05
ベルアが新四天王を倒してくれた。完全な相打ち。もう、どちらも立ち上がれないだろう。
「大丈夫か?」
俺は膝をつき、ベルアの傍に寄る。
「ああ、命はまだある。……辛うじてな」
唇の端に血をにじませながら、ベルアは笑う。
「エルガオは」
「俺も生きている。しかし、もう戦えん。……殺すなり、好きにすればいい」
その声には力がない。だが、瞳にはまだ獅子の誇りが宿っていた。
「ベルア、どうする?」
この戦いの決着は、ベルアに任せるしかない。
「引き分けだ。……俺も動けん。ここに残していけ。こいつと語り合う時間をくれ。久しぶりの友との再会だ」
「友か」
エルガオの口元がわずかに歪む。
「そうだな。俺も話したいことがある。逃げたあとのことも、な」
「わかった。俺たちは先に進む」
「健闘を祈る。おまえたちの望む世界のために戦え」
ベルアは血に濡れた手を持ち上げ、親指を立てて見せる。
俺は胸に手を当て、騎士の礼を返した。
新四天王は残すところあとひとりだ。
暗い廊下の突き当たりに、これまでと同じ石の扉が待っていた。だが、そこから漂う気配は他とは違う。静かで、冷たい。まるで、張り詰めた糸が切れる直前のような緊張感。
「……この中です。たぶん四天王です」
王女が気配を探知して、小さく頷く。
「わかった」
俺は剣に手を添え、ゆっくりと扉を押し開ける。
軋む音とともに視界に広がったのは、薄暗い石の間。
そこにひとりの男が立っていた。
異国の着物をまとい、背筋をぴんと伸ばした痩せた影。
腰には、長く細い剣……いや、剣ではない。話に聞いた「刀」という武器だろう。服もまた、遠き東方の国のもの。俺の故郷とはまるで違う文化の匂いがする。
その男は目を閉じ、じっとこちらに背を向けていた。そして、俺たちが一歩足を踏み入れた瞬間……
「……来たか」
静かに目を開き、研ぎ澄まされた刃のような声で告げた。その声に、一瞬で空気が凍りつく。
「おまえたちの気配は、とうに察していた」
その言葉と共に、わずかに刀の鍔が鳴った。まるで次の瞬間には誰かの首が落ちているのではないか……そんな錯覚に囚われるほどの、不気味な気配だった。
サムライは音もなく歩み寄る。砂を踏んでも足音ひとつせず、まるで影が滑ってくるようだ。腰の刀はまだ鞘の中。だが、抜いた瞬間に斬られる……居合の恐怖が全身を支配する。
俺は猫剣を構える。猫のように低く、しなやかに。
風が切れる。目で追えぬ速さ……金属がぶつかる音だけが現実を示した。頬を伝う冷汗。
「見えない……」
それでも、猫ちゃんの「すごくがんばれ」のおかげで光の軌跡をかろうじて感じられる。俺は光を弾き返し、かろうじて距離を取る。
「なかなかやるな」
サムライは目を細め、刀に手を添える。
「わたしは魔界の剣士ムラサメ。幾千の血を吸い、幾万の命を断ってきた。おまえもその糧となれ」あああ
刹那、上段から斬撃。振り下ろされた刀の衝撃波が竜巻となり、石床を裂く。俺は身を転がし、辛うじてかわす。
強すぎる。速さも、力も、人の領域を超えている。
(妙だ……)
俺は違和感を覚えていた。剣筋の鋭さに、ほんの一瞬だけ、意思の「遅れ」がある。まるで、剣士自身が振るっていないかのように。
俺は踏み込んだ。
胴を斬ったはず……だが、剣は虚空をすり抜けた。
「なっ……!」
その隙を逃さず、刀身が俺を襲う。腕に熱い痛み。血が飛ぶ。
後退しながら、必死に考える。
(……斬ったのに、手ごたえがなかった。影のような体……じゃあ、何が本体だ?)
脳裏に蘇る映像。
……斬った瞬間、なぜか刀の柄を守るような動き。
目を凝らす。柄には赤い宝石が妖しく輝いていた。
「……そうか。お前は人間じゃない。刀そのものが本体なんだな」
俺は突っ込む。あえて小手を狙い、弾かれる。だが確信する。
「やっぱり……柄を守ってる!」
ムラサメが再び居合の構えに入る。次の一閃は避けられない。
なら……賭けるしかない!
閃光が走る瞬間、俺は刀身ではなく柄を両手で掴んだ。灼けるような痛み。だが、離さない。
「なにっ……!」
次の瞬間、サムライの身体が煙のように掻き消え、着物だけがはらりと舞い落ちる。
残ったのは俺の手にある一本の妖刀。
柄の宝石が微かに震え、かすれた声を漏らす。
「見事だ……若き剣士。おまえの剣は猫のように自由……わたしの負けだ」
やがて宝石は光を失い、静かに砕け散った。
なんとか、勝つことができた。腕の傷も大したことはない。しかし、俺も、じじいも、シャーリーも満身創痍だ。このままボス戦に挑まなくてはならない。
宰相ベルダン……いったいどんなやつなんだ。
「少し休みましょうか」
セレス王女が気を使ってくれる。一応、飲み物と傷の応急措置は済ませた。だが、そんなに時間はない。魔族が集まってしまえば厄介だ。
「このまま進みましょう」
俺は立ち上がる。セレス王女の指示どおり、王座の間へと歩を進めた。
やがて、巨大な扉が立ちはだかる。
「ここが……王座の間です。中から、今まで以上の力を感じます」
「やるしかないな」
「そうですね」
「料理人の力、見せてやる」
俺たちは顔を見合わせ、決意を新たにする。最後の「料理人なんたら」は意味がわからないが。
そして……最後の扉を開いた。
赤い絨毯が奥へと続き、階段の上には王座。マントをまとった男が、そこに腰掛けていた。
扉の開く音に気づいたのか、ゆるやかに立ち上がり、俺たちを見下ろす。
「……人間か。四天王を倒してここまで来たと?」
声は低く、冷ややかで、芝居がかった響きを持っていた。やがて、両手を大げさに広げる。
「やれやれ。新四天王。寄せ集めにすぎなかったな。やはり使えぬ者どもだ」
「おれはレオン。勇者の仲間だ。すぐに戦争を終わらせろ!この戦争は、なにも生み出さない!」
「戦争?」
ベルダンは薄く笑った。
「そんなものは存在しません」
「なにを言っている。現に王都は魔王軍の手に落ちて……」
「それは正しい者が支配する、本来の姿に戻っただけのこと」
その声が、王座の間に響き渡る。
「この世を歪ませているのは人間だ。愚かな王族や貴族の横暴。下の者は虐げられ、上の者だけ肥え太る。……そんな醜悪な生物は、人間だけだ」
「おまえ……」
「だから滅ぼす。それだけだ。魔王は共生を考えていたようだが、あれは戯言。強き者が弱きを支配する。それこそが世界の理よ」
「そんなことはさせない!」
セレス王女がアカシックレコードを発動する。
光が迸り、総力戦が始まった。
次の瞬間、ベルダンが杖を振る。漆黒の魔力が王女めがけて奔る……!
「させるか!」
じじいが飛び出し、フライパンで受け止める。だが、力が強すぎる。
「ぐあっ!」
じじいの身体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。
「じじい!」
どうすれば勝てる……?俺とシャーリーは王女の前に立ちふさがる。アカシックレコードの奇跡に頼るしかない。
その時……「とてとて」と軽い足音が、後方から響いた。
俺は振り返る。そこには、猫ちゃんが尻尾をピンと立てて歩いてきていた。
そして……その後ろに、黒い王冠をかぶった少女が静かに続いていた。
謁見の間に漂う空気が、一瞬で変わる。
重苦しく、しかし凛とした威圧。ただの人間ではない……王そのものの風格。
魔王が、現れたのだ。
「ベルダン、やめなさい!」
その声が王座の間を震わせた。低く、しかし確かな芯を持った命令。空気がぴんと張り詰め、あらゆる音が吸い取られるように静まる。
ベルダンは呆然と立ち尽くした。さっきの嘲笑が引っ込み、僅かに狼狽の色が混じる。彼の目の先に立っているのは、魔王だ。黒い王冠と白い衣が、まるでこの場に新しい秩序の印を刻むかのように光る。
「これは……魔王さま。牢の中はいかがでしたか?」
ベルダンの口元には嘲りが戻る。だが、その声にはもはや余裕がない。
「ええ、なかなか快適だったわ。猫ちゃんにも出会えたしね」
ミレーネはさらりと言う。物憂げで、しかし一言一言に氷の刃のような重みがある。
「それは良かった。牢に閉じ込めたのは私の温情だったのですよ。あなたは……かわいい姪っ子ですからね」
ベルダンが取り繕うように言う。だが、その"親しげさ"は空々しく、部屋の空気に溶けない。
「そうだったの。全然わからなかったわ。てっきり、あなたはただ魔王の座が欲しいだけだと思っていた」
ミレーネの声には嘲りはなく、冷静な観察だけが残る。
「誤解です。ですが、あなたは人間との混血。魔王になっても苦労するでしょう。魔力が強いと聞きますが、それは兄の贔屓目。純粋な魔王である私の方が……」
ベルダンが力を誇示しようとしたその時だ。
「魔力の上下など、私には興味がない」
ミレーネは淡々と言う。まるで話の腰を折るように一言投げ、それから静かに続けた。
「魔王の座は遺言で決まるものではない。力で決まる。ここで決着をつけましょう」
ベルダンのこめかみに、青い血管のようなものが浮いた。やや強張った笑みを浮かべ、彼は杖を掲げる。
「では、始めましょう」
黒い魔力の弾丸がベルダンの杖先から飛ぶ。先ほどじじいを吹き飛ばした、それと同じ黒い塊がミレーネへと襲い掛かる。
だがミレーネは、人がハエを払うような仕草で手を払っただけだ。黒い弾は弾かれ、勢いよく部屋の壁を削り飛ばした。石材が砕け、装飾が崩れる衝撃波が広がる。
「正統の魔法とはそんなものか。ではこちらの番」
ミレーネの顔に僅かな微笑が浮かぶ。彼女は指先でベルダンを指した。指はゆっくり下を向く。
その瞬間、ベルダンの足元が波打ち、床が隆起する。彼は思いもよらぬ力で地に押し付けられ、ひときわ深く床にめり込む。眩暈を立てるように瓦片が散り、臣下たちの息が止まる。
圧倒的な力の差。ベルダンは、一瞬にして子供扱いされた。かつての冷笑も今は影を潜め、彼の両目には驚愕と、初めて見る恐怖が宿っていた。
ミレーネはゆっくり、階段を上がり、王座の手前に立つ。彼女の足取りに無駄はなく、まるで王座そのものを取り戻すかのような静かな威厳があった。周囲の側近たちはひざまずき、言葉を失う。
彼女は王座を見下ろすように一礼し、その声を王座の間いっぱいに響かせた。
「わたしは、ミレーネ・ヴァルガス。魔王の血を継ぐ者として、ここに命じます」
言葉に込められた力は生き物のように場を満たし、従わぬ空気を切り裂く。
「魔王ミレーネ・ヴァルガスの名において命じます。今すぐ、戦争を終わらせなさい!」
その命令は命令というより法であり、震えるような権威に満ちていた。側近たちの顔が色を変え、呪縛されたように動きを止める。外界へと届く声は──命じられたその瞬間に、王都全体へと波紋のように広がっていった。




