カナン地方領主ヴェルドリック01
「魔王軍は一万です。まるで森が動いているようだと報告を受けています」
ミルバの報告に、わしは顎に手を当てて考えた。カナンの町にある戦力は二千。数だけ見れば不可能ではないかもしれない。だが、相手は蛮族とはいえ一万。まともにぶつかれば勝算はほぼないだろう。
「ミルバ。……やはり平民などに任せていたのが間違いだったのだ」
「はっ。全くでございます。中隊長のレオン、あれが役立たずでして」
「レオン? ああ、町の剣術大会で優勝したとかいう平民か」
「剣の腕だけは確かですが、脳筋で使えませぬ。森で魔族の目撃例が相次いでいたのも、あやつがまともに報告しなかったからです。もし私の耳に届いていれば、私自ら調査に赴き、未然に防げたものを……」
額に汗をかいたミルバは、汗まみれ顔をハンカチで拭った。なにか隠しているのか。
「なるほどな。……やはり平民を中隊長に据えるなど愚策であった。人望があると聞いていたから、同じ平民を抑える駒として使えると思ったのだが……この有様だ」
「今後は、中隊長以上は士官学校の卒業を条件にすべきでしょうな」
「ふむ……。そうだな」
わしは満足げに頷いた。
「で、これからどうするおつもりで?」
「まずは……南門に平民どもを集めろ。二百ほどになるだろう。やつらに最前線を任せる。……我らが無駄死にする必要はない」
「かしこまりました」
「そして、わたしは親衛隊と共にミネルバの町まで下がる。貴族の血を引く隊長の部隊もだ。……市民? 知らせる必要はない。無駄に騒ぐだけだ。作戦は極秘に行え」
「承知しました」
ミルバが下がり、部下たちが次々と命令を伝えに走る。
一万の魔王軍……愚かにも正面から迎え撃とうとする者はいるかもしれない。だが、勝てるわけがない。ここから五キロ先、ミネルバの町であれば防備も整っているし、王都から援軍も呼べる。
そのためには、わしと家族、そして親衛隊さえ無事であればいい。カナンの町など囮で十分だ。
どうせ蛮族どもは、掠奪と虐殺に夢中になる。市民を蹂躙し、女や子どもを嬲り、財を奪い、町を食い尽くす。その間にわしは悠々と撤退し、再起を図ればよい。
要は、領主であるわしが生き延びれば「敗北」ではないのだ。カナンの領民には、そのための生け贄になってもらおう。
「ふ……町など、また作ればよい。だが、このヴェルドリックの命は一つしかないのだ」
そう呟いて、わしは赤ワインの杯を傾けた。




