛ばされるんだよ。人間の王様ってどれだけ強いの。確かめてみようよ」
子供のような声が、わたしの顔を覗き込む。小さな悪魔めいた顔。笑っているが、その目には残酷な期待が宿っている。いつから、王城の応接にこんな怪物めいたものがいる状況になってしまったのか。
正面には黒い肌のエルフ、巨躯の竜人、黒い翼を持つヴァンパイアの三人。彼らの背後には、王都を蹂躙する魔王軍の威容が滲んで見える。メイスン将軍が国境で敗れたあの日から、事態は雪崩のごとく転げ落ちた。わたしたちは蛮族だと侮り、彼らは我々の油断を喰らった。将軍たちは前線で散り、退路は断たれ、やがて王都は四方から包囲された。
あの日まで……わたしは慢心していた。人間は歴史の主人公だと、誰かが教えてくれたように信じていた。だが、いま目の前にいる者たちを見よ。力の差は明白だ。兵の数は一万ほどに減り、士気は崩れ、貴族の多くは腰を上げて逃げ去った。王城の門はついに破られ、城門は我らの手で開かれ、城内はあっという間に浸食された。誇りと奢りは、あっけなく瓦解した。
「これで全員か。では、魔族の奴隷のことを聞こうか」
竜人がそう言うと、わたしは喉の奥が凍るのを感じた。彼らの言葉は冷たく現実的だ。長年、我々がやってきたことが、ここで反転する。村を襲い、女や子どもを奪い、市場で売り払った記録がある。今、われわれがどの立場に置かれているか、身をもって知ることになるのだ。
わたしは所持している施設の位置を答え、どの貴族がどの魔族を管理しているかを説明した。かつての権勢を示す名簿が、いまでは自らの首を絞める縄のように思える。だが、説明の途中、ふいに窓の方から影が飛び込んできた。鳥人……翼を持つ使者が、羽を震わせて室内に舞い降りる。
「魔王さまの命令を伝えに参りました」
その声は急ぎを告げ、羽ばたきの余韻が耳に残る。使者の胸には、黒い印章のついた巻物が握られている。封印を破る音が小さく響いた瞬間、わたしの胸の中に凍える予感が落ちた。
「戦争はこれで終わりだ。四天王は魔王城に戻るように……とのことです」
魔王の声。簡潔で、命令だけを運ぶ。室内の空気が一瞬で変わった。竜人の顔が引き締まり、エルフの肩がこわばる。ヴァンパイアは瞳を細め、やがて長い指で顎を擦った。
「魔王さまの命令か」……竜人が言う。指令は速やかに広がり、雑事に追われる将兵たちの動きが慌ただしくなる。魔王軍は命令一つで侵攻を止めることができる。圧倒的なトップダウンの力。わたしはその現実の前に言葉を失った。
「いますぐに全軍に引き上げるように伝えろ。俺たちは魔王城へ帰る。あとは頼んだぞ」
竜人の低い声が響くと、下座にいた兵が懸命に動き出した。彼らは慌ただしく、しかし機械のように規律正しく撤収の準備を始める。
わたしは長椅子に深く座り直した。掌に残る冷たい感触……それは、王としてではなく、一人の人間としての虚しさだった。思えば、恐竜が一億年以上、世界を支配したという話を幼き日に聞いた。彼らの時代の長さを思うと、人間の栄華は紙ひこうきのように儚い。わたしたちの千年、二千年の物語は、力の前には儚く霞む。
だが、、魔王軍の影がゆっくりと王都を去り始めると、わたしは不意に考えた。これは終わりなのか。あるいは、次の始まりか。だれがこの空白を埋めるのか。わたしの胸に去来するのは、恥と安堵と、そして……恐れだった。




